第三節 渡島蝦夷の朝貢と交易 | ひさしのブログ

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渡島蝦夷については近年まで余りよく分からなかったが、関口明氏により解明の試みがなされた


「関口説」

関口氏の指摘するところによれば、渡島蝦夷は本州の出羽国との間に恒常的な交易関係を持っており

陸及び海獣の毛皮が渡島蝦夷から出羽国への交易品の中心であった

陸獣は思うに熊の毛皮でありその熊はツキノワグマではなくヒグマであったと思われ怪獣の皮は

鯔や海豹のような皮であったと想定できる

加えて関口氏は毛皮の流入が律令制的身分秩序に動揺をきたしたと指摘しておられる


「私見」

私が推測するところ律令国家の饗給儀礼などにおいて、天皇から貴族への衣服贈与がなされており、貨幣経済が未発達であった古代律令国家においては、衣服が社会的交換価値を持っており

特に絹が珍重され、唐、新羅、高麗、渤海使への贈与や特別な功を認められた者への贈与物となっていたと

思う

加えてこの絹は大宰府が収納国の大半を占めており五位以上の貴族は競って絹を手に入れようとしたと思う

この大宰府に替わって十世紀半ば頃からは、陸奥、出羽が衣服の交易の中心となっていった


この衣服とは出羽国などが渡島蝦夷との交易によって手に入れたヒグマの毛皮であろうと思う

出羽国が大宰府に替わって衣服の交易国となったのも渡島蝦夷との交易があったからであり

毛皮の流入によって律令制的身分秩序が動揺したのは、衣服がその中心となっていたからであろうと思う


では出羽国から渡島蝦夷側には何が齎されたのであろうか


「関口説」

関口氏は金属品や穀物類が齎された事を指摘しておられる

金属品とは主に「鉄」を使ったものであるとの見解にたつ


「蓑島説」

蓑島氏は文献に石ぞく使用がある事を指摘しておられ、北海道式古墳の存在を指摘しておられる

この北海道式古墳は九世紀前後に造営されたものであり、四~六メートルの径をもつ小規模な円墳である


「鈴木説」

鈴木氏によれば前にも述べたが、江別市や恵庭市の遺跡から鉄ぞく、鉄斧、鎌、鍬先、太刀、刀子、横刀、蕨手刀などの鉄製品の所有を指摘しておられる


「私見」

これらの事を思考するなら、大半の鉄製品は出羽国との交易により渡島蝦夷が手に入れたものであろうし

これによって北海道における農業の発展があったことも分る

加えて出羽国と渡島蝦夷との交易において考えるなら、どちらか一方に不利があったと考えるより

厭くまで対等であり、出羽国は渡島蝦夷からの交易品のヒグマの皮などで利益を得、渡島蝦夷の側も

出羽国からの鉄製品によって利益を得たのである