私達の場合こんな事がありましたの話になります。

 

2020年2月から、乳児院で娘との交流がスタートしました。
週末や平日休みを取り、足しげく妻と乳児院に通いました。
初め、私達を見ると泣きだし、職員の腕の中から離れようとしなかった娘。
交流を重ねるうちに3月末には、逆に私達が帰る際、妻の腕から離れたくないとぐずる様になりました。

 

世間ではコロナ流行が騒がれる中、
「インフルエンザと同じように、暖かくなれば流行も治まるでしょう。」という風に私達も安易に捉えていました。

3月末の交流を終えた後、4月にもう数回交流を重ね、問題なければ5月には乳児院での短期宿泊、自宅での短期外泊からの長期外泊、その後里子受託となる前提で事が進んでいました。

 

ところが、20年4月に緊急事態宣言が発令されて、全てが止まってしまいました。

予約していた4月の交流日の数日前に乳児院から連絡が入り、
職員がコロナに罹患し、施設の運営母体の方針で、外部交流が一切遮断との事。
以後どのような動きになるかは乳児院、児相間で連携の上追って連絡するとの事。

 

妻が長期外泊と里子受託を見越し、娘の月齢に合う服を大量に購入していました。
夜な夜な、夫婦でその服をたたみながら、期待感に胸を躍らせていたのに・・・。
なんとも空虚な心持ちに夫婦共々なりました。

 

妻はその筋の職場で働いていたので、様々な情報が入ってきます。
他の施設の話ではありますが、実親は交流ができているとの事。
実親でもない、正式な里親でもない自分達の立場の無さを実感しました。

ただ、乳児院も娘が私達の事を忘れない様にあの手この手を尽くしてくれていました。
私達の写真を絵本に張り付けて読み聞かせしてくれたり。
家の外内観、飼い犬の写真を送り、事あるごとに職員が見せ聞かせてくれたり。
娘の様子を撮った写真を挿絵的に印字した手紙を郵送いただいたり。
(正式な里親ではないため、娘の写真自体をお送りいただくのはNG。)
そんな日々が4~6月の間続きました。

 

この歳になると、3カ月、1四半期はあっという間に過ぎていきますが、当時はその三カ月がずいぶんと長く感じました。

妻がボソッと「気持ちが途切れそう。。。」と漏らしました。

 

妻は里子受託を見越し、5月から1年間の育休を職場に申請していたのでした。
職場では妻が抜けることを考慮し、配属要員を増やすなどの手配が済んでいる状況。
勿論、事情が事情なので、職場では温かい対応を頂きました。
引き続き同じ部署で妻も勤務を続ける事が許可されたのです。
ただ、増員されている事、いつ育休に入るか不透明な中、妻も本格的に稼働することはできません。

また、乳児院交流が止まっている等の職場への事情説明は、妻の発言のみ。

職場からご配慮は頂いているものの、いつまでこの状況が続くのか、目途を説明することもできず。

「本当にそうなの」と逆に疑われていないか。妻は不安になっていました。

 

そこで、里親担当の児相に、何かしら説明できる書面の発行をお願いできないか問い合わせたところ、

「子担当の児相がやるべき事で、子担当の児相に問い合わせてほしい。」との事。

子担当の児相に問い合わせると、

「都として、もしくは所轄の児相としての公式文書は発行できない。」との事。
児相担当の皆様はとてもいい人達でしたが、改めて公機関の縦割りを痛感。

とはいえ、納得がいかない状況があると突き詰めてしまう私の性分もあるのでしょうか。

何度か子担当の児相に、何かしらの文章を発行できないか交渉を続けました。

最終的には、子供担当の児相職員として近況をお知らせするお手紙を頂く。という事になりました。

 

そんな、宙ぶらりんな状態で職場では過ごし、娘と会えない事の辛さ、世の中どうなるかわからない不安を抱えたままの日々。
正直な所、妻は里親も辞退しようか、気持ちが揺らいでいたのは確かです。

そして、7月半ばのある日、児相(親側)の担当者から連絡が入ります。
伝達事項や事が前に進む情報があるわけでもなく、単なる近況伺いの電話でした。
そこで私が、それとなく妻の発言を伝えたのが、きっかけだったかは分かりません。
ただ、この電話から数日後に一気に事が進みました。

今後の進め方をすり合わせる場を設ける事となったのです。
児相の親担当の方が、方々動いていただいた様子でした。

私達、児相の親担当、子担当、乳児院の責任者、私達の住む区の子供支援課の保健師と、大人数が集まりました。

関係する全員がそろい、いつから短期宿泊や自宅外泊をするか、そこに向けた段取はどのように進めるかの具体の合意を図りました。

 

9月初週のある日、乳児院の宿泊部屋で私達と娘で1泊。
翌日私達の自宅に移動し数時間滞在後、乳児院の宿泊部屋に戻り家族三人で1泊。

翌日娘は乳児院を退所となり、1カ月の長期外泊~そのまま里子受託へ。

という運びとなりました。

 

本来であれば、短期宿泊~長期外泊~里子受託それぞれの間に、関係機関の審議会を挟んで事が進みます。
つまり審議会が開かれる間、子供は乳児院に戻る事ができます。
ただ、娘の場合はそうはいきません。
乳児院運母体の外部交流遮断の方針は変わらず。
短期宿泊で外部と交流してしまった娘は乳児院の他の子供達と交流はさせられない。
そのまま長期外泊~里親受託に進めるとなった次第でした。
児相や乳児院が出した苦肉の策だったかもしれません。
コロナ渦の特別措置とはいえ、しばらく会えていない中、万が一私達との親和性が崩れてしまっていたら、どうなていたのだろうとゾッとします。

 

とはいえ、関係各所の皆様のご尽力により、なんともなく事が運びました。

短期宿泊が終わり、乳児院の脇に車を横付けして、長期外泊に向かおうとしている時。ガラス越しや遠巻きから職員の他、娘と一緒に乳児院で育った子供達がお見送りをしてくれました。

 

みんな笑顔。

 

妻と私が
「涙のお別れって感じじゃないのが良かったです。」
といったような事を何気なく言うと、担当の職員の方が、
「そうなんですよお。里子で退所の子達はいつもこんな感じなんです。
 児童養護施設に連れて行く子たちはこうはならないんですよねえ。
 私、いつも振り返らずに涙をこらえて帰るんです・・・。」
私も妻もハッとして、しばらく何も言えなくなりました。
笑顔の友達の中には、そういう境遇になる子もいるかもしれないと思うと・・・。

 

普段から安全運転は心がけていますが、いつも以上に安全運転の車中。
娘はベビーシートで熟睡。
お見送りしてくれた子達に思いをはせる会話を妻としながら、街道を進みました。

今日はここまで。

次回は、コロナ渦で、祖父母や親戚と交流ができない中どのように過ごしたか。書きたいと思います。