私達の場合を書きますので、1つの参考例となればと思います。

 

私達は、親族の理解をある程度取り付けた状態で制度のドアを叩きました。
子供を受け入れた後の親族との交流を振り返ると、早い段階から動いておいて良かった。が所感です。

 

妻の親族は、理解を得るのに時間はかかりませんでした。
社会的養護に理解ある環境が出来上がっていたからです。

妻の父親(義父)と、他界したお母様(実母)の間に兄弟。
再婚した義母の間にも妹弟の大家族。
義父も義母も小学校教諭。

義父の義兄はお寺の住職で、そちらの親族とも交流が多く。
そのお寺では、里子を迎え入れることもあったとの事。
そのため妻が子供の頃、お寺にお泊りした際に里子達と遊んだ経験もありました。
おかげで、妻の親と親族は電話一本、LINEメッセージ数本で理解を得られました。

 

問題だったのは私の父。

団塊世代の道産子。
若くして両親(私の祖父母)を亡くしたこともあり、苦労して大学に進学し金属加工を学ぶ。
卒業後は官公庁の外郭団体に就職。転勤族で日本国内を転々とした後、海外勤務も何か国か経験。

40代後半に脱サラして技術屋フリーランスに。
その後は、世界を飛びまわり、各地で金属加工を教える。
印象的なのは、争いが治まりつつあったアフガニスタンに赴き、つい最近まで自動小銃を担いでいた半農半兵の地元の方々に、金属加工を教えるため何年も滞在。
と、なんとも特殊な職歴を持つ人。
そんな気骨な経歴が背景にあるのか、

良く言えば芯や筋の通った漢、悪く言えば頑固親父。

また、世界を見てきたから余計に自身のルーツを思うようになったのか。
帰国し日本にいる間には、自身の先祖家系図を調べ上げる等、何かと「血筋」を重視する言動が目立ちました。

 

案の定、特別養子縁組の件を伝えると、多少酒も入っていたせいか、
「不妊治療とか、まだできることがあるだろ!何なら俺が金出してやる!」
「〇〇(妻)の産んだ子供じゃなきゃダメなんだ!」
「■■家の血筋が大事なんだ!」

と大反対。2018年9月の連休で帰省した折の事でした。

ちなみに、私の母も父と同様。

 

その後、意図的に何度か帰省し、対話を重ねましたが反対姿勢は変わらず。
ただ、私の体に問題がある旨を打ち明けると、変化が現れました。

「(妻の)お父さんは、何と言っているんだ。お父さんとも話がしたい。」

となり、2019年の正月。妻の実家に父も連れて行くことに。


父と義父は歳の近いこともあってか婚礼以来仲が良く、その日も意気投合し酒を酌み交わし、縁組の話などそっちのけ。自分達の話題で盛り上がる有様。
いよいよ帰ろうかとなった際に、しびれを切らして私から話題を持ちかけました。

発声した私に父が何かを言い返そうとする所、義母が間髪入れずひと言。

 

「こんな老い先短い爺さんたちに、承諾なんていらないの!好きにやりなさい!」

 

何か言おうとしていた父は閉口。もともと了承していた義父は何も言わず。

これが決め手となりました。

後日、当人や周囲で聞いた話から、当日の父、義父の心境を整理すると。

  • 父:子供を授かる事のできない原因を婿が作ってしまいお詫びしたかった。
    (これは母も同じ思い。でも言えなかった。)
  • 義父:お詫びなんてしないでほしい。楽しくお酒を飲みましょうよ。
    (酒をすすめ、話を別な話題で弾ませてその場を終わらせたかった。)

という状況だったのではと推察しています。

母について詳しく触れていませんが、概ね父と同じ経緯となります。
特に、私の体の問題を伝えた時は、なかなか信じようとしてくれませんでした。

信じたくなかったのかもしれません。

 「〇〇ちゃん(私の妻)に申し訳ないのよ。」

と、どこかで漏らしたことを覚えています。
なので、父母の間では両家の問題として、義父とちゃんと話をする必要がある。

となったのだと思います。

 

ただ有難かったのは、あんなに反対した父母が、その後一番理解を示してくれたこと。

自身で様々な事を調べ、私達も知らない情報を持ち掛けるように。
いつの間にか知識を沢山得ていました。
また帰省の度に、他の孫達(私の妹の子供達)と隔たり無く、娘の面倒を見てくれます。
手をつなぎ、散歩に連れて行く父の後ろ姿には目頭が熱くなりました。

ある日、そんな父と娘の後姿を遠目に、


「あんなに反対していたのねえ~」
と私がボソッと漏らすと、隣にいた母は、、

「じいじはちゃんと理解できるの。はじめは消化できなかっただけwばあばも同じw」
との事。

 

当初の言動は、理解に及ばない事を息子が示した時の一時的な反応。
ちゃんと対話を重ねれば、理解してくれる親なんだと実感しました。
これまで親とは喧嘩も散々しましたが、最後まで信じてくれる、理解してくれる存在であるという事に感謝でしかありません。
また、私達も娘に対して最後まで信じる、理解する存在でありたいと、父母の姿を見て強く思う次第です。

そして、娘の目線で考えると、今の置かれた状況はとても尊いことだと思います。
娘も「じいじ、ばあば」が大好きで、帰省の日が近づくと「あと何日でじいじばあばのおうち?」と何べんも聞いてきます。
勿論、義父義母、妻方の親族の皆様も同じように可愛がってくれます。
振り返れば、自分達もそうやって育まれてきたんだなと。
娘も同じように育んでいきたい。勿論、背景事情や時代も違い自分達と全く同じ様にならない事は理解しつつも。

 

以上、親族の理解について書きました。
親族から反対があったときの対処に正解はないと思います。
ただ、反対があっても、継続的に対話を試みる事は大切だと思います。
あくまで1例として参考になれば幸いです。

次回は、制度申し込み後、児童相談所や各施設とどんなやり取りがあったか書きたいと思います。