宮沢賢治の詩をむりやりロックのジャンルで説明する | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。
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宮沢賢治の詩を無理にでも音楽にたとえるなら、言葉をイマジネイティブかつ天才的に駆使したという点で、ジミ・ヘンドリックスのギタープレイに通じるものがあり、突然、別次元からフレーズが投げかけられたり、詩が進むにつれて突飛にも思えるような転調を重ねていくという点では、プログレ的でもある。

一般的には「口語詩」とジャンル分けされる自信の詩を「心象スケッチ」と名づけて、他の詩とは一線を画したものだとする点はポスト・ロック的でもある。心象スケッチと称して内面を掘り下げて描写し、心象の世界を表現した点では、サイケデリック・ロック的である。

しかし、ノイズロックではない。彼の詩には、意味不明に思える言葉の連なりでも、美しいハーモニーを奏でている。

宇多田ヒカルが最も親しんでいる詩も賢治の詩。宇多田ヒカルは、「HIKKIは、繰り返し読むような、大好きな本とかありますか? また、お好きな作家や詩人はいますか?」という質問に対して、「最近、小説とか短編に興味なくなって詩ばかり読んでるけど、なんだかんだ言って宮沢賢治の『春と修羅 mental sketch modified』以上の衝撃を受けたことはないぜ」と答えている。


 春と修羅
         (mental sketch modified)

   

   心象のはいいろはがねから

   あけびのつるはくもにからまり

   のばらのやぶや腐植の湿地

   いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様

   (正午の管楽(くわんがく)よりもしげく

    琥珀のかけらがそそぐとき)

   いかりのにがさまた青さ

   四月の気層のひかりの底を

   唾(つばき)し はぎしりゆききする

   おれはひとりの修羅なのだ

   (風景はなみだにゆすれ)

   砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり

    れいらうの天の海には

     聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ

      ZYPRESSEN 春のいちれつ

       くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ

        その暗い脚並からは

         天山の雪の稜さへひかるのに

         (かげらふの波と白い偏光)

         まことのことばはうしなはれ

        雲はちぎれてそらをとぶ

       ああかがやきの四月の底を

      はぎしり燃えてゆききする

     おれはひとりの修羅なのだ

     (玉髄の雲がながれて

      どこで啼くその春の鳥)

     日輪青くかげろへば

       修羅は樹林に交響し

        陥りくらむ天の椀から

        黒い木の群落が延び

          その枝はかなしくしげり

         すべて二重の風景を

        喪神の森の梢から

       ひらめいてとびたつからす

       (気層いよいよすみわたり

        ひのきもしんと天に立つころ)

   草地の黄金をすぎてくるもの

   ことなくひとのかたちのもの

   けらをまとひおれを見るその農夫

   ほんたうにおれが見えるのか

   まばゆい気圏の海のそこに

   (かなしみは青々ふかく)

   ZYPRESSEN しづかにゆすれ

   鳥はまた青ぞらを截る

   (まことのことばはここになく

    修羅のなみだはつちにふる)

   

   あたらしくそらに息つけば

   ほの白く肺はちぢまり

   (このからだそらのみぢんにちらばれ)

   いてふのこずえまたひかり

   ZYPRESSEN いよいよ黒く

   雲の火ばなは降りそそぐ


100分de名著 ~宮沢賢治スペシャル~   1回目  自然からもらってきた物語