私たちの場合はこうでしたのお話になります。一つの参考になれば幸いです。

 

21年4月に裁判申立て。

実親の音信不通状態で、5月末の調査開始から大きな進展のない状況が続くことに。

 

とはいえ、調査官は、この間何度も実親へのコンタクトを試み続けていました。

これは、ある意味「事実」づくりを重ねていたのではないかと推察します。

また、9月には調査官による自宅訪問がありました。

これまでの児相の訪問と同様に、家の隅々までを査察する運びとなります。

穏やかにお話を頂く調査官ですが、

 

「ここでお着替えをするんですねえ。暖房が届くから冬も寒くなさそうですねえ。」 

 (風呂場と脱衣所を観ながら・・)

「ベビーゲートをここに配置されてるんですねえ、これなら階段から落ちる心配はないですねえ。」

 (2Fのリビングから続く廊下と階段口に設置したベビーゲートを観ながら・・)

「これだけワンちゃんの領域があれば、ワンちゃんもストレスはなさそうですねえ。」

 (リビングで犬との生活圏を区切っていたベビーゲートを観ながら・・)

・・・等々

 

査察する点を、あらかじめ抑えているんだという事が分かる発言が印象的でした。

元々、里子の娘に何かあってはならぬとの意識が強く、少々お金をかけてでも安全配慮は各所に施していました。

後の裁判記録を見ると、「家の中は清潔が保たれており、安全配慮も申し分ない・・」

という文面からも、「ちゃんとやっておいて良かった」が正直な感想です。

 

その後も、何度か調査官とは連絡やり取りがあり、適宜時々の状況を教えて頂きました。

ここまで来たら、あとは成り行きに任せるしかない。

そのため、進展が進むまでは、今までどおりの生活を続けようと考えていました。

 

そんな中、1つ環境変化が。

21年10月に私が転職をしました。

 

娘と一緒に暮らし始めてから今後を考えた時、働くスタイルを見直そうと考えていました。

なんのけなしに、ビズリーチに登録し、5月頃お声がけを頂いた会社とご縁があり、10月1日付で転職。

裁判申立て時に記載した調査票の、私の身の上情報が変更となります。

そのため、新しい職場の内定承諾後直ぐに、調査官に連絡し経緯を説明しました。

民間では当たり前の「転職」ですが、裁判所にはどう捉えられるか少々心配でした。

が、後々入手した裁判記録には「子供との生活のバランスを考え、転職を決意。。云々」

と、前向きな内容で記録されていてなにより。

 

そんな、21年が進み、22年の年明け。

正月休み気分がようやく抜けた1月中旬の平日に、調査官から連絡が・・・。

 

実親の音信不通が続き、意思確認が取れない。

ただ、乳児院に預けた際に、特別養子縁組の意思は表明していた。

今の状態が続くことは子供(娘)や、里親(私達)にとっても望ましい状況ではない。

以上の状況を踏まえて、事を前に進める事とした。

これから審議を進めたうえで最終的な書面(いわゆる、審判書)を送付するので待ってほしい。

と言ったような内容のご連絡でした。

 

また、審判書は実親にも送られる。

その際、私達の住所を記載する事になるが、後のトラブルを避けるため違う住所を書く事が通例。

ただし、でたらめな住所はダメ。私達夫婦が過去に住んだことのある住所にしてほしい。

どの住所にするか決めたら教えてほしい。というお話も頂きました。

 

学生時代に住んでいたアパートと言う案も浮かびましたが、今そのアパート自体があるか不明。

東京に転勤で赴任してから2回引っ越しをしていたので、2つ前の住所(東京都外)を記載することとしました。

 

その後1月末の日付で審判書が2通届きます。裁判を二つ起こしているので、2通届く運びです。

同様の審判書が実親にも送られており、1カ月の間に不服申し立てが無ければ審判確定となります。

実親は元々音信不通ではありますが、それまでの裁判所からの郵送物は、宛名不明で返送される事は無かったとの事。

そのため、同審判書も実親に届いている様子でした。

 

そして、1カ月後の2月末。

審判の確定を通知する書面が自宅に届きました。

この審判確定通知書をもとに、娘の本籍地住所の役場で入籍の手続きをとることとなります。

あらかじめ、児相に娘の本籍地を問い合わせており、幸いな事に同じ都内でした。

 

3月初の平日。会社を休み、家族3人で娘の本籍地の役場で手続きを行いました。

役場も、めったにない事の様で、担当者も手引書を引っ張り出し細々確認しながら進みます。そのため待たされることもありましたが、概ね順調に進み完了。手続きが完了したことを証明する「受理証明書」を発行いただきました。

 

コロナでステップが遅延し、裁判に要した期間も1年弱。

紆余曲折はありましたが、晴れて「家族」です。

春の訪れを知らせる様な、暖かい陽気。

沈丁花の香りが漂い始めている庁舎の脇を、妻と娘と3人で手をつないで歩きました。

 

今日はここまでで。

次回は、名前の変更裁判について書きたいと思います。