以前から書いていますが、我が家には水子がいます。

娘は「ねえね」と呼び、心の支えになっている様子。今回は「ねえね」が「ねえね」になった経緯を書きます。

「けしからん」と受け止められる内容もあるかもしれませんが、ご寛恕頂けますと幸いでございます。

 

「ねえね」は、私と妻の間の水子ではありません。

 

・・・

20年以上前。

私が大学生だったある時期に、関係を持った女性がいました。

その時私はフリーでしたが、彼女と恋愛関係には至りませんでした。

そんな関係を持った時からしばらく経ったある日、彼女から連絡が入ります。

妊娠したとの事でした。

同時期に、私以外にも関係を持った男性が複数おり、父親は分からないとの事。

ただ、この先の進路を考えた時、中絶する事を考えている。

費用面は問題ないので、私には精神的に支えてほしいとの事。

そのため私は、手術当日付き添う事を彼女に伝えました。

 

手術当日、診療開始時間より1時間前に、病院に入ります。

女医、看護師の皆様から、落ち着いた声で淡々と説明を受けます。

説明を受けた後、麻酔をかけるため彼女は手術室まで移動。

看護師からは「あなたは、ここまでです。」と冷たい一言。

彼女からは「ありがとう、もう帰っても良いよ。」との事。

「あ、うん。じゃあ、。。。。」その時、何も言葉が浮かばず。

とりあえず、彼女を見送った後待合室に移ります。

手術は朝8時台から、夕方16時頃までかかりました。

私は、その間ずっと待合室で待つことにしました。

お腹も空きましたが、自動販売機にあったコーンスープでしのぎ。

焦燥感は無いが罪悪感はあり、悲しみもどこかに存在し、心を失い遠くを見つめている様な状況。

当時の私の心境を書くと、そういった感じでした。

様子を見かねたのか、冷たかった看護師さんがカウンターの中から

「ずっと待ってるんだね。じゃあ、終わったら声かけるね。」

と少しだけ優しい口調で話しかけてくれました。

そして、術後麻酔が切れ、彼女が目覚める頃に病室に通されました。

ベット傍らのカートの上には、大量の血が付いたガーゼや器具が残されていて・・・。

過ちを犯した自覚がある中垣間見えた、中絶手術の壮絶さを痛感。。。。

20年以上前の情景を詳細に覚えているのは、ショックの大きい出来事だったからかもしれません。

その後、彼女とは病院の前でお別れ。以後交流を持つことは殆どなく。
・・・

という経験を学生時代にしていました。

この事を知っているのは、信頼のおける友人二人だけでした。

また、社会人になり結婚して10数年経つ中、妻にも話していない事でした。

ただ、後々妻から聞いた話。

結婚前の妻と付き合い始めの頃。

営みの際、避妊具を慎重に扱う自分を見て「何か過去にあったのかも」と妻は感じていた様です。

女性の勘の鋭さには敵いません。

・・・

月日は流れて、娘と暮らし始めてからのお正月。

年賀状に「特別養子縁組前提で里子と一緒に暮らしている」旨を書いたことがきっかけで話が進みます。

 

特別養子縁組成立の審判が下り、1カ月の不服申立期間が流れるのを待っている1月末のある日。

一件を知っている一人の友人から手紙が届きました。年賀状を見て思う事があり一筆書いたとの事。

里子を迎える事はとても素晴らしい事。

ただ、私が学生時代の一件を引きずっているのではないか、心配になったとの事。

等々の旨が書かれていました。

 

何気なく妻もその手紙を読んでいたので「一件って何?」と当然の質問が入ります。

いよいよ話す時が来たかと覚悟を決め、出来事を妻に話しました。

驚くこともなく、あきれる事もなく、怒ることもなく、悲しむこともなく、冷静に話を聞く妻。

話が終わると、開口一番「よし!供養してきなさい!」

 

近所の水子供養のお寺を調べて、後日赴くことに。

事の経緯から、私一人で行くことにしました。

 

お寺では、供養の前に住職から「何があったかお聞かせいただけませんか。」と聞かれます。

当該出来事の経緯、特別養子縁組前提で里子として娘を迎え入れている事、妻と話しちゃんと供養しようと思い参った。

と言う旨の説明をしました。

すると、住職は

「それはとても素晴らしい事です。

 これから供養する子が、娘さんの事をずっと見守ってくれますよ。

 安心して、これからの娘さんとの日々をお過ごしください。」

と優しい口調でお話し頂きました。

20年以上胸の中にしまっていた事。

何かが解かれたのか、私は言葉に詰まり涙目で「ありがとうございます」と合掌し応えました。

 

供養で戒名をつける際、命名しようとしていた名前、両親の所縁のある文字等を使うとの事。

私の場合、その手の材料が少なく少し困りました。

あれこれ考え、私が学生時代暮らした街の一文字を使う事に。

その文字は、私の知見の限り女性の名前に多く使用される字。そのため、水子は女の子になったのでした。

 

帰宅し、妻に一連の供養のお話を伝えると

「じゃあ、〇〇ちゃんのお姉ちゃんだね。」となり「ねえね」と我が家では呼ばれるように。

 

神棚にねえねの位牌を置くと、娘はそれが何か気になり質問してきます。

ちょうど色々なことが気になって質問してくる年頃。

そのため、娘の歳頃でも理解できるようにして伝えることにしました。

 

「〇〇ちゃんにはお姉ちゃんがいた。

 でも、昔お空に行ってしまった。今は〇〇ちゃんをお空から見守って応援している。」

と言う主旨で伝えると、娘は「ねえね」に会いたいとの事。

 

後日、今度は家族でお寺に参りをすることに。

お菓子をお供えして、帰宅しようとしたとき「ねえね~またくるね~」と手を振る娘。

娘にとって、姿は見えないが自分を支えている存在がいる「観」を芽生えさせた瞬間でした。

 

事の経緯にもある様に、自分じゃないと逃げる事もできます。

ただ、私にそんな他責の念は全くありません。

一つの「命」を死に追いやった罪は消せないと考えています。

「けしからん」と責められても当然だと思います。

 

ただ、娘が実子となる直前に友人からの便りで、けじめをつける事が出来たと思います。

娘と暮らし始めた頃、勿論ですが責任感や愛情は持っていました。

が「ねえね」の供養で、その責任感や愛情の持ち様が、より大きくなったのは確かです。

 

遠方在住で、卒業以来数度しか会えていない友人には本当に感謝。

また、供養する事に何の躊躇もなく理解を示してくれた妻にも感謝しかありません。

これから先も「ねえね」は我が家でちゃんと弔い続けたいと考えています。

 

今日はここまで。次回はSNSについて。

を、書きたいと思います。