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昔、ジムに通っていたことがあった。細マッチョを目指して頑張っていた時期が僕にもあったのである。細マッチョになり、女性からもモテモテで、でも僕には奥さんがいるからごめんなさいねという寸劇を一度でも良いからしてみたかった……。
ある日、ジムのトレーナーから「どんな音楽を聴いていますか?」と聞かれた。
僕はためらわずに「ロック」と答えた。
そのジムのトレーナーはプッと馬鹿にしたように笑い、「ロックですか?」と僕に再度尋ねてきた。
ある程度予測はしていたが、ロックに詳しくない人のロックへのイメージってこんなもん。
キヨシローやダイヤモンド・ユカイや大友康平なんだろ。一般の人のロックのイメージは。
あるいは、不良の聴く音楽。
でも、そもそも、ギターを持つことがグレることの象徴だった時代って、旧世紀だよね。
僕が答えたロックという言葉は、言動や姿勢がロックということも含まれるが、それよりもその音楽性がロックという意味合いで使っている。
腰をふってセックスアピールをふんだんに用いたエルヴィス・プレスリーから系譜が連なる反社会的・反教育的・反道徳的姿勢としてのロックは、現在の日本でも神聖かまってちゃんや銀杏BOYZに引き継がれ、僕も彼らを支持しているものの、ロックという言葉が持つ意味の多様性はそれだけじゃない。
この場合、僕は音楽としてのロックを指している。
ロックという言葉の音楽的な定義は難しい。
エレキギターやエレキベースが鳴っていればロックなのか。ジャズだって鳴っているだろ。
ドラムが2拍目と4拍目を強調すればロックなのか。4ビートジャズやカントリーだって、そう演奏するものがあるだろ。
8ビートならロックなのか。8ビートのジャズがあるだろ。
楽器から見ても、リズムから見ても、ロックを定義するのは難しい。
だが、ロックのフィーリングをロックミュージックから確かに感じる。
ロック・イン・ジャパン・フェスティバルに行ったことがある。彼女と二人でおデートである。そういう若かりし頃が私にもあった。恋愛は素晴らしい。さすがに、会場で人目はばからずキスするとかそういった思い出はないのだが。
そのフェスでスピッツのアクトの前に、「ロックフェスティバルなのにスピッツが出ているのか」と群衆の中から声が聞こえた。
スピッツがロックじゃなくてなんなのだー!!!
スピッツはかつてパンクバンドであり、ブルーハーツの音楽のすごさに打ちのめされて活動を休止した。そこからアコギを持って、尖ったロックソングを歌ってきたバンドなのである。
初期も尖っているけれども、中期の「ハヤブサ」というアルバムはめっちゃ尖っているのでぜひ聴いてみて!
ロックと聞いてB'zやGLAYを連想する人は、スピッツの繊細さの中にあるロックのフィーリングが分からないんだろ。スピッツに限らずとも、派手さとは真逆なインディーロックのつつましさの中にあるロックのフィーリングが分からないんだろ。
B'zやGLAYのライブで両手を突き上げてよろしくやっていてくれ。
僕がこの記事で言いたいことは、ロックという音楽の多様性についてです。ロックは音楽的に本当に多様で、様々なサブジャンルを含む音楽なのに、一般の人の受け止め方が追い付いていない。拳を突き上げて「イェーイ」と盛り上がる音楽や姿勢がロックだと思われている。僕が生きている間はずっとこうなのかな……。