体の問題があったことと、仕事のめぐりあわせで制度を知った。

になります。

 

私の場合、下半身に沢山いる子分達が問題でした。
数は揃っているが、突撃能力を持った精鋭がものすごく少ない事。
2か所の生成工場でクローンが量産されているのに、活発に動いている個体数が成人男性と比較して少なすぎる。
結婚して7年。不妊治療を始めた際、真っ先に知った事実でした。

 

妻の場合、同じく不妊治療を始めた矢先に、高度異形成が見つかる。
全身麻酔かつ2日ほど入院する手術治療となりました。
妊娠能力は残りましたが、可能性は下がった状態。
また、術後のトラブルも重なり、精神的なショックは相当なものでした。

 

そんなことが2017年の年明け早々に。
また、同年2月に私が転職。
転職先がハードワーク傾向にあり、毎日夜遅くに帰宅という状態に。

子供を授かろうという話は、夫婦の間でどこかなくなってしまいました。

 

その後、転職先での仕事にこ慣れてきた2018年。
妻が職場の異動で、子育て家庭を支援する部署で働く事になりました。
担当地域はヒルズからダウンタウンが凝縮された地域。
妻は勿論、職場の出来事を話すことはしませんでしたが、

 

「普通に、朗らかに子供が育つことって、マジ尊い」

と何度か呟く事がありました。
 

また、緊急対応で何度も帰宅が遅くなることがありました。
本当に様々な問題を抱えた家庭を垣間見ていたのだと思います。

そんな職場で、たまたま妻が見つけ持って帰ってきた1枚の冊子。
特別養子縁組前提の養育里親を募集する冊子でした。

ある意味、妻が社会的養護を必要とする子供を最前線で支援していたから、今の自分たちがいるのだと思います。

 

ちなみに妻のキャリア。

2009年末に結婚。2010年4月に私の転勤で東京に転居。

はじめは、OLとして丸の内や有楽町で働いていました。
数年後、何を思ったか一念発起して保健師学校へ。その後は、社会福祉的事業を営む現職場へ転身。

今思えば随分な振れ幅を持っているなあと。

 

噺はそれましたが、行きつけの居酒屋のカウンターで、冊子を二人で眺めながら、、、

身体の問題は正直、否めない。
でも子供は授かりたい。
家はある(数年前に購入済)。
お互い30代後半だけど体力はまだある。
機会は大切にしたい。
じゃあ、まずはドアを叩くことから始めよう。
と夫婦会議の結論が出ました。

特別養子縁組を考えたきっかけは以上。

次回は、どのような段取りで周囲(主に親族)の理解を経て里親制度に申し込んだか。書きたいと思います。