ライブ 2012.02/29@東高円寺二万電圧(迷宮から,死神,ACT,Σほか) | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。
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迷宮からのライブに行ってきたよ! 本日の二万電圧、迷宮からも含めて5組が出演。以下、演奏順にそれぞれのバンドの感想を書きますね。

【迷宮から】
ドラマーに“逃亡くそタわけ”というバンドのドラマーをサポートに迎えてのライブ。
一番目にやった新曲のイソラが良かった。メロディにもギターリフにも浸れる。
次のライブは3月8日(木)@東高円寺二万電圧。サウンド面で新しい試みをするらしい。僕は飲み会があって行けないので、誰か応援しに行って!

セットリスト
1イソラ(新曲)
2コカイン・ガール
3ラブバグ
4ブラッディ・マリー
5サケメ

【L'ecclipse Nue】
一人で機材を駆使する外国人。学校で英語を教えているという。
狂気と邪悪の限りに、マッシブアタックのMezzanineを極限まで無秩序な構成にしたような音を鳴らす。
ヴォーカルのシャウトと響く低音とストレンジで危険なサウンド。聴いている側はロボトミーされているみたいだ。

【Σ】
一人でギターを弾きながらひたすらワンリフを繰り返していた。
2曲目がかっこよかった。ノイズが覚醒していた。

僕は音楽にも“意味”を求めてしまう。音楽を聴く上では必要のない癖なのだけど。
だから、意味の固まりみたいな中村一義の音楽は自分の生活のパートナーだし、意味の世界を解放するような神聖かまってちゃんの音楽にハマるんだと思う。
ノイズだけでできた音楽に意味はない。意味から外れた音楽がノイズだからだ。たまにノイズ音楽を聴くと意味の世界の重苦しさから逃れて気持ち良くなる。歌詞のない音楽も同様に、聴いていると言葉の世界の重苦しさから逃れて気持ち良くなる。
意味の世界から脱出したいと、心の奥では思っているのだ。しかし、生きている以上、意味の世界から逃れることはできない。それならば、偽りのない愛を世界に対して打ち鳴らしたい。意味もなく進行する世界に対して、何か意味を見つけようとするならば、それは愛によるだけだ。そして、音の持つ意味は愛だ。だから、僕は音楽を聴くのだろう。
…とジョン・レノンの100億分の1も愛のない俺がクサいことを言ってますよー。これだから友達が少ないんだ。

【ACT】
演奏技術が巧みで万人受けもする、今日出ていた出演者の中で最もまっとうなアーティスト。
メロディアスなロック。クリーンなトーンのサイドギターが繰り出す流線型のメロディのポストロックな音使いが清らかだ。

【死神】
一人でその場の世界を支配していた。別格。聴き終わった後もしばらく放心状態。
尺八で始まり、ドラムを和太鼓のように打ち鳴らし、この世への呪詛のような歌を歌う。ステージを独特の風体で動く身体表現には風格が漂う。
好き嫌いを問わず、一度見ておいた方がいい。パフォーマンスの最後に客席に飛び出すところまで含めて、最初から最後まで計算し尽くされている。
その音楽性から、三上寛と無力無善寺でライブしたこともあるというのも頷ける。

この世界を愛の神と憎しみの神の、人間を使った代理戦争の世界と考えるのはどうだろう? きっと、僕らはそこでは虹の戦士なのだ。生活の中で、自分の中の愛VS憎しみの戦いや、他人との愛VS憎しみの戦いを延々と続けながら、死んでいく。死神の音楽には、そうやって死んでいく者達を三途の川の向こう側で弔う効果があると思う。

そういったファンタジーを考えないとやってらんねぇ。今の僕には生き甲斐がない。

ネット右翼とか心底羨ましいよ。やっていることの正しい悪いは置いておいて、ああいった幻想に夢中になって生きられるのは羨ましい。
願わくは、僕も芸術の幻想の中で生きられんことを。
夜戦の煙に巻かれて。

演奏中の死神は、永遠の夜戦の中で生きているように見えた。
死神が夜戦の世界を闊歩する。永遠の夜戦。その、切り取る手を祈れ。



■2012.02/29 (wed)
[東高円寺二万電圧 presents]

死神
迷宮から
ACT
L'ecclipse Nue
Σ

open / 18:30 start / 19:00
adv / 1,500yen door / 1,800yen
(+drink500yen)