こんにちは、Yoyoです。


安倍元首相の事件は残念な話ですね。

ご冥福をお祈りします。


この事件で話に上がっている統一教会という宗教団体ですが、興味深いですね。と言っても私はどの宗教にも入信するつもりがないので、いわゆる好奇心的な興味があるというだけです(勧誘不要)。


弁護士が会見で一冊の本のようなものを取り上げて、これが3000万円で売られているという話や、合同結婚で韓国人男性と結婚した日本人が暴力に遭ってる理由が韓国人男性にサタンがついてるとか、まあ片腹痛い話が多いですね。


Yoyoは実はめっちゃ心理学を学んでます。古典から臨床心理まで大学院レベルで学んでますよー。専攻は情報系で論文はデータからの知見です。

心理学で最も興味深いのが、騙す・騙されるです。文献はいくつかあるのですが、大学の先生が書いたもので読み物として最高に面白いのは、ロバート・レヴィーンのこの本ですね。



なぜ人は他人を信じるのかに鋭く切り込んでいます。


ただ、人間関係の密度と共有時間については述べていないので、若干ステレオタイプに思うところがありますが、それでいても人を信用するファクターとして、好感度、誠実性、権威の3つを取り上げたところはとても良く評価できると思います。


信用って何によって成立するものですか?


これを明確に答えられる人は騙されづらいと思いますが、毎度考えていたら疑心暗鬼になりノイローゼになりそうですね🤣🤣🤣


まあ、ほどほどに考えてみるのが良いと思います。


話を戻して、なぜ信者の方は、物質としては数千円程度の価値のものに3000万円も消費したのでしょうね?

これって何かの腕時計に3000万円払うとか、オークションで3000万円の絵画を落札するとかの行為とどう異なるのでしょうか?


いずれにしても購買者が金銭対価としての価値を認めたもしくは認めさせられたことによって、購入の承諾が成立します。


価値観は人それぞれ異なりますので、ある人にとってはゴミでも他の人にとっては生活を投げ打ってでも得たいものかもしれません。


お布施あるいは寄付の金額が大きな場合、それが慈善であるか否かにかかわらず、税務署がチェックしたら良いと思いますね。


布教に熱心なのは良いことですが、集金に熱心なのは宗教法人として団体を保護するのには値しないと思います。


以前とある教団の方から、「本当の幸せとは何か? お金は死後の世界には持っていけない」みたいなことを言われたことがありますが、「じゃあ私にあなたのお金をください」って言ったら、お茶を濁されたことがあります。

先方がこちらに求めようとしているものを、こちらがその勧誘者から得ようとすると話が終わります。

その人が既に教団にお布施で入れたという話であれば、「あなたは既に寄付によって徳を得ているので、勧誘などせず、本部の重要な役割になっていないのはおかしいのでは? 寄付を集めることがあなたの徳を上げるなら、私も寄付を集めることに集中したい」と言って話から逃れられます。

それ以外にも「あなたの残りのお金は?」とか、相手方のお金のことに話を集中させて、根掘り葉掘り聞くのもありです。言えないことが一個でも出てきたら、それを言えないには信用できないって言えば良いだけです。


私が入信しても良いと思える宗教は、信者をリスペクトして教義自体に強制力がないものだけです。神道やJahの信仰は該当しますが、私はまともに生活力のある人以外とは関わらないので、Jahについてはなかなかラスタ・ファリを学んだ人に日本では出会えてないですね。


これはみなさんにもあるかもしれませんが、高校時代の友達から連絡が来たら宗教の勧誘かよって話がままあるので、生涯金銭的負担のないもの以外は話を聞かないって言って断ってます。


ロバートの著作はぜひ読んでみてください。

大きな詐欺事件の背景を見ると、やはり共通項として取り上げられた特性が出てきます。だけじゃないのですが、ベースの要素としては必須のように思えます。


ヤバそうな人に対して私達は警戒しますが、にこやかでなんでも真摯に向き合ってくれるどこかの偉い人だと早々と信じちゃうものです。


そういう人が前面に立って勧誘してくるので、あこぎであっても宗教に入信してしまう人が絶えないんですね。