日付が一日変わるだけで大きな意味を持つことがある。
目が覚めて携帯を見ると「1」の文字。
「あ、2月1日になっちゃった」としみじみ思う。
俺は1月31日に向けて、一つの目標に向けて休みを取った。
小説現代の新人賞へ応募するつもりだった。
十数年前、俺は友人らと共に奈落の底へ落ちた。
自業自得だが、ひどい薬物依存に陥って、職を失い、家族を失った。
依存から完全に立ち直るのには五年を要した。
数年前、同じ経験を通過した双子兄から「当時の出来事を書かないか」と持ちかけられた。
完全にぶっ飛んでいた俺たちは当時、愚行ばかり繰り返していた。
それをまとめれば、かなり面白い読み物になると踏んだ。
すぐに、一緒に書き始めた。
それぞれが一つの出来事を短編として書き、集めて作品とする。
タイトルは「ホワイトアルバム」に決めた。
ビートルズの二枚組アルバムの俗称から題名を拝借した。
「白」は薬物を象徴していた。
「アルバム」という表現は、記憶の断片の集合体には実に相応しかった。
互いに短編を7篇ずつくらい、順調に書いていった。
そこで兄が、突然に根を上げた。
「気分が暗くなる」、「軽い鬱になったみたいだ」などと言い出した。
それも当然だった。
面白い出来事ばかりではなかった。
むしろ当時を振り返ってみると暗い情景ばかりが浮かんできた。
一向に先へ進まなくなった。
計画は頓挫して、そのままになってしまった。
ただ、俺は無に帰するのは嫌だった。
何とか完成へと持っていきたかった。
理由は、俺もそれなりに苦しみながら過去に向き合って書いたこと。
そして、完成させて手放すことで暗い過去と決別できるような思いがあったからだ。
昨年からの流れで、俺は自分の書いたものを見直す機会を得た。
自分のパートだけでも、読み返してみると結構面白かった。
そこで、このブログにアップしてみた。
途中で掲載できなくなった。
内容に問題があるとのことだった。
せっかく手を入れた原稿をどこかで活かそうと思った。
久しぶりに公募へ出してみることに決めた。
年が明けて長い休暇を取って、俺は書く時間を確保した。
そして、籠もる場所を探した。
もちろん家でも書ける。
でも、胸が苦しくなるような辛い場面を再び見つめるのは怖かった。
都内のホテルでも良かったが、さして値段も変わらないので博多へ向かった。
見知らぬ土地で、それなりに遊びながら、楽しんで校正しようと思った。
それなりに楽しんで、大いに散財した。
そしてようやく辛い場面と向き合って何とかベースを完成させた。
家に戻ると詰めの作業に入った。
400字詰め原稿用紙で250枚以上が応募条件となっている。
俺の書いた物は400枚以上あった。
楽勝のはずだった。
ところが指定の用紙、30字×40行に当てはめるとサイズダウンした。
文字数から換算して必要な83枚に数ページ分足りなかった。
困った。
他人に読ませる文章は「精米」のような作業が必要だ。
余計な部分を削ぎ取り、美味しい部分だけを磨いて残す。
足りない部分をどう補うか。
思案して、一度は削った場面の描写を戻した。
それでも足りなかった。
さらに現在という視点を加えるとようやく枚数的にはクリア出来た。
でも、それでいいのだろうか。
作品のクオリティは、個人的な観点からして、明らかに下がる気がした。
やはり、そこを第一義とすべきだと思った。
年に一度の機会、そしてせっかく取った休みをふいにすることになる。
でも、今回の送付は見送ることにした。
今回書いた作品は、別の公募へ回すことにする。
もう少し時間をかけて、本当に必要な部分を足すことでさらに魅力を加味する。
最高に美味に仕上げて、生きるのが辛く思える人に読ませてあげたい。
先ほど仲間から友人の兄が他界したとの連絡を受けた。
ご冥福をお祈りするとともに、やはり生きている内が花だと実感。
やりたいこと、やったもの勝ちなんだろうな、きっとね。
目が覚めて携帯を見ると「1」の文字。
「あ、2月1日になっちゃった」としみじみ思う。
俺は1月31日に向けて、一つの目標に向けて休みを取った。
小説現代の新人賞へ応募するつもりだった。
十数年前、俺は友人らと共に奈落の底へ落ちた。
自業自得だが、ひどい薬物依存に陥って、職を失い、家族を失った。
依存から完全に立ち直るのには五年を要した。
数年前、同じ経験を通過した双子兄から「当時の出来事を書かないか」と持ちかけられた。
完全にぶっ飛んでいた俺たちは当時、愚行ばかり繰り返していた。
それをまとめれば、かなり面白い読み物になると踏んだ。
すぐに、一緒に書き始めた。
それぞれが一つの出来事を短編として書き、集めて作品とする。
タイトルは「ホワイトアルバム」に決めた。
ビートルズの二枚組アルバムの俗称から題名を拝借した。
「白」は薬物を象徴していた。
「アルバム」という表現は、記憶の断片の集合体には実に相応しかった。
互いに短編を7篇ずつくらい、順調に書いていった。
そこで兄が、突然に根を上げた。
「気分が暗くなる」、「軽い鬱になったみたいだ」などと言い出した。
それも当然だった。
面白い出来事ばかりではなかった。
むしろ当時を振り返ってみると暗い情景ばかりが浮かんできた。
一向に先へ進まなくなった。
計画は頓挫して、そのままになってしまった。
ただ、俺は無に帰するのは嫌だった。
何とか完成へと持っていきたかった。
理由は、俺もそれなりに苦しみながら過去に向き合って書いたこと。
そして、完成させて手放すことで暗い過去と決別できるような思いがあったからだ。
昨年からの流れで、俺は自分の書いたものを見直す機会を得た。
自分のパートだけでも、読み返してみると結構面白かった。
そこで、このブログにアップしてみた。
途中で掲載できなくなった。
内容に問題があるとのことだった。
せっかく手を入れた原稿をどこかで活かそうと思った。
久しぶりに公募へ出してみることに決めた。
年が明けて長い休暇を取って、俺は書く時間を確保した。
そして、籠もる場所を探した。
もちろん家でも書ける。
でも、胸が苦しくなるような辛い場面を再び見つめるのは怖かった。
都内のホテルでも良かったが、さして値段も変わらないので博多へ向かった。
見知らぬ土地で、それなりに遊びながら、楽しんで校正しようと思った。
それなりに楽しんで、大いに散財した。
そしてようやく辛い場面と向き合って何とかベースを完成させた。
家に戻ると詰めの作業に入った。
400字詰め原稿用紙で250枚以上が応募条件となっている。
俺の書いた物は400枚以上あった。
楽勝のはずだった。
ところが指定の用紙、30字×40行に当てはめるとサイズダウンした。
文字数から換算して必要な83枚に数ページ分足りなかった。
困った。
他人に読ませる文章は「精米」のような作業が必要だ。
余計な部分を削ぎ取り、美味しい部分だけを磨いて残す。
足りない部分をどう補うか。
思案して、一度は削った場面の描写を戻した。
それでも足りなかった。
さらに現在という視点を加えるとようやく枚数的にはクリア出来た。
でも、それでいいのだろうか。
作品のクオリティは、個人的な観点からして、明らかに下がる気がした。
やはり、そこを第一義とすべきだと思った。
年に一度の機会、そしてせっかく取った休みをふいにすることになる。
でも、今回の送付は見送ることにした。
今回書いた作品は、別の公募へ回すことにする。
もう少し時間をかけて、本当に必要な部分を足すことでさらに魅力を加味する。
最高に美味に仕上げて、生きるのが辛く思える人に読ませてあげたい。
先ほど仲間から友人の兄が他界したとの連絡を受けた。
ご冥福をお祈りするとともに、やはり生きている内が花だと実感。
やりたいこと、やったもの勝ちなんだろうな、きっとね。