完全に闇落ちしている悠々です👿

 

 

生真面目自閉っ子A(社会人)、

孤高の大学院生B、

パンクなADHD+LDっ子C(高校生)

の凸凹三兄弟ですニコニコ

 

私の闇落ちはさておき、

 

10年以上前の

 

子供Aの小学校の就学時の思い出話です。

 

 

あの頃の私は模範的な障害児の母でした。

(模範駅な母になろうとしていました。)

 

 

 

結局、子供が中学生になった頃に

 

やさぐれ母になるんですけどね笑い泣き

 

 

 

3歳で高機能自閉症の診断が出てからは

 

本当に一生懸命でした。

 

 

 

↓診断名についてこちら  

 

 

奈落の底を一人もがきながら歩いてるような感じでした。

 

 

 

本を読み漁り、ネットを徘徊し、

 

相談できるところはどこにでも行き、

 

子供の障害を理性的に理解し、

 

受け止め、それを周りに伝え、

 

幼稚園にも学校にも足繁く通いました。

 

自分は子供の障害を受け入れられないような、みっともない母親ではない!

 

と自分が惨めにならないように必死でした。

 

 

 

療育も良いと思うことはとりあえず、

 

なんでもやっていました。

 

 

 

そして、発達障害児親子が

 

本格的な日本の教育システムへ

 

取り込まれる最初の関門、

 

小学校入学時の就学先を

 

決定する時を迎えました。

 

 

 

その時の私は、

 

「子供のため」、支援級一択しか

 

考えていませんでした。

 

子供にあった、手厚い教育をしてほしい。

 

通常級で他の子供の迷惑になるような

 

ことだけはあってはならない・・・

 

そう信じていました。

 

 

 

前もって、就学相談も受け、

 

相談員さんの立ち会いの元、

 

意気揚々?と入学する学校に

 

見学に行ったのでした。

(見学の前にすでに学校は訪問し、校長とも話し合いをしていました。)

 

 

 

そして、当日、私が見たのは

 

支援級(情緒)のあまりにも・・・

 

 

 

すみません、長くなるので続きます。

 

 

 

 

 

毎日、大変な思いをしている皆さん、がむしゃらに日々を過ごしていたら、陽がさす日が必ず来るはずです。頑張りましょう!

 

 

発達関係の記事一覧はこちらをクリック

ほとんどアメ限なので、興味のある方はアメンバー申請をしてください。