こんにちは、Yoyoです。
会社の期末なので、振り返りの時期にきています。
この一年、ゲーム漬けでしたwwwwwww
とまあそれは置いといて、今年はダイバーシティー&インクルージョン(D&I)のイニシアチブに関わっていて、仕事、プライベートそれぞれに良い影響があると思いました。
D&Iの世界は尊重と感謝です。
差別や他者をディスる行為はD&Iとは相反する行為になります。
どうしてもゲームをやってると、自分スゲーをどうにか見つけようとしてしまいますね。それは当たり前で、ゲームの目的は達成感の確保にあるので、自分を卑下しながらプレイすることは余程サドマイズ精神がない限り続かないです。ちなみに先日話した「今日も最悪、明日も頑張ろう」とことと、自分を卑下することとは違います。
この自分スゲーを述べることは悪いことではないと私は思っていて、その人が達成したことを自分で褒めているのだから、それはそれでいいんじゃないかって思ってます。
ところが、この自分スゲー発言を否定したがる人があまりにも多くいますよね。「そんなのXXXとは言えない」とか「Lv##まできてない雑魚」とか。否定してもあなたの株は上がらないんですよwwwwww
自分より格下だと思っても、「頑張ってますね!」の一言でよいじゃないですか。
D&Iは多様性の包含なので、いろんな属性の人を含めて世界が成り立っているということを伝えています。
属性というのは、性差、国籍、年齢、宗教というような内容で、どのゲームが好きかとかゲームのランクではないです。
特にD&Iは企業が多く用いる企業ポリシーや企業価値で、今では大学などの多国籍になる空間でも使われています。
ゲームの世界でもD&Iがこの先浸透していくことになると思います。
どう浸透していくかは時代の影響を受けるので、具体的な内容で言い当てることはできないかもしれませんが、例えばコミュニケーションがテンプレートからの選択に始まり、段階を経て自由テキストになるようなコミュニケーションの組み方になっていく可能性が考えられます。
D&Iの世界は他者を悪く評価すること自体が悪なのです。作品の出来が悪かった場合、作品について悪い評価がつきますが、作者については悪い評価はつかないのです。ゲームであれば、ゲームの成績については悪い評価はついても、プレイヤー自体には悪い評価はつかないということになります。
嫌がらせのようなプレイをする人がいても、それはシステム上実行可能なことであれば、そのプレイヤーはシステム上できることをやっているだけで、嫌がらせと感じるのは被害と受け止めているプレイヤーサイドの認知になります。なので、嫌がらせのようなプレイであっても、プレイヤーを悪く評価することはD&Iに反することになります。単純にプレイの方法が気に入らないだけであって、それを実行しているプレイヤーを気に入らなくなるのはD&I的には適切ではないことになります。
同じようなことが仕事でも起こりえます。
嫌がらせをされるのであれば、そこでの選択はいくつかあると思います。制止する、対抗する、言葉で述べる、解決できる人に報告する等々。嫌がらせは行為なので、その行為自体に問題があり、その実行者自体を評価しないことが大切です。
問題のある行動自体を取りあげ、それが自身にどういう悪影響があるかを述べればよいことで、実行者自体については評価をしないことになります。
なぜこういう形で対応するのかというと、相手の内奥に踏み込むことがより事態を面倒にするからです。
相手の内面は見えないので、そこを言及するとフォーカスポイントがズレていきます。
問題は行われた行為自体なので、そこにフォーカスしなければならないのに、人格にフォーカスしてしまうと問題解決が非常に難しくなってきます。
された行為について気に入らなければ気に入らないと述べればよく、実行者を好まなければ無関係になってしまえば良いということになります。相手を批判して変えることは多くの場合失敗します。行為をやめてもらうという要求をして、それが飲めるか飲めないかで関係を考えれば良いということになります。
価値観の相違はあらゆるところで発生しますが、それを許容できるかできないかなわけで、許容できなければ許容できないと述べれば良く、それでも自身が許容できない状況が続いたら関係性を切れば良いだけです。
学校だったら学校を簡単に変えられない、会社だったら会社を簡単に変えられないみたいな話をする人がいますが、なぜその学校に存在し続けなければならないのか、なぜその会社に就業し続けなければならないのか、そこまで述べられる人はいません。
許容の範囲を広げることで多くの場合は緩和できますが、自分を変えたくない人は、相手が悪いから相手が変えるべきだといいます。
この状況は、「自分との対話ができていない」ことを意味しています。
自分の価値観以外は認められないわけです。例えば嫌がらせをしてくる人には嫌がらせをする理由があるのです。これが何かを知ることが事態を解決するキーになります。相手の価値観を理解することで、嫌がらせの理由がわかれば、その嫌がらせを解決できる可能性が高くなります。
相手の価値観を理解することは、相手の価値観に同意することではないです。
例えば、「わけもなく顔を見ると殴りたくなる」という風に言われたら、その人も同じように「わけもなく顔を見ると殴りたくなる」人に殴られると、自分の行為についてその良否を考えることができます。それが階層的に起こっていることであれば、階層の最上位を止めることでその行為が起こらなくなります。
一般には、「あなたが同じようにわけもなく顔を見ると殴りたくなるという人に殴られたらどう思いますか?」という質問に相手の価値観が見えることになります。相手が殴られることを受け入れるということであれば、そういう環境を作り上げてしまえば最終的には降参することになります。
そういう環境を作れない人は距離を置くことを考えるしか回避する方法がありません。
ということで、D&Iが浸透して、争いが少なくなる世の中になることを望んでいます。
ゲームはe-sportsにもなっていて、競技です。
オリンピックは他者尊重が重要テーマです。
己に向き合えない人は他者を批判します。
己に向き合う人は関係する他者を選択します。
どっちが自分に有利な人生になると思いますか?
尊重と感謝がコミュニケーションの基本にあれば、コミュニティは長続きします。
今企業は存続に必死で、コミュニティをどう持続させるかが重要な課題になっています。
人材流動は日本以外の国では非常に活発で、会社はコミュニティを守るためにD&Iという概念を導入して、多様性の包含によってトップタレントを保持することに必死になっています。
ゲームのクランも同じじゃないですか。プレイランクやプレイスキル、報酬などでクランを移動する人がたくさんいますが、D&Iが浸透していれば少なくとも人のいざこざで誰かを失うことが極小化できるのです。
だから他者批判を禁止するリーダーが結局多くの人から支持されているのを様々なゲームで実際にみることができるのです。
強いか強くないかの軸以外に、継続できるかできないかなどの考え方の軸もあり、各プレイヤーが何を重要視するかで選択が変わると思いますが、継続的にプレイヤーが居やすい環境は他者批判を禁止している環境と考えられます。
会社もゲームも同じなんですよね。
ということで、自分と対話しながら生きていきましょう!
Yoyoさんの人生相談でしたwwwww