私なりの考え方を書きますのでご容赦ください。勿論ですが、この手の事には色々な考え方があることは承知しております。
12月の正月事始めに入ったある日。
娘のために夕飯を準備していると、職場の忘年会に出掛けている妻から連絡がありました。
故郷の親戚から一報が入り、妻の母親のお父様がお亡くなりになったとの事。
以前も書きましたが、妻の家族構成は、、、
妻の父親と、他界したお母様の間に兄弟。
再婚した義母の間にも妹弟と言う家族構成で、義母のお父様がお空に旅立たれたのでした。
妻にとっては義理の祖父。娘にとっては義理の曽祖父となります。
生前、義祖父様と妻の交流は、頻繁にあったわけではないとの事でした。
ただ、折に触れて贈り物を頂いたりと、要所要所では確りと繋がりを持っていました。
私達の結婚式の際もお祝いも頂戴していました。
他界されたお母様の子供の妻や兄弟達にも、隔たりの無い交流だったと聞きます。
義祖父様の懐の深さを感じます。
ちなみに、妻の実祖父母も、義母の間に生まれた姉弟の成長の節目には、お祝いを贈っていたとの事。
妻が小学生の時にお母様が亡くなる。
教員で転勤の多い妻の父親。妻達は親戚に預けられることも多々あったとの事。
その後、義母との再婚から新しい家族が産まれる。
普通に父母がいて、のほほんと育ってきた私には、想像もつかない経験。
ただ、それぞれの祖父母や親戚の皆さんの「優しい気持ち」の中で、妻達は育まれてきたと言う事はわかります。
妻の親族の皆さんは、優しい人達ばかり。妻の兄弟姉弟も、皆まっすぐで擦れた所のないステキな人達。
そんな背景もあったので、はせ参じた方が良いかとも妻と話し合いました。
が、葬儀は近親者のみでとの事。
そのため、妻のお兄様(妻の実家の長男)の取り仕切りで、妻の実母の子供達は香典を送ることに。
私は、何かできる事はないだろうかと考えました。
その日の夕飯の際に、神棚にお酒をお供え。
私はビール、娘はオランジーナで献杯。
そして、娘に
「あのね〇〇ちゃん。ママのお爺ちゃんがお空に行ったの。だから、のんのん(手を合わせる)しよう。」
と話しかけると。
「うん。わかった~!」
と娘と並び神棚に手を合わせることに。
その後お風呂に入り、娘を寝かしつけます。
普段寝かしつける際は、昔飼っていた犬や、故郷での出来事を話すことがあります。
その日は、
「あのね、〇〇ちゃん。お空に行っちゃったママのじいじはね・・・・」
とお話をしていると
「ねえパパ。ママのじいじは、ねえねと一緒にいるの?」
と聞いてきました。
【ねえね】
以前も書きましたが、我が家には水子がいます。
性別が分からない状態でしたが、私達の中では「女の子」としています。
真実告知を始めた際に描いた家系図にも「ねえね」は記しました。
以降、娘は「ねえね」の存在をよく話します。
娘にとっても、ねえねの存在は心の支えになっている様子。
「そうだよお。ねえねと一緒に、〇〇ちゃんの事を、お空から頑張れ、頑張れって見守っているんだよお。」
というと
娘は「ねえね~、じいじ~」と天井に向かって手を振りました。
姿形は見えないけどお空にいて、いつも娘の事を見守っている存在がいる。
妻のお爺ちゃんもお空に旅立って、ねえねと同じ存在になった。
と言う死生観を4歳児ながら理解している様子。
正直、子供に死生の話はどうなんだろうと一瞬戸惑いもありました。
ただ、娘と血のつながりはなくとも、父母、祖父母はじめとした先代がいたから、私達と娘は出会えた。
私達よりも先に旅立った先代の皆様も沢山いる。
そう考えると、娘のルーツや自我を育むうえでも、伝えるべき大切な事ではないかと。
また日常生活では、7歳になる愛犬ゴルゴ(トイプー♂)も、遠くない未来にはお空に旅立つかもしれない・・・。
そんな話をすると、娘はゴルゴに優しく接するように。
等々、死生に纏わる事を伝えるのは「優しい気持ち」を育むうえで大切なのではないかと至りました。
そもそも人が故人を偲ぶ時の心持ちは「優しい気持ち」と根源は一緒なのではないかと。
なので今後も、弔事に際しては、ちゃんと娘と対話していこうと思っている次第です。
今日はここまで。次回は「ねえね」について。
を、書きたいと思います。