そんなあたしも、なんとか新しい道を見つけました。
約1ヶ月前に受験したあの本命病院、内定をいただきました。
内定を知ったきっかけもすごい思いがけなくて、大体あたし自身なんだかんだで受かる気持ちが強くて(何様だ)、その通知にもあんまり驚かなかった。
だけど一応、ほっとした。
1ヶ月前に願っていたハッピーエンドが叶った。
応援してくれてた皆さん、本当にありがとうございました。
だけど、正直な話、その通知を知ったときあたしが一番に感じたのは、責任だった。
上手くいけば来年からそこで看護師として患者さんと関わらなければならない、そう思うと、今の自分ではどうも未熟すぎる。
でも、やっていかなくちゃいけない。
ここ最近そんなことを考えさせられて、本当に正直なところ、重荷としてでしか受け止められなかった。
だけどそれも結局、将来に関する不安。
今はとにかく、今感じる不安を拭うために、頑張るしかない。
何よりも、この不況のなか内定をもらえたこと自体、嬉しいことではないか。
あたしは贅沢を、言っているのかな。
突然だけれど、周りのひとの優しさ自慢をします。
ある親友は、今回の内定をいただけた件に関して、自分のことのように、むしろきっとあたし以上に、泣いて喜んでくれました。
他の友達も、内定の報告をしたら「よく頑張ったね」「お疲れさま」と、労りの言葉をくれました。
「あたしも頑張ろう!と思えた」と言ってくれる人もいました。
同志とも言えるある友達は、あたしがあることでめっちゃ落ち込んでいたときに、その横でずっと話を聞いて、ひたすらほめてくれました。
「ありこでよかった」と泣いてくれました。
お姉さん的存在のある友達からは、何も話してないのに、どこで聞き付けたのか、「おめでとう」を満開笑顔で言ってくれました。
ある幼なじみの友達は、そんなことする人じゃないと思っていたのに、長文メールで祝ってくれました。
ある人は、「辛いことがあった」と少しこぼしただけで電話をかけてきてくれました。
ある友達は、あたしの悪いところに気付いて指摘したとしても、必ず「そんなところが好きなんだ」と言ってくれます。
辛くて苦しいときには特に人からの優しさが滲む。
だけど、楽しくて楽しくてしょうがない日々のなかでも、周りの優しさを感じられたらいい。
とりわけあたしは、周りの人の優しさを見習って過ごしていけたらすごくいい。
思いやりのある一日を
しーゆー