こんにちはー。
先日投稿したコレ。
別に統一教会の話をしたいわけではないのですが、次の記事を読んで、ロバート・レヴィーンの本に書いてあることは言いえて妙だなぁーって改めて思いましたね。
安倍元首相の国葬は統一教会の「マインドコントロール」に利用されるだけ (msn.com)
>困っている時にアドバイスをくれる、相談にのってくれる相手が現れる
一般に、高飛車な物言いであれば、感謝などなく、ウザいと思うだけなので、やはりアドバイスをする側は好感度が高く、誠実な感じがするんだろうと思いますね。
>優しく話を聞いてくれる
好感度が高い行動ですね。
まあ、この記事、色々なテクが書いてあって面白いのですが、返報性の原理というのは心理学の中で出てきた言葉なんですよね。
つまりは、人間心理を巧みに突くことで、あなたを取り込んでいくわけです。
希少性なんかもよくつかわれるみたいですね。それが第三者やモノの希少性であったり、あなた自身の希少性だったりと。例えば、霊視なんていう話で、あなたにはXXXXが見えるなんていうのは、あなた自身の希少性になるわけです。
ある意味、古代からある宗教以外はカルト宗教の扱いになるわけですが、そのカルト宗教の中でも人様から時間以外を奪わないものから、金銭や命まで奪うものもあって、今日ある宗教の三大宗教以外は比較的有害度が高いと私は感じています。個々の感じ方の問題なので、どこはそうじゃない、どこはそうだっていうのはご自身の中に収めてください。
私は1.5年前までは尋常じゃないくらい本を大量に読んできた人なのですが、オウム真理教に関する書籍もいくつか読んできました。
オウム真理教で興味深いのは洗脳の方法で、ゲシュタルト崩壊という心理学で説明されている状態を信者に起こさせて、洗脳をしてたんだそうです。Wikipediaを引用すると、「ゲシュタルト崩壊とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。」ということになっていて、主に視覚での全体性の喪失がとりあげられていますが、オウム真理教の場合は、この全体性の崩壊を個人の価値観の中で引き起こさせることをしているんだそうです。
その方法は、食べ物を与えない、暗い部屋に閉じ込める、口にするすべての言葉を否定するみたいな行動だそうで、こんなことを一週間くらいされると、人間の体内時計が狂い、生への希求が発生し、相手に合わせてでも生き残ろうとして、築き上げた価値観を捨てるという行動をしてしまってもおかしくはないと思います。単なる監禁ではなく、ある種自我を捨てさせるという行為なのです。
他のカルト宗教すべてが同様のテクニックを使って、信者を洗脳しているというわけではないですが、一般に命に次いで2番目か3番目に大切なお金を無理をしてでも捧げさせるには、洗脳以外で達成することはほぼ不可能だと思います。洗脳以外の方法というのは、信者が何の条件もなく自らお金を差し出すということです。高額の金員となると、一般にありえない話だと思います。
ところで、価値観を1つにすることによる集団の力は大きなものになりますが、これがゲームの世界であれば所詮ゲームの世界なので良いのですが、人間社会でとなると、その価値観はだれにとっても有意義なものなのかを問う必要があります。一人でもその価値観に同意できない人がいたら、その声を聴く必要があります。世の中ではこれをダイバーシティと言って、人類の多様性を認めていきましょうという形で動いています。またこのダイバーシティと一緒にインクルージョンという言葉も使われていて、多様性を認めて、意見の異なる人も仲間はずれにしないという考えが今の欧米の上層にある企業で基本的な考え方になっています。
ダイバーシティーでは、宗教や宗派の価値観は価値観で尊重する、されどその価値観だけには染まらないということになり、他の宗教や宗派に対する尊重をすべての人がしていく必要があります。
さて、ロバート・レヴィーンの著作にある、信用を生み出す「好感度」、「誠実性」そして「権威」、このうち権威については次の引用を見てみましょう。
>オウム真理教では、教祖の麻原彰晃がダライ・ラマに面会したことから、教団を信じ、入信した信者も少なくなかった。
自身が権威になるか、他者の権威を借りるかの違いはあるものの、ダライ・ラマという人の権威をうまく使って、人を信用させるわけですね。統一教会の広告塔とされた安倍晋三元首相が恨まれたのも、元首相という権威故の話なんだろうと思います。マスコミは報道していませんが、私は安倍晋三元首相が統一教会と非常に強いつながりがあるということを何年か前に聞いていました。なので、今回の事件で宗教関連という話が出た瞬間に統一教会が頭に浮かんでいます。
なぜ政教分離が必要なのか、これを政治家が理解していないことが恥ずかしく、どこかの党のように実際は宗教・宗派が母体にになっていることについては憲法に反すると思っています。
こういうこともあり、憲法改正を急いでいる人達がいるんだと今回改めて思わされました。
本丸は後に残して、改正をしやすい形を作る、これはソフトランディングで物事を変えるときの基本的な手法です。
宗教は政治にかかわらないで欲しいのと、政治家は宗教を議員になるために利用しないでほしいです。
政治家は堂々と活動すれば良いのです、支持を得られないのは、国民から信頼されていないからです。どうしたら信頼の継続や信頼の第一歩を得られるのか、地道に活動してきた政治家の方々を見習えば良いのです。
当たり前ですが、人々の話を聞くのです。人々を自分の考えに巻き込むのではないのです。人々の声から理想とされる世の中をどう作っていくか真剣に考えて実践したらよいのです。それにはたくさんの人と対話する機会が必要です。
演説は興味を持ってもらう第一歩にしかすぎません。陳情を多く聞き、その解決にどう自治体や国を動かしていくのか、これが政治家の役割です。
数の理論だけで政治をやっているうちは成熟した世の中になりません。
党を超えて、議員自身が考えを伝えていく必要があります。
ということで、騙しのテクは、「好感度」、「誠実性」そして「権威」を兼ね備え、言葉巧みに取り込んでいくことが基本です。
そして騙されないようにするには、自分自身が心から必要としていること以外には付き合わないことです。付き合うことで良いことがあればそれはそれでよしと思いますが、リターンの内容と時期を十分確認して、催促することが大切です。
誤解なきように言いますが、今日の投稿は政治批判でも宗教批判でもなく、騙しのテクの話です。
あと最初に言いましたが、導入部分で高飛車な物言いをされたら信用しようとは思わないでしょうし、脅しのような言い方をされても信用しないと思います。言い換えれば、そういう感じでない人のほうが騙しは成功するということです。詐欺師は目立たず、感じよく、丁寧なのです。そして給付金詐欺のように権威をうまく使いこなします。
もう一度言いますが、「好感度」、「誠実性」そして「権威」が騙しのテクのベースにあります。