こんばんは。


寝る準備に入ってるのですが、疲れてないからまだ寝られないのでもう一本流します。


ビジネスの世界では華々しいという意味で凄い人と、実力者として凄い人の2つの凄い人に大別され、同時に兼ね備えている人もいます。


華々しいというと、スティーブ・ジョブスなんかを思い浮かべる人が多いでしょうね。文字通り劇的なプレゼンテーションで聴衆を魅了する、そういった感じの人が当てはまります。


実力者というと、ウォーレンバフェットやジョージソロスのような投資家もいれば、様々なグローバル企業で数字を伴う実績をあげてきた人なんかが当てはまります。


ジョブスは分かりやすいので先の例に取り上げましたが、両方に当てはまってます。


もっとも多くの方が凄いと思う人は実力者よりも華々しい人を見てそう思うようで、地道な努力家よりも派手な方がカッコいいと思う傾向にあります。


とある野球選手が面白いことを言ってましたが、ファインプレイをするような選手は一流じゃないのだと。

でも、一般にはファインプレイをする選手が凄いと思われるんですよね。

その選手が言ったのは、予測して守備をしていれば、打球をスライディングキャッチする必要などないということで、ファインプレイがカッコいいと思ってる聴衆は実際に野球をやってみればファインプレイは危険なプレイで褒められたものではないということを分かるだろうということでした。


言ってることは理にかなってますね。

ファインプレイは無理の産物なんですね。


ビジネスの場面で華々しい振る舞いの人が好きな方はこの話を読んでどう思いますか?


さて、その華々しさは大抵プレゼンテーションを見てそう思わせられるわけですが、プレゼンテーションの本質って何か分かりますか?

プレゼンターあるいは会社の考えや方向性、商品などを聴衆に刷り込むことがプレゼンテーションの本質です。ある意味Yesを言わせる人を増やす機会なわけですね。


例えばプレゼンテーションで紹介する商品やサービスは、そのものを超えることはないのです。プレゼンテーションでそのものを超える期待を聴衆に持たせる行為は詐話なんですね。


なのでプレゼンテーションに華々しさを感じている時点で、あなたは詐話に取り込まれてしまっているのです。


ジョブスがWWDCか何かで、初代iPadを封筒から取り出して紹介したシーンがあり反響を呼びましたが、私達が使っているiPadそのものとは何も変わらないわけで、ジョブスの行った劇に聴衆が取り込まれてしまっただけなんですね。


私達はプレゼンを見る場合、その本質を見なければなりません。サービスや商品なのか、業績発表や新しい仕組みなのか分かりませんが、そのプレゼンは多くは私たちのお金か時間を消費するものなので、何を消費させようとしているのか、よく考える必要があります。


これは猜疑心を持つという話ではなく、本質を見極めるという話です。


他方の実力者は実績があるとか斬新なアイデアがあるといった聴衆とはかけ離れた圧倒的な能力を持つ人なので、自分自身が追いつくまでは一定の期間は規範になろうる人になります。


ここまで話せば分かると思いますが、トップパフォーマーを目指す人は、気を衒わずに王道を進んでしっかり築き上げる基礎の上で行動をする必要があり、華々しい人は横目で見ておくに留める必要があります。


魔法が解けた時、聴衆の持つ不満は一気に華々しかった人に向かいます。


このことに気付いたグローバル企業は次々にエバンジェライズ活動を大きく縮小して、製品やサービスの等身大の情報を提供する方向へ舵を切り直しています。


スタイリッシュであることが求められる業界は顧客やプレゼンの聴衆に夢を持たせることが非常に重要なので、華々しさがとても大切ですが、一般的なビジネスの世界は実質主義になってきていて、顧客やプレゼンの聴衆に寄り添うスタイルへ変化しています。


聴衆をどう落とすかも大切なのですが、プレゼンター自体が商品やサービスの購買者や利用者であり、そこで得られる価値の共有をストーリーとして顧客やプレゼンの聴衆に届ける目的がプレゼンの第一義になってきています。


この時流を肌で感じて、スタイルを時代に順応させていくセンスがとても大切ですが、思ったようにならないのが世の常です。


だからこそ、きちんと基礎力を身につけて、目的をきちんと達成するためのプレゼンを実践できる必要があります。

プロダクトアウト戦略によるニーズ掘り起こしよりも、商品やサービスを使うことでどういう素晴らしいユーザー体験が得られるかを共有する方が今の時代には合ってるわけです。


ということでそろそろ寝ますかねー。


素晴らしいプレゼンほど注意しなきゃダメですよ🤣

何と引き換えて得られるものなのでしょうね?