自分の病気の進行に気づいたとき、
あー今度はこれができなくなったのかー、とひとまず認識し
できるだけ落ち込まないよう対応策を素早く考えることが
精神的に健康で居れる秘訣だと思っています。

対応策って言っても色々で、
今までと違った方法でやってみるとか、
何か補助的な役割をする道具を導入するとか、
いっそのこと諦めて人に頼んでやってもらうとか。

できないことをうじうじしていてできるようになるのなら
いくらでもうじうじしますけれど、
そういう類いの問題ではないので、
うじうじすること自体無意味なことなのではないかと。
うじうじしている自分は、好きではないし。

かといってこんなこと偉そうに書いていながらも
一応人間ですから一通りはうじうじしてるはずなんですけどね。



自分が進行するのって、自分でどうにか対処方法を探し当て
何も無かったかのようにすぐに日常に戻れるんですけど
どうも同じ病気の患者/友達の進行を聞かされると
いたたまれないというか、切なくなってしまいます。
私が心配したところで、直接的には何も役に立てないのですが。。。

昨日、ある方と電話をし、また切なくなってしまいました。
けれどこの気持ちって、私が頑張れる原動力にもなっていると気づきました。

人は、自分のためだけでなく、誰かのために動くこと、誰かの役に立てること、
それが一番価値ある生き方だし、頑張れる理由になるんだと思います。
自分さえ良ければ、何か困難が立ち向かったときに自分だけ諦めれば良いけど、
自分だけでなく他の人のためにもなるならば、そこでやすやすと投げ出すことはできない。


患者会会員、学術顧問、相談役、支援者、
この病気の状況に胸を痛めてボランティアとして関わってくれている製薬会社勤務の人、
数知れぬ多くの方が力の集結して、一年前には思っても見ないほど状況は好転しています。



「はやく服用できるように頑張りますから、それまで無理をせず、温存しておいて下さい。」


私の口から出た言葉。いつまでも元気でいてほしい。
どうか、もうこれ以上悪くならず、待っていて、と祈る気持ちです。


頑張らねば。もっともっと。