平成3年8月、成和脳神経内科医院として医院を再開したその日に受診された40歳の女性の方です。
この当時は、40歳半ばの頃の私の最も脂ののりきった時期のものなのですが、いまだに鮮明に記憶され、一生忘れ得ないものであり、昨日の「脳神経外科とめまい」をまさに象徴するものであり、ご紹介申し上げます。
この方は、1年来、めまいに悩まされ、紀南地区のありとあらゆる耳鼻科ならびに診療科を受診されたようですが、一向に改善されないと受診されました。神経学的検査では、注視方向に眼振を認めたため、脳幹背側部の注視中枢の病変を疑い、CTでこの部分をターゲットにして2 mm 間隔で撮影し、目的とした所に低吸収域を確認しました。このため、引き続き、造影剤を点滴して再度撮影を行い、この部分に増強効果を確認し、脳幹部の脳腫瘍の診断を下しました。
現在では、MRIで撮影すれば、簡単に病変は描出される時代ですが、当時はMRIは当地区では、どこの医療機関にも設置されていませんでした。
当時は、田辺市内には脳神経外科という診療科はなく、紀南地区で唯一あった某総合病院の脳神経外科に、脳腫瘍との診断で紹介したところ、この返事に唖然とさせられました。
それは、開業医風情が脳腫瘍の診断をつけて脳神経外科に紹介するとは失礼先番とお叱りを受け、「脳梗塞」との診断で突き返されました。そこで、”仮に脳梗塞と診断するにしても、高血圧・糖尿病・高脂血症のような基礎疾患がなくて脳梗塞が発症するものなのか、そして部位的にみてこのような場所に梗塞が起きるものか、さらに1年以上も経過しているのに、造影剤による増強効果をどのように考えるのかと再度紹介し、仮にこのような場所に脳梗塞(ラクーネ)が起きるものか、もしそうであれば症例報告として全世界に向けて発表すべきである、これは患者さんの命に関わる問題である”と、徹底的に抗議した上で反論しました。しかし、全く受け入れてもらえませんでした。
そこで3カ月後、再度CT撮影を行い、低吸収領域の拡大を確認して、再度紹介しました。この時点でも納得されませんでした。このため改めて、和歌山県立医科大学の脳神経外科へ紹介しなおして、初めて「脳腫瘍」の診断が下されました。
この方は、出来た場所が場所だけに予後が悪いことは十分に理解されるのですが、結局、自宅に帰され、最後は私が臨終を言わされることになり、この時の家族の目の冷たさは忘れることができませんでした。あたかも、私が誤診でもしたかのようでした。
この当時を振り返ってみれば、この頃の脳神経外科医はCT上の低吸収域をみれば何でも脳梗塞と考えておられたようで、こうした方々は、脳梗塞を実際診たことがあるのだろうかと疑問を持っておりました。そしてこのような1 mm 前後の病巣です。それも1年以上経過しているにも関わらず、造影剤での増強効果がみられるものなのか、考えれば考える程、憤懣やるせない思いでした。
その後、紀南地区の脳神経領域の研究会に行っても、全く議論がかみ合わず、何を考えているのかと疑問ばかりで、いつの日にか、このような研究会に行くこと自体が馬鹿らしくなってしまいました。頭痛診療に関しても、頭痛そのものの診断基準が明確でなく、群発頭痛を片頭痛と診断するような有様で、全く議論にならない状態でした。
こういったことから、当地区の脳神経外科の考え方には、納得しかねることばかりでした。当然のこととして、頭痛診療そのものも、診断基準が明確でなく、議論そのものが噛み合わないことが甚だしく、苛立たしさしかないのが実情です。