あたしって意外と寛容な心の持ち主?ww
と一瞬勘違いしてました。
多分、気付いてないだけ。むしろ慣れてしまっただけ。
「慣れ」の力は強い、がしかし怖い、と思いました。
楽しかったぜよ。
いろんな意味で。
面白かったぜよ。
いろんな意味で。
人の話をきけることは無条件に優しい。
みんなに好かれる要素が確かにそこにあった。もう超~すき。
そして、その優しさにそっと身を預けて泣ける勇気。
本当に安心したんだろうな。
単純に、
「あ、いいな~」って思った。
不満ばっかり話す人を、いつもは心のなかで非難し続けてきたけど、今は違う。
もしかしたら本当に苦しいのかも、とちょっと思える。
自分のなかに閉じ込めておけないくらい大きなものかもしれない、って今は考えられる。
「大丈夫」って言いきってもらえればすごい励みになるのに、「大丈夫?」って聞かれてしまうと途端に冷める。最近のあたしの苦手ワード。
人はやっぱり、構ってほしいんだろうね、なんだかんだ。
心のこもってない「頑張れ」は他人事のように聞こえて嫌だ、と言われたときから、言葉は選んで使わなきゃ、って思った。
客観的にみたら、所詮他人事なんだけどね。だけど他人事として済まされるのは嫌。
でも多分それってワガママじゃない。当たり前のことなんだと思う。人間の生理的欲求。マズローのでゆえば下の方に位置するんかな。「愛と帰属」って段階あったよね。それかな。
愛の反対語は無関心。ならば人が弱っているときに、無関心だけは避けたいものですね。
って前にあのあたしの大好きなグラビアあがりの女優さんがゆってた。(なんとなく誰かはわかるでしょ。あえて名前を伏せてみる)
人の痛みに無関心な自分をそろそろ変えたい。いや、今変えてる途中。
相談されるってすごい苦手。
解決策を見つけられないから。自分の強い気持ちもあんまりないから。
きくだけでいい、ってときもそりゃああるだけど、もちろんそんなことばっかりでもない。形を求めてしまうこともあるでしょ。
あと、そうゆうときに限って本音しかいえない。妥協して嘘がつけない。
周りからみて羨ましがられても、本人にとってはとてつもなく大きなコンプレックスだったりするんだよ。
ふふふ。だけど、手に入ってない状態がいいね。だって、後は手に入れるだけ。
手に入れるのは難しくても、少しずつでも近づいていってる感触を感じるのは、とても気持ちが良い。
最初から手に入れてたんじゃ、その感触を味わえない。そういう意味では、得してるッッ!!
そうやって頑張っていこ。
最後の写真、
あたしが箸とお手拭きで作った特製のれんを使って、いかにも居酒屋3件目!的な顔を作ってもらって撮った。
爆笑だった。
ももなんて呑んでもないのに本当に顔が赤いから笑える。
楽しかった。だいすき。
もうこれでほんとーに最後だろうな。寂し。
さー寝よ。
しーゆー