東京都立代々木高等学校の青春 -31ページ目

東京都立代々木高等学校の青春

東京都渋谷区上原2-2-20
都立代々木高校。
校風は、何もかもとても自由だった!!
2004年3月閉校。

代々木高校では、毎日、各科目ごとに宿題はありませんでした。


だから、楽でもあります。


もちろん、同級生とも仲が良いから放課後もあちこち行ったが、図書館に行った記憶なしで、喫茶店に行っても勉強はしませんでした。


しかし、夏休みには宿題ありました。


地理は、国についてレポートです。


国語は感想文です。


9月1日は、始業式、伊藤校長先生の話が10時20分から集会室でありました。


そのあと、ホームルームで午前・午後・交替の各クラスで担任先生から話ありまた。


12時で終わりです。


楽ちんです!


9月2日は、転編入試験で在校生は休みです。


午後部の美人女子高生が合格です


女子高生とは言わず、女子が入った・・とか言ったような・・。


言い方も、時代で違います。


ジャコ



制服なしが自由の象徴みたいでした。


代々木高校が特別なのではなく、70年代は他の都立高校もみんな制服なしでした。


2学区だと、戸山、桜町、新宿、烏山工業、代々木、千歳丘、明正、世田谷工業、青山、駒場、広尾、目黒、都立大付属、千歳、松原、玉川、深沢、赤城台など


全部私服で登校していました。


制服あったのは、園芸高校、砧工業とかごく少数でした。


今は、また制服復活したようです。


学校の帰り喫茶店行ったり、どこか着替えないで遊びに行けるから便利です。


髪の長さも文句言われませんでしたね。


しかし、あまり自由すぎて欠席欠課多いと、先生に呼ばれ注意されました。



ジャコ






飲食店で夜間働いていた、交替部の高1、16才p君。


1次試験たしか落ちて、2次で合格したはずです。1次は、他の都立と同じく難しい問題でした。


英語の長文読解や作文。数学に証明問題など・・。


2次は、ガリ版印刷の手作り問題でした。簡単だけど面接もありです。3月中旬すぎでしたね。


p君は、数倍の難関の2次で入ったからたいしたものです。


都立は人気なくどこも辞退がいて、定員割れです。受験校、そうでない高校とわず2次募集ありました。


先生も、試験問題作るの面倒だから、前年と同じ問題だったりにた問題です。


ついでに、学期ごとの編入試験もありです。頭のいい子は、私立です。


そのp君、西原の方の商店街にパン買いに行ったとき、お店のおばさんに子ども扱いされていました。


「俺金ないんだ」


節約してました。


みんな、たいしてお金ないのによく喫茶店などに行きました。節約のp君とも行きました。

 

 ジャコ





代々木高校に通学当時はまだマックやケンタッキーやガストなんてあまりない時代でした。


喫茶店で時間つぶし、話などしてました。


変わり種喫茶もいろいろありました。


ライブをやっていたり、電話のある電話喫茶?音楽喫茶渋谷道玄坂のライオンや中野のクラッシックは有名でした。


美人喫茶はコーヒー1000円で女子大生と話しが出来るヾ(@°▽°@)ノ



カカ記


東京都立代々木高等学校の青春

白鳥哲君は、本名吉井君、もう50代になり芸能界は引退したかな。


亀戸から来てた。交替部でした。


同じ名前のタレントいますね。


たぶん、別人。なぜ同じ芸名にしたのだろう。


新曲、赤い鼻緒とブルージーンは、売れなかった。


赤い鼻緒が切れた・・と、売れないことを同級生にからかわれて言われてました。!!


 ジャコ