俺が通った小・中学校は団地の中にあった。

「団地貴族」、「一億総中流」なんて言葉が残っていた時代だ。

隣近所、みな同じ間取りの家に住んでいる。

だから、それを「中流」と子供が考えても不思議ではない。


「みんな、自分の家は階級で言うと、どれだと思う?」

中学生になって社会科の授業で、先生がそんな質問をした。

「ウチは上流家庭だと思う人?」

一人、二人が手を上げた。

「じゃ中流だと思う人?」

クラスの大半が手を上げた。

俺も手を上げた。

「じゃ下流だと思う人?」

少数が手を上げた。

その結果を踏まえ、先生は意地悪そうな笑みを浮かべて言った。

「みんなのお家は、階級から言えば下流です」

団地内が世界の全てであった少年には、先生の言葉は残酷かつ衝撃的だった。


そんなどんぐりの背比べのような労働者階級の子供たちの中にも些細な差があった。

例えば、新しい自転車に乗っているとか、いつも可愛い文房具を揃えているとか。

家にクーラーがあるとか、車があるとか、そういう違いだ。

小学三年生の頃、好きになった女の子はどちらかというと物理的に貧しい側だった。

いつも同じカーディガンを着ていた。

オレンジと白の縞模様で、真新しいものには見えなかった。

おそらく姉のお下がりだったのだと思う。


バレンタインにチョコを贈るのは日本の製菓会社の戦略だという話を聞いたことがある。

そして昨今は、本命の男子にチョコを贈る女子が減少しているとの記事も読んだ。

しかし、俺の子供の頃は「年に一度、女の子から告白される日」と決まっていた。

貰えるあてもないのに、朝から勝手な妄想を膨らませ、ドキドキしながら登校したものだ。


話を戻すが、俺が初めてチョコをもらったのは小学三年の時だ。

先に記した女の子が「チョコ、あげようか?」と言ってきたのだ。

「ちょうだい!ちょうだい!」と即座に答えた記憶が何となくある。

そして2月14日の放課後、校門の前で会う約束をした。

確か、一旦は帰宅したような気がする。

ランドセルを置いてから、再び小学校まで戻った。

校門のところで待っていた彼女からチョコレートを受け取った。

「不二家のハートチョコレート」だった。

一緒に「骸骨のキーホルダー」もくれた。

それは彼女がカバンに付けていたものだった。

俺はそれを欲しがっていた。


特に話もしなかったと思う。

まるでリレーのバトンでも渡すように、さっと手渡されて、さっと受け取った。

お互いにまだ9歳の子供、照れていたので仕方がない。

「ありがとう」くらいは言えたのだろうか。


先日のバレンタインで同僚が「不二家のハートチョコレート」を配った。

包装のデザインは変わっても、大きさや中身は変わっていない気がする。

とにかく数十年ぶりに目にしたそれは、個人的には非常に懐かしくて愛おしかった。

遠い昔に住んでいた団地の、狭い台所の隅で、

床に腹ばいになって彼女のくれた骸骨のキーホルダーを眺めていた場面が蘇った。

当時50円のチョコレートと自分がカバンに付けていたキーホルダー。

それが裕福ではない9歳の女の子が出来る精一杯のプレゼントだったんだろう。

生まれて初めて貰ったチョコレートも嬉しかった。

でも大事にしていたキーホルダーをくれたことの方が、もっと嬉しかった。

あんな気持ちになることって、多分この先もう無いんだろうなぁ・・・・。


その後、彼女と俺の間にはいろいろな出来事がある。

肉体関係等は一切ないけれど。

「気が向いたら『ハートのチョコレート(2)』として書こうかな」

そんな風に思って、今回は「(1)」した次第。


最近の若者は恋愛から遠ざかる傾向にあると聞く。

それに関して俺は批判するような立場でもない。

いくら熱を上げた相手でも時間の経過とともに感情は変化していく。

「永遠の愛」なんて軽々しく口に出来るのは経験値の浅さゆえだと思っている。

でも、甘酸っぱい思い出は、いくら金があっても買えるものじゃない。

で、年取って振り返ってみると、案外いいもんだぜ。