横浜三渓園へ行きました。
天気がよくて 気持ちがいい。
初めて訪れる場所だと テンションが上がります。
渋谷から東急東横線に乗ったのですが、
気が付いたら 羽沢横浜国大駅という
聞いたこともない駅にいました。
ホームの路線図をみると
新横浜から海老名、港南台へ行く途中らしい。
東横線にのったはずなのに なぜこんなところに?!
とりあえず もと来た道を戻れば、
知っているところにつくはず。
日吉に戻ると向い側のホームに
元町中華街行きと書いてありました。
どうやら ここからおかしくなったもよう。
帰宅して調べたところ
今年3月に 日吉から新横浜まで 東急新横浜線が開通、
同じく開通した
相鉄新横浜線と相互乗り入れしたらしいです。
新横浜や横浜国大まで
うちから1時間でいけるようになり、
便利になったようだけど、
(行くこともないけれど)
渋谷で気をつけないと また変なところへ行ってしまう
最近 渋谷で
しょっちゅう乗り間違えています…
ダンジョンと化した渋谷についていけていない。
…年ですね~
さて。三渓園の話です。
明治から昭和初期にかけて、
生糸で財をなして 横浜発展に力を尽くした、
原 富太郎(三渓)が作った庭園。
園内には 各地から集められた重要文化財の建造物12棟に
横浜市指定有形文化財建造物3棟を含む
17棟の建築物が配置されています。
上の三重塔は 1457年に建築された
京都の燈明寺から移築されたもの。
園内に入ると 大きな池越しに最初に目に入ってきます。
一番上の写真です。
三重塔から 少しあがった場所にある展望台から
撮った写真。
すぐ横が根岸湾。
庭園内の池に白鷺がいました。
白鷺は 世田谷区内の川でも見かけますね。
東京や横浜でも 意外と多くの野鳥がいる。
こちらは内苑です。
原家が住居にしていたところ。
三渓園では 一日一組 結婚式をあげられるそうで、
記念写真を撮っているカップルがいました。
白無垢 いいな。
果たして うちの子供たちが結婚する日は
くるのだろうか…。
これは 臨春閣。1649年建築。
和歌山県紀の川沿いに建てられていた
紀州徳川家の別邸 「巌出御殿」と考えられていたもの。
考えられていた…って どういうことだろう?
HPに書いてあったので、そのまま。
重要文化財です。
内部は狩野派を中心とした障壁画や
繊細優美な数寄屋風書院造の意匠が
残されているというけれど、
残念ながら 非公開。
聴秋閣。
徳川家光の上洛に際し、1623年に二条城内に建てられ、
のちに家光の乳母であった春日局に与えられたもの。
稲葉家の江戸屋敷に伝えられていたのを移築。
庭園内を歩いていると
日本の田舎(京都の郊外のような)にいるような
気がしてくるのですが、
由来をきくと 立派な建物ばかりですね。
石棺。奈良の海竜王寺付近から出土したもの。
5,6世紀。
蓮華院。
これは 三渓が自らの構想で建築した茶室。
大正6年。
でも土間の中央にある太い円柱とその奥の格子は
宇治平等院の古材。
…どれだけ金持ちなんでしょうね?
文化の保護や振興、横浜の都市基盤の整備から、
社会福祉まで多岐に渡り、
関東大震災で壊滅的な打撃を受けた横浜の復興には、
私財をなげうち、自らの身を挺してこれにあたり、
「横浜の恩人」と呼ばれた人物らしいですが。
鶴翔閣の前から 撮った三重塔。
外国人観光客の姿が目立ちました。
元町中華街から バスで15分。
横浜観光の際に寄るのに、
ちょうどいいんでしょうね。