先週の日曜日のことです。
いつものように スポーツクラブへ行くと
「プールが故障しており 使えません」との表示が…
プールのあとに ヨガの予定だったので、
2時間ほど時間が空いてしまいます。
2時間も ジムで過ごすなんて絶対に無理なので、
ヨガもキャンセルして 河津桜を見に
目黒の「林試の森公園」へ行くことにしました。
林試の森公園だけでは すぐに終わってしまうので、
付近をぶらぶらすることにします。
まずは 目黒駅から 行人坂を下る 道の途中
「大圓寺」
本尊の釈迦如来をはじめ
いくつか重要文化財があるらしいですが、
みることはできないようです。
境内左手には 五百羅漢
江戸三大火事の一つである 行人坂火事(明和の大火)の
犠牲者供養のために作られたそうです。
明和の大火の原因は放火だそうです。
信じられない。
この大圓寺から 出火して
麻布、京橋、日本橋と焼き尽くし、
神田、千住まで広がったあと いったん鎮火。
数時間後 本郷から再出火、駒込根岸を焼いて、
さらに翌々日 今度は馬喰町から再出火
日本橋地区が全滅したそうです。
最近 あちこち歩き回っているので、広さが実感できます。
凄まじい。
この五百羅漢には いろんな思いがこもっているのでしょうね。
大圓寺前から 行人坂を振り返って。
かなりの急勾配。
坂を下りきったところにあるのが
「雅叙園」
「お七の井戸」
あの八百屋お七のことです。
お七の死刑後 僧侶となった吉増が僧侶となり、
目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を
念仏を唱えつつ隔夜一万日の行を成し遂げた。
その念仏行に出かける前に
水垢離(みずごり)をとったのがこの井戸だそうです。
さて 雅叙園には「百段階段」と呼ばれる
東京都の有形文化財があり 見学できます。
そこへ向かう エレベーター。
内部は 人がいたので撮影しませんでしたが、
螺鈿細工で キラキラしてました。
百段階段というのは 昭和10年の建築。
7つの宴会場を99段の長い階段でつないだ建物で、
今は いろいろな企画展を開催しています。
当時の目黒雅叙園は「昭和の竜宮城」と呼ばれたそうで、超豪華。
昭和10年と言えば1935年。
大恐慌が1929年。
二・二六事件が1936年。
日中戦争が1937年~
経済が大混乱に陥り、農村が疲弊。
戦争へ向かって一直線の時代だったはずですが。
どんな時代でも お金ってあるところにはあるものですね。
この日の企画展は「めでたづくし」
予想より 見ごたえありました。
1500円の価値あり。
雅叙園 1階の様子です。
誰かと一緒だったら ここでお茶ぐらいするんですけど。
一人だったので。
雅叙園を出て、目黒川。
大鳥神社
どうってことのない 普通の神社だと思ったら、
2世紀にはすでにここにあったそうで、
日本武尊が東夷を平定したときに立ち寄り、
ここで祈願したそうです。
このあと目黒不動尊、五百羅漢寺、林試の森公園と回ったのですが、
長くなってきたので ここで いったんきります