会ったこともない人や話したこともない人のことをものすごく信じることが出来たり、はたまた悪口まで言えてしまうあたしは、なんて面白味にかけていてかつ悲しい人間なのだろう。

でもあたしはただ、好きなものを好きだって、ちょっと大袈裟に唱えてみただけ‥
とかゆうとまた言い訳がましく聞こえてしまって自分を恥ずかしく思う。

でも彼女は言っていた。
「高い誇りは他人には汚すことは出来ないんだよ」と。
きっとその通りなんだろうな、とあたしは心から思う。

具体的に話すと、
自分の好きな人を否定するようなことが書かれていて。
なんでか分からんけどいつもそういうの読みたくなるんよね、あたし。
んで落ち込むんね(笑)
だけど最近、てゆうか今回は、いつもなら落ち込んでただろうことも、全く傷付かなかった。
ちょっと気にとめたけれど、「ふ~ん」で終わっていった。

なんといわれようとあたしは、彼らがすきで、彼女達がすき。
そんな圧倒的に高い誇りがあるもの。
会ったことがなくたって、話したことがなくたって、それでもあたしは好きなのだ!

だって、人格を変えたまではいかないものの、考え方が変わったんだって実感する。
「優しくなりたい」と思うようになった。
あたしも以前は綺麗事は嫌いだった。
本音で生きようとしない人の意味がわからなかった。
傷付けても、傷付けられておあいこ、だなんて思っていた。
今もきっと全然優しくなれていない、だけど、前よりも人のことを思うようになった。
いつも思っていた「あたしじゃなくても大丈夫でしょ」っていう考えも、大分なくなってきた。

こんなあたしの価値観を「ばかみたい」とか「勝手にやってなさい」って思う人もきっといるんだろう。
そんな人をまたとやかく言うつもりもない。
あたしのなかで「優しい」って絶対的に揺るがないものだから~

ももちゃんがね、前々回の記事のコメントで、「人間が心を持っているのは人を愛するためだ」みたいなことをゆっててね、そうだな~って深く共感したよ。
あと、誰だっけ。「人間は考える葦だ」みたいな名言残してる人もいるよね。
心を授かった以上、思ったり考えたり感じたりすることを蔑ろにしたくないなって思ったよー

そしてここまできてやっと、随分ひとりよがりに自分の価値観を書いてしまったことに気付く。
全部あたしの価値観だから気にしないでね。

とどのつまり言いたかったのは、こんなにも尊敬できる人に出逢えてよかったなってこと。(まあ出会ってはないけれど)
そんで、否定せずに見守ってくれてたまにほめることで背中を押してくれる友達がいることが嬉しいってこと。
まだまだ短い人生だけど、一人くらいあたしの考えに否定的な人っていると思うんだよね~
でも言わずに見守ってくれてるってことも、ひとつの優しさだと思うんだ~。
優しい友達が多い、って思うんです。

あ、そんでそんで、myzk先生が優しかった件について。

あ、続く魚座