赴任先のマレーシアから一時帰国している友人を中心に高校時代の悪友が集まった。これまでクラス会、あるいは学年全体の同窓会はあったけれど、当時つるんでいた仲間が顔を揃えるのは久しぶりだ。総勢十名、一様に老けている。けれど、中身は当時と全く変わらない。人格というものは、そうそう変わるものではない。下らない話題ばかりに花が咲き、大いに盛り上がった。俺も久々に腹筋が攣りそうになるほど笑った。
例えば、万引きの話。
我々の仲間の中には可愛げのない万引きをする者がいて、当時百円だか二百円で売られていた紙袋持参でコンビニへと入り、空の袋を一杯にして持ち帰ったりしていた。通学路にあった本屋は表に並べた週刊誌や漫画を、まるでフリーペーパーのように持ち逃げされ続け、やがては店を畳んだ。
仲間から注文された品を盗む、いわゆる「セミプロ」のような者もいた。注文はサッカーのスパイクやら、ジャージやら、高校生が小遣いで買うには少々お高い品々だ。ジャージなどは試着室で学ランの下に着こんで店を出る。まだ防犯カメラなど、そこかしこに備え付けられる前の時代だ。
ギターを万引きしたのもいたらしい。
「ギターなんて、どうやって盗んだのよ?」
「何食わぬ顔して、弾きながら店を出てきたらしいよ」
「うそだよ~。そんなヤツ、いるかよ!?(笑)」
「マジ、マジ。だって、そのギターを買ったヤツ、いるもん」
弾いて店を出たか否かはさておき、楽器店からギターを万引きしたのは事実らしい。
十人中三人が離婚している。たまたま、その三人が同じテーブルを囲んだ。
「あ、そっちの席、離婚組ね」
揶揄されたところで気にする者など一人もいない。居るはずがない。何の反省も後ろめたさもないよ。
同じ離婚でも、別れた理由も、離婚後のパターンも異なる。
別れたままのバツイチ一名、それが俺。違う女と再婚したのが一名。もう一人は同じ相手と結婚、離婚、再婚をして、近々離婚するらしい。
何とも懲りない感じだが、人生って本当に人それぞれなのである。
逆に結婚生活を嘆く者もいる。子供のために我慢して別れずにいるが、夫婦生活はとっくに冷え切っていて、一緒に居ること自体がストレスになっていると愚痴る。会社でもストレス、家でもストレス。心休まる場所がなくて不憫に思える。孤独さえ苦にならなければ、自由気ままな独り身の方が精神衛生上は恵まれた環境なのかもしれない。
そいつが先日、ついに女房相手にキレてしまったらしい。溜め込んでいた不満が、あることをきっかけに爆発したのだ。キレた原因は、女房に趣味で集めているミニカーを勝手に片付けられたことによるらしい。
「えっ!?ミニカー、勝手に捨てられたの?」
「いや、捨てられはしないけどさぁ」
子供じみた理由に爆笑したものの、数千台を所有する収集家にとって、何も分からぬ素人が勝手にコレクションを整理するなど到底容認できる話ではないのだろう。
頭髪どころか下の毛にも白いものが混じり始める年齢になっても男のスケベ心は衰えない。
当日の集合前に「ヒマだったから」とデリヘル嬢を呼んで二回戦を終えてきたと語る強者が、クリニックで処方してもらっているバイアグラのシートを長財布から取り出してヒラヒラさせる。
「欲しい人!」
「ハイッ、ハイッ!!」
全員が手を挙げた。
一人に一錠ずつ、タブレットを配るが酔っ払っているので座敷の床へと転がす。
「あれれ、どっか行っちゃったよ」
「おいおい、拾えよ。いくらすると思ってんだよ!?」
おそらく一錠千五百円ほどだ。
ごそごそとテーブルの下を探し、落とした者とは別の人間が拾い上げると自分の口へと放り込んだ。
「何やってんだよ!?」
すでに自分の分は飲んでいるので合わせて二錠。かつては死亡例も報告された薬なのに中年の悪ふざけは止まらない。
だが、いざ薬を飲んだところで平日の夜だ。翌日は朝から仕事だし、もう誰もが女遊びなんかする気になれないほどに酔っている。
最近は「鶯谷nn」という遊びにハマっていると仲間から話を聞いた。
「鶯谷」は有名な風俗遊びの拠点。駅の近くには、およそ七十軒ものラブホテルが乱立している。
「nn」というのは「ノースキン、中出し」の意味で、それを五十過ぎの熟女相手に楽しむのだそうだ。
最初は冗談かと思った。四十代も終わりに近い我々にとって、魅力的に感じる女は少なくとも同年代よりは下に相違ない。クラス会などで久しぶりに女子と会うと、自分の老いは棚に上げて、大方はガッカリするものなのだ。
それを、何が悲しくて自分らよりも先輩の方々と対戦せねばならぬ。
ところが話を聞いている内に、次第に「アリかもな?」などと思い始める。
要するに、徹底的にエロいのだろう。散々、お遊びを尽くしてきた我々にとって「若くて外見が美しいだけ」では興奮しないのも事実だ。熟女らは、そんな我々のような「上級者たち」をきっと満足させてくれるのだろう。
一昔前ならば、必ず二次会と称してカラオケにでも行ったはずだ。そして朝まではしゃぎ続けたに違いない。でも、もうそんな気力は湧かない。終電が無くなるまで飲んだり、徹夜して遊んだり、そんな無理は極力避けたいのだ。
最初は「今夜は帰れると思うなよ?」などと言い合ってたくせに、暗黙の了解で一番遠くから来ている仲間に合わせてお開きとなった。再会を誓い合い、手を振って別れた。
「夜空ノムコウ」の歌詞にあるように、「あの頃の未来に僕らは立っている」のは間違いない。当時の自分が今の自分を見たら、きっとガッカリするだろうな(笑)。でも、だからって人生をやり直したいとも、あの頃に戻りたいとも思わない。
なぜなら、俺たちにはまだ未来が残されていると思っているから。今さら青臭いガキなんかに戻れるかってんだ。これから先も、懲りずにバカやって、ふざけて、立派な「クソジジイ」を目指して進んで行くんだ。まだまだ、まだまだ、これからなんだよ。
例えば、万引きの話。
我々の仲間の中には可愛げのない万引きをする者がいて、当時百円だか二百円で売られていた紙袋持参でコンビニへと入り、空の袋を一杯にして持ち帰ったりしていた。通学路にあった本屋は表に並べた週刊誌や漫画を、まるでフリーペーパーのように持ち逃げされ続け、やがては店を畳んだ。
仲間から注文された品を盗む、いわゆる「セミプロ」のような者もいた。注文はサッカーのスパイクやら、ジャージやら、高校生が小遣いで買うには少々お高い品々だ。ジャージなどは試着室で学ランの下に着こんで店を出る。まだ防犯カメラなど、そこかしこに備え付けられる前の時代だ。
ギターを万引きしたのもいたらしい。
「ギターなんて、どうやって盗んだのよ?」
「何食わぬ顔して、弾きながら店を出てきたらしいよ」
「うそだよ~。そんなヤツ、いるかよ!?(笑)」
「マジ、マジ。だって、そのギターを買ったヤツ、いるもん」
弾いて店を出たか否かはさておき、楽器店からギターを万引きしたのは事実らしい。
十人中三人が離婚している。たまたま、その三人が同じテーブルを囲んだ。
「あ、そっちの席、離婚組ね」
揶揄されたところで気にする者など一人もいない。居るはずがない。何の反省も後ろめたさもないよ。
同じ離婚でも、別れた理由も、離婚後のパターンも異なる。
別れたままのバツイチ一名、それが俺。違う女と再婚したのが一名。もう一人は同じ相手と結婚、離婚、再婚をして、近々離婚するらしい。
何とも懲りない感じだが、人生って本当に人それぞれなのである。
逆に結婚生活を嘆く者もいる。子供のために我慢して別れずにいるが、夫婦生活はとっくに冷え切っていて、一緒に居ること自体がストレスになっていると愚痴る。会社でもストレス、家でもストレス。心休まる場所がなくて不憫に思える。孤独さえ苦にならなければ、自由気ままな独り身の方が精神衛生上は恵まれた環境なのかもしれない。
そいつが先日、ついに女房相手にキレてしまったらしい。溜め込んでいた不満が、あることをきっかけに爆発したのだ。キレた原因は、女房に趣味で集めているミニカーを勝手に片付けられたことによるらしい。
「えっ!?ミニカー、勝手に捨てられたの?」
「いや、捨てられはしないけどさぁ」
子供じみた理由に爆笑したものの、数千台を所有する収集家にとって、何も分からぬ素人が勝手にコレクションを整理するなど到底容認できる話ではないのだろう。
頭髪どころか下の毛にも白いものが混じり始める年齢になっても男のスケベ心は衰えない。
当日の集合前に「ヒマだったから」とデリヘル嬢を呼んで二回戦を終えてきたと語る強者が、クリニックで処方してもらっているバイアグラのシートを長財布から取り出してヒラヒラさせる。
「欲しい人!」
「ハイッ、ハイッ!!」
全員が手を挙げた。
一人に一錠ずつ、タブレットを配るが酔っ払っているので座敷の床へと転がす。
「あれれ、どっか行っちゃったよ」
「おいおい、拾えよ。いくらすると思ってんだよ!?」
おそらく一錠千五百円ほどだ。
ごそごそとテーブルの下を探し、落とした者とは別の人間が拾い上げると自分の口へと放り込んだ。
「何やってんだよ!?」
すでに自分の分は飲んでいるので合わせて二錠。かつては死亡例も報告された薬なのに中年の悪ふざけは止まらない。
だが、いざ薬を飲んだところで平日の夜だ。翌日は朝から仕事だし、もう誰もが女遊びなんかする気になれないほどに酔っている。
最近は「鶯谷nn」という遊びにハマっていると仲間から話を聞いた。
「鶯谷」は有名な風俗遊びの拠点。駅の近くには、およそ七十軒ものラブホテルが乱立している。
「nn」というのは「ノースキン、中出し」の意味で、それを五十過ぎの熟女相手に楽しむのだそうだ。
最初は冗談かと思った。四十代も終わりに近い我々にとって、魅力的に感じる女は少なくとも同年代よりは下に相違ない。クラス会などで久しぶりに女子と会うと、自分の老いは棚に上げて、大方はガッカリするものなのだ。
それを、何が悲しくて自分らよりも先輩の方々と対戦せねばならぬ。
ところが話を聞いている内に、次第に「アリかもな?」などと思い始める。
要するに、徹底的にエロいのだろう。散々、お遊びを尽くしてきた我々にとって「若くて外見が美しいだけ」では興奮しないのも事実だ。熟女らは、そんな我々のような「上級者たち」をきっと満足させてくれるのだろう。
一昔前ならば、必ず二次会と称してカラオケにでも行ったはずだ。そして朝まではしゃぎ続けたに違いない。でも、もうそんな気力は湧かない。終電が無くなるまで飲んだり、徹夜して遊んだり、そんな無理は極力避けたいのだ。
最初は「今夜は帰れると思うなよ?」などと言い合ってたくせに、暗黙の了解で一番遠くから来ている仲間に合わせてお開きとなった。再会を誓い合い、手を振って別れた。
「夜空ノムコウ」の歌詞にあるように、「あの頃の未来に僕らは立っている」のは間違いない。当時の自分が今の自分を見たら、きっとガッカリするだろうな(笑)。でも、だからって人生をやり直したいとも、あの頃に戻りたいとも思わない。
なぜなら、俺たちにはまだ未来が残されていると思っているから。今さら青臭いガキなんかに戻れるかってんだ。これから先も、懲りずにバカやって、ふざけて、立派な「クソジジイ」を目指して進んで行くんだ。まだまだ、まだまだ、これからなんだよ。