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●時代を歌う
「『時代を歌う』ってこと――それをエンターテイメントの人達に対してリスナーが求めなくなってきた分、ロックはちゃんとそれを担わなきゃだめだ」
時代を歌い、時代を言い当てることを意識してアルバムを作ったことをフロントマンの山口一郎はインタビューで答えている。(『MUSICA』11月号)
この時代を生きる当事者としての僕たちのリアルな気持ちを、山口さんの詞は言い当て、代弁する。
“誰かを笑う人の後ろにもそれを笑う人 それをまた笑う人 と悲しむ人”(“エンドレス”)
“エンドレス”のこの歌詞は彼の歌詞のひとつの到達点だろう。ネットが発達し、誰もが批評家になれるこの時代のことを歌った歌詞だ。YouTubeのコメント欄や匿名掲示板を見ると、この歌詞は確かに言い当てていると思う。
“セントレイ”以降、売れるために戦略的にシングルを作ってきた彼ら。しかし、「『わかりやすい』とか『売れたい』とかっていう考え方は、もうやめたんだよね。売れたいがために、JロックのDJパーティとかでかかったら盛り上がりそうな曲を作るとかさ」と『DocumentaLy』完成後のインタビューで答えている。それよりも、みんなが言いたいことを代弁してあげて、共感してくれた人が応援してくれるってスタイルがベストだと思うと語っている。
僕は最初にこのアルバムを聴いた時、地味なアルバムだなと思った。“アイデンティティ”のようなアッパーな踊れる曲は他にない。そして、サウンド面でも大きな進化はなかった。2ndアルバムと3rdアルバムの『シンシロ』の間には目を見開くような違いがあった。『シンシロ』の音はそれまでと比べて世界が開けていったような革新性があった。だが、『DocumentaLy』は4thアルバム『kikUUiki』のサウンドの焼き直しにも聴こえる。
だが、歌詞と、歌詞とサウンドのリンクは以前よりも深化している。『DocumentaLy』という造語には、"mental"と"Documentary"の意が含まれている。心のドキュメンタリーだ。そのアルバムのタイトルの通り、山口さんの心の揺れ動きが直に伝わってくる。
“意味もないのに僕は笑って 慣れた手つきで君を触ったよ 汚れてないのになぜか手を洗いたくなってしまったんだ”(“仮面の街”)
この歌詞に僕はハッとする。人間に対する深い洞察がある。
そして、歌詞の言葉はとても美しい文学的なものだ。文学の言葉はサカナクションが紡ぐフォーク的なメロディによく映える。文学(芸術)とMr.Children的なもの(共感)の融合がこのアルバムで果たされている。そして、このアルバムの前から意図していたロックとテクノ、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの融合も。このアルバムには二つのものが混じり合わさった時の快感がある。二つの異質なものが混じりあった時の違和感をテーマにした『kikUUiki』の延長線上にこのアルバムはある。そして、そのコンセプトの内容は『kikUUiki』よりも一歩前に進んでいると思う。
白眉は“ルーキー”だろう。“ナイトフィッシングイズグッド”のように遥かな高みで歌われる曲だ。サカナクションの今後の可能性を示した佳曲だと思う。
(この記事は発売当時に書いた原稿を再録したものです。)