「劇場型政治家」小池百合子の限界...頼れる誰かに擦り寄る力と「丸のみ」にした3つの政策

Yahoo news  2024/7/5(金)  ニューズウィーク日本版 【広野真嗣(ノンフィクション作家)】

 

7月7日に迫る都知事選、3選にひそむ落とし穴。大衆の敵を作り出し、ワンフレーズで局面を変える...小池劇場の終わりの始まり

 

 

「こんなひどいの、初めて」──。街宣車の屋根から降りてきた現職の東京都知事、小池百合子が車椅子の男の耳元に曇った顔を近づけてそう言った。それは今、与野党対決の構図で行われている知事選の2カ月前、4月の衆議院東京15区(江東区)補選でのことだ。耳打ちされた男は、この補選に挑んだ作家で政治団体「ファーストの会」副代表の乙武洋匡である。

乙武と小池という組み合わせは、この補選で誕生した新しいコンビだ。片や乙武は、『五体不満足』が累計発行部数600万部という記録を打ち立てたベストセラー作家で、元都教育委員でもある。

小池は、乙武を擁立した地域政党「都民ファーストの会」(都民ファ)の特別顧問。昨年、豊島区長選や江東区長選で小池カラーの候補を当選させ、都知事選も優勢は揺るがない。

鬼に金棒の乙武だったが、ふたを開けてみれば、1万9655票の5位に沈んだ。冒頭の街頭演説で2人を苦しめていたのは、醜悪な選挙妨害パフォーマンスをネット発信する「つばさの党」(代表・黒川敦彦)だ。

 

小池が都知事3選への出馬表明をした6月12日、私は乙武自身にインタビューの機会を得て、何が起きていたかを聞いた。

「過去2人の逮捕者を出し注目の選挙区となったせいか、1人の枠に対して立候補者が異例の9人にも上った。このことに有権者には〈選挙区をおもちゃにするな〉という憤りがあったと思います」

つばさの大音量の罵声によって演説が聴衆の耳に届かないばかりか、その場にいる者に激しい嫌悪感をもたらした、と乙武が続ける。

「つばさの敵対対象の一番手が私で、政治的に大きな看板を背負う小池さんも加わって騒ぎは大きくなった。そのことで、(こちらは)被害者なのに〈荒らしに来た側〉というカテゴリーに見なされた面はあるかと思います」。それでも、小池の力強さを改めて痛感したというのである。

「妨害を避けて連日、選挙カーに乗って1日3時間も区内を回るんですが、歩道からこちらに目を向けた人が小池さんに気付いたとき、とりわけ中高年女性からは『会えてうれしい』という反応が返ってきた」

 

【「ハイ、水分補給」】

乙武と小池の最初の接点は、昨年8月にスタートした都民ファの政治塾「ファースト政経塾」だった。ゲスト講師として乙武を2度招き、今年2月に出馬を打診している。

「かつては豊洲市場移転の見直しのやり方など、有権者としてはあまり小池さんを評価できませんでした。しかし、この2年ほどの都の政策を見ているうち、アレ?と思うことが増えた」と乙武は語る。

 

世論が求めているものに敏感な政治家

例えば2022年、都は性的少数者のカップルを対象とするパートナーシップ宣誓制度を開始。23年には、妊娠・出産を望みつつ仕事など環境が整わない女性のための卵子凍結の助成制度も導入した。

「さらに小池さんに近い(衆院議員の)野田聖子さんや都民ファの都議たちからも話を聞いていて、小池さんは女性やマイノリティーへの思いがある人なんだ、本人はあまり語らないけれど、その思いは本当だなと感じるようになったんです」(乙武)

今年3月、乙武擁立を発表した際、小池は、「インクルーシブな社会を体現する人物」と起用理由を述べて乙武を感動させている。その上、距離の縮め方にも小池流があった。

「連日長時間、一緒に選挙カーに乗っていると、車椅子に備えた水筒を取って『ハイ、水分補給』と口元で持ってくれたり、チョコやのどアメを口に放り込んでくれたり。そんな一面があって、意外だったんです」

世話焼きは選挙後も続き、つばさへのストレスから不眠症に悩まされていた乙武に、5日間にわたって毎日、体を気遣う電話をよこしたというのだ。

正直、私は驚いた。と同時に、小池はそこまで乙武という新しい力に執着していたのかとも感じた。

 

小池は世論が求めているものに敏感な政治家だ小泉純一郎内閣の環境相在任中の05年、クールビズの旗振り役を務めたが、小泉が郵政解散を打つやいなや反対派への刺客に名乗り出て脚光を浴び、同時に小泉に自分を売り込んでみせた。

 

環境意識や改革への期待の高まりといった新しい潮流を取り込みながら権力の階段を上り、その都度、「頼りになる誰か」を見つける嗅覚は天才的といえる。

その誰かとは、1990年代は細川護熙や小沢一郎であり、2000年代は小泉だ。

 

2007年の第1次安倍内閣では女性初の防衛大臣に抜擢された KOICHI KAMOSHIDA/GETTY IMAGES

 

最長政権を築いた安倍晋三は小池を苦手としたが、その小池についてはこう言い表した。

小池さんはいい人ですよ。いい人だし、人たらしでもある。相手に勢いがある時は、近づいてくるのです。2016年に知事に就任した当初は、私の背中をさすりながら話しかけてきて、次の衆院選では自民党の応援に行きますからね、とまで言っていたのです。

しかし、相手を倒せると思った時は、パッとやってきて、横っ腹を刺すんです〉(『安倍晋三 回顧録』)

 

安倍をさすった1年後の都議選で都民ファを率いた小池は圧勝し、自民党は歴史的大敗を喫した。その余勢を駆った小池は国政政党・希望の党を立ち上げ、あわや政権交代か、という局面を創出してみせた。

 

小池の力の源泉は何なのか

その後は鳴りを潜めたが、コロナ禍を経て、仇敵・自民党都連会長の萩生田光一に頼られるほどの存在感を放ちつつ、知事3選をうかがう位置にいる。この小池の力の源泉は何なのか。今、どんな新しい価値を取り込もうとしているのか。そして、足場とする都庁で何が起きているのだろうか。

【トランプそっくり】

小池の発信には独特のスタイルがある。「ブラックボックス」や「チルドレンファースト」など、横文字交じりのもっともらしい言葉選びで人々の意表を突き、時に「人民の敵はあいつだ」とばかりに敵を名指しして喝采を浴びようとする。

2期目の任期中、都民の健康や生命を脅かす新型コロナの現場指揮官としてすら、そうだった。

例えば初期最大の危機だった21年正月早々、小池が、埼玉、神奈川、千葉の3県知事と連れ立って内閣府にコロナ対策担当相の西村康稔を訪ねた「事件」をご記憶だろうか。やおら緊急事態宣言の発出を求め、拒む政府を押し切って新年のお茶の間をアッと言わせた。

ただ本来、追及を受ける立場にあったのは小池だ。大みそかには都内で約1300人という過去最大の感染者数を記録し、重症者も急増して全国に不安が広がっていた。小池はその一瞬を捉えたのだが、直前まで対応を迫られていたのは小池その人だった。

さかのぼれば20年秋から感染が拡大するなか、慌てた国の専門家が11月20日、GoToトラベルの停止などを求める提言を発表。大阪府や北海道の知事は一部停止に応じたのに対し、観光客の最大の供給地である東京都の小池は無反応だった。

国民に嫌がられる対応には手を出さないのが小池流。都合が悪いと記者に質問をさせないのも常套手段だった。たまたま同じ日に行われた定例会見は実に異様で、40分ほどの枠の半分以上を、小池自身が都の事業発表を読み上げることでつぶすのだ。いずれも目の前の危機とは関係ない、資料を配れば済む話なのに。

クラブ所属の記者でもさすがにたまらずGoToをやめないのかと聞くと、小池は「国が責任を持ってやっておられると考えております。それを徹底していただきたい」。こうして対応はずるずると遅れていった。

先送りの責任が問われる窮地にあったはずが、正月に一転、動きの遅い政府を動かす救世主であるかのように登場して、攻守を切り替えることに成功。悪者は緊急事態宣言に消極的な首相の菅義偉だ、という構図に塗り替えてしまった。

 

発信の材料に変える瞬発力

人々の不安や不満のくすぶりを感じ取るや、たちまち発信の材料に変える瞬発力。これこそが小池の真骨頂である。

ちなみに、この21年正月の世界的な大ニュースといえば、1000人以上のドナルド・トランプ米大統領(当時)の支持者が米連邦議会議事堂を襲撃した事件だ。暴力的な混乱で選挙結果を覆そうとするなど正気の沙汰ではないが、これまでもトランプは自国凋落への不安をあおり、支持を調達してきた。

人々の不安を糾合して政治の中枢に要求を突き付ける構図に着目すると、日米の2人のポピュリストが実によく似ていることに気付かされる。

注目される小池の発信は、「行き当たりばったり」であることも少なくない。それが逆風を食らうこともあるが、むしろその逆風に向き合ってから見せた「もう1つの力」に触れておきたい。

音楽ならば音符でなく休符のように、沈黙が効果を持つことがある。発信する力を持つ小池が、沈黙する力についてである。

「排除します」──。

17年9月、近づく解散総選挙に向けて、希望の党への合流を希望する民進党系の立候補予定者について、小池が安全保障観を軸に選別する、という趣旨で発言したこの一言が、世論の反感を呼んだ。

小池への期待は、一転、急激に収縮。そして希望の党は選挙で惨敗を喫することになる。

 

「沈黙する力」でカムバック

小池はこの自爆で、国政で再び勇躍する最大のチャンスを逸した。当時、小池に接した都庁幹部は、「失意で倒れるんじゃないかと思った」と語った。落胆のせいか、その後、小池は静かになった。強烈な発信も控えた。

そして驚くべきことに、その沈黙はその後の丸2年余り、コロナの流行前まで続いたのである。

朝日新聞の1面記事を16年7月からめくってみると、最初の1年は、小池の報酬半減の方針、豊洲移転や東京五輪の会場の見直しに関する発信や報告が毎月、時には毎週のように1面を飾っている。

これに対して総選挙の17年10月以降コロナまでは、選挙総括や党首交代のニュースを除けば、小池による「攻めの発信」が1面を飾ったことは一度もない。

見逃せないのは、それで政治力がついえるかと思いきや、事実は逆だったことだ。

確かに17年4月に74%あった支持率は、騒動後の18年7月は49%にまで落ち込んだ(いずれも朝日新聞)。しかし、20年初めからのコロナ禍で人々の不安が膨らむのを感じ取り、持ち前の発信力に再び火を入れた。

迎えた7月の都知事選では、歴代2位の366万票という圧倒的な得票を得て再選。21年6月の支持率は57%にまで回復している。

 

金の問題が出ないのが一番の強み

復活の下地には「何もしないと支持率が上がる」という都政らしい現象も重なっている。

都庁は道路や公園の整備・管理から福祉に至るまで26もの局を持ち、16兆円もの予算を動かす巨大官庁だ。しかもインフラや五輪のようなイベントを除けば、多くは地味な実務の塊で、人々と直接対面する市区町村を財源や事務でサポートする仕事も少なくない。

新聞には都政などを報じる「都民版」のページがあるが、16兆円に対して各紙とも1ページのみ。一般的な感覚として都民が見ているのは国政であって都政ではないからだ。

国政ならば新聞の1面や政治面は当然のこと、国際面や経済面でも政策が扱われる。また、他の道府県の地方紙なら県政が日常的に1面、2面に上る。そのいずれと比べても、都政の報道量は規模のわりに少ない(ウェブの記事量もおおむねこれに比例する)。

「大過なければまあいいや」という都民の感覚を反映しているのだ。その証拠に、多額の血税で新銀行東京の累積赤字を補塡した石原都政でさえ、決定当時の08年3月に47%に下がった支持率が、翌年には52%に回復したのである。

 

以下は私の仮説だが、17年の騒動以降、知事の座からの転落の危機を感じた小池は必死にサバイバルの道を考え、「危ない橋は渡らない、黙っていよう」と肚(はら)を決めたのではないか。強みを捨てる、難しい判断だ。

仮説を補うように、ある元都庁幹部からは「われわれ職員との会食でも小池知事は全部割り勘ですよ。金の問題が出ないのが小池さんの一番の強み」という証言を聞いた。

高額な交際費支出で批判を浴びた石原慎太郎の反省に立ったのだろうが、何かが変だ。政治家の強みがダメージコントロール? 政策への情熱ではないのか? そう、小池は守り。もはや攻めていなかった。

考えてみると、コロナで実務を主導しないのも、質問つぶしの記者会見も、発信でなく沈黙、積極的な選択というよりは消極的な選択だ。

いずれも、「そうすることでひんしゅくを買うことがあるかもしれないが、致命傷にはならない」という計算が働いている。あえて隠蔽しなくても不都合な真実が隠れやすい都政の「地の利」を最大限に生かす。それが小池の得意技になっている。

 

【「擦り寄る力」と3つの政策】

こうした振る舞い一つを見ても、小池の2期8年は盤石でも安泰でもなかった。もちろん知事は4年の任期中は辞めさせられないが、議会に与党を形成できなければ予算も通せない。与党から首相が出る議院内閣制とは、そこが異なる。

丸のみしてきた3つの政策

自ら特別顧問として率いた都民ファでは過半数に届かず、復権していく自民党都連との関係修復もままならない。だからその都度、権力固めに協力してくれる「誰か」を求め、その誰かを取り込むため、彼らが望む政策を丸のみしてきた。

ここで3つの政策を示したい。

第1の政策は、初期の小池都政が力を入れ、18年に成立させた都受動喫煙防止条例だ。条例が施行されたのは20年4月。飲食店でも従業員を雇っていれば原則禁煙という、国の法律に上乗せした規制だ。小池とタッグを組んでこれを強力に推進したのは、2万人の医師が加盟する都医師会(尾崎治夫会長)だった。

開業医の利益団体である医師会は伝統的に自民党に近い。だが、小池の都民ファが議会で多数を握れるか否か最初の分水嶺だった17年の都議選に際し、いまだ自民党につくか小池につくかと各種の業界団体が戸惑うなか、いち早く小池支持に回った。

「借り」ができた相手には無理を言えないのだ、と感じたのは後のコロナ禍だ。小池は、都医師会と対峙することには消極的だった。

21年7月の第5波では再び医療崩壊が起き、病床確保に協力しない民間病院に対して都民から怨嗟の声が上がった。改正感染症法では、知事は病院に病床確保の協力要請ができた。正当な理由なく拒めば、勧告し、従わなければ医療機関名を公表する制裁措置もできた。

ところが、あれだけ世論に敏感な小池なのに、協力要請を出したのは感染の勢いが鈍化し始めた8月23日になってから。悪目立ちしないよう、わざわざ厚労省に赴き、「都は国と一緒に要請した」という形を取った。

その日のぶら下がり会見はわずか12分間で、医師の「コロナ診療をやらない自由」と戦うポーズは取らなかった。かつて小池は都議と都庁の「なれ合い」を批判したが、小池は自らの権力を支える勢力とはなれ合っていた。

 

【「わが世の春」の公明党】

第2の政策は、小池が2期目の「レガシー」に掲げる、「高校授業料完全無償化」だ。

小池都政2年目の17年、国の制度に先行する形で世帯年収760万円未満を対象に私立高の無償化をスタートさせ、20年に910万円未満まで枠を拡大。今年4月に全ての所得制限を撤廃している。

この政策は、もとは都議会公明党の主張だ。これを丸のみすることに都庁内では反対論が強かったが、小池が押し切った。

16年の知事選は自民党と共に敵対候補を支援した公明党だが、その年の12月に自民党と「連立解消」を宣言し、「小池都政とは是々非々」という立場を鮮明にする。

公明党の存在感とバラマキ

公明党は従来から、支持母体である宗教法人・創価学会(本部・新宿区)のお膝元である東京都では、与党であることにこだわってきた。さらに新人が多い都民ファに代わって、議会運営の経験を持つ公明党の存在感は年を追うごとに大きくなった。

そして際限のないバラマキを主導するようになったのだ。

自民党と小池の関係が修復する少し前、ある都議会公明党幹部は小池批判に血道を上げる自民党都議のことを「軍鶏(しゃも)のけんかみたい」と嘲笑する一方、政策を丸のみしていく小池のことは「やりたいことなんてないんじゃない? 知事になりたかっただけの人だから」と語っていた。

腰を低くするほかない小池を前に、公明党はわが世の春を謳歌していた。

ちなみに、所得制限の完全撤廃の発表は昨年12月に唐突に今春開始が発表された。その唐突さから、国政転出と知事3選両にらみのアピールのにおいが漂った。実際、小池に長期的な時間軸を持った深い考えがあったとは思えない

開始直後から、近隣の神奈川、埼玉、千葉の3県知事それぞれから「都が打ち出す施策に追い付くことができない」(神奈川県知事・黒岩祐治)などと苦言や不均衡への懸念の声が相次いだのは当然のことだ。

子育て世帯は東京に移住したほうが有利になり、一極集中に拍車をかける懸念がある。小池は「本来は国が責任を持って行うべき」と、またしても国のせいにしてかわしたが、ならば国に働きかけるのが先だろう。

さらに無償化で受験生の私学志向が強まることは間違いない。人口減少と相まって、都立では上位の進学校でさえ5、6年後の定員割れが予測されている。

明治から戦後の復興期にかけて、日本は私立と公立を車の両輪にすることで、急増する進学需要と高い教育レベルを両立させてきた。だが定員割れで都立の統廃合が加速すれば、僻地から順に都立校が消え、選択肢の幅は大きく減ることになる。

小池と公明の蜜月のレガシーが、東京都の教育レガシーを崩壊させるなど笑えない冗談ではないか。

 

20年知事選で、自民党は独自候補の擁立を断念。小池が圧勝したのは前述のとおりだが、同時に行われた4つの都議補選で自民党が全勝し、小池と自民党の双方ウィンウィンの結果となった。

都民ファの候補の応援をせず、いわば部下を見捨てて得たこの結果に、小池は深い満足の表情を浮かべていたそうだ。

 

大型地下鉄建設

知事選後、都議会自民党の都議は「是々非々の姿勢は変わらない」と発言していたが、小池に「軍鶏のけんか」を仕掛けなくなった。小池は議会に安定を想定し得る、「普通の都知事の権力」を獲得したのだ。

それによって何が起きたか。第3の政策として東京メトロ有楽町線・南北線の延伸プロジェクトの例に触れておこう。

マンション開発が進む臨海部の豊洲と、東京スカイツリーにも近い住吉を結ぶこの延伸計画を今年5月、都の都市計画審議会が承認した。建設費は1420億円。開業すれば副都心線の08年以来という久しぶりの大型地下鉄建設だ。

この延伸は元江東区長、山﨑孝明(23年4月に急死)の悲願だった。山﨑は、自民党の区議や都議を経て区長を4期務め、23区長会長に上り詰めた実力者。元首相の森喜朗に近く、息子も自民党都連幹部だった。

20年知事選を控えた19年10月、山﨑と面会した小池は「全力で取り組んでいきたい」と熱弁。小池再選後の21年の協議で、都が年来の主張であったメトロと都営の一体化を求めないと明言したことがきっかけで、メトロも都などの補助を前提に消極姿勢から建設容認に転じた。

小池にとっては山﨑の要望に応えたことになるが、大きな方針転換ではあった。

これまで東京都はメトロ株の47%を保有することによって、潤沢なキャッシュフローを誇るメトロに影響力を及ぼし、路線の整備や地上出口エレベータなど環境整備を促すことができた。

そこに公益性を見いだしていたからこそ株保有や一元化にこだわったはずだが、結局、53%の株を保有する筆頭株主の国の求めに応じて、都の保有株も放出することを決めた。

儲かり体質のメトロ株を手放し、将来的な都市基盤のための投資余力を失うデメリットが生じるが、前出の政策同様、小池が将来のことまで考えていたかどうか。

さらに問題がある。前出の都の審議会では、有楽町線だけでなく南北線延伸(白金高輪~品川)も承認している。これも整備主体はメトロだが、やはり都の財政出動が条件になる。

メトロだけではない。都直営の都営大江戸線の延伸計画(光が丘~大泉学園町)について小池は昨年の都議会で、庁内に検討組織を立ち上げると答弁した。

都が出資する第3セクターが運営主体となる臨海地下鉄(東京駅~臨海部)も事業計画を作成中のほか、やはり都出資の多摩都市モノレールの延伸(上北台~箱根ヶ崎など)も、都知事選の公約にも盛り込んだ。多摩は、最近、接点が際立つ自民党都連会長の萩生田のお膝元だ。

 

人口は30年以降は減少に

かつて大型のプロジェクトを止めて喝采を浴びた小池はどこへやら、再選以降、巨額の鉄道整備を矢継ぎ早に動かしている。

地元にとってインフラは、あれば便利に決まっている。だが、いくら企業と人が集中する東京都とはいえ、人口は30年以降は減少に転じるのだ。費用対効果はどうなのか、剛腕政治家の「政治路線」が紛れていないか。小池都政にこうしたチェックの声はほぼ聞かれなくなった。

改革どころか、東京の豊かな税源を私物化してばらまく、金満知事になってはいまいか。

 

【小池人事の恐ろしさ】

都政の8年を通じて小池は、権力維持のためなら臨機応変に姿を変える、機会主義者(オポチュニスト)の色彩を濃くしてきた。保守色の濃い強烈なポピュリストの人物像に引きずられ、その本質は見逃されがちだ。

小池にいかなる変質があっても、支えてきたのは3万人余りの都庁官僚組織である。都庁官僚も霞が関官僚と同じく、論理とデータによる客観性を重んじ、知事が間違えば正しいと信じることを進言する気風があった。だが、それは過去の話だ。

コロナ第1波の20年7月、その担当幹部である内藤淳福祉保健局長を交代させる人事が「更迭か」と都庁内で波紋を呼んだ。真相は分からないが、ある局長経験者はこう語る。

「内藤さんは以前から自分の思うところを率直に述べる人で、だからこそ都庁では上にも下にも信頼されてきた。でも小池さんは率直に諫言する役人を嫌うんです。それを知ってか知らずか、知事お気に入りの副知事が、彼を外して彼の部下と一緒に知事に決裁を取るので、内藤さんは仕事がしづらくなって身を退(ひ)いた」

別のOBはこう補った。

小池さんは人事に好みを積極的に言う人です。しかも副知事や局長ならまだしも、課長級までも

任期中の首長は行政を任されている以上、人事を通じて施策を実現することは当然でもある。石原都政でも、知事の意に沿わない幹部を異動させることはしばしばあった。だが、小池人事の苛烈さは石原のそれをしのぐ、と前出のOBが続ける。

石原さんの場合、気に食わない幹部が目の前から消えればそれで終わり。知事とソリが合わなくても一生懸命にやっている職員というのはいますから、組織内で知恵を働かせて〈知事から遠いが良いポスト〉に就けた。そうでもしないと、物言わぬ職員ばかりになりますから。ところが小池さんの場合は、〈ちゃんと降格になってるの?〉とばかりに異動先がどこかまで追いかけて確認してくるんで、そういうことができなくなったのです」

 

私たちは、人事を通じた過度な官庁支配が、信じ難いスキャンダルを生んだ前例を知っている。財務省近畿財務局が国有地を相場の10分の1で払い下げた森友学園問題だ。

この問題で財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は「記録は残っていない」と嘘をつき、その答弁に合わせて学園側との交渉記録の存在を否定したり、記録の改ざんを行った。

内閣人事局を通じた人事権行使をやりまくったために、官僚が萎縮したばかりか、平気で国益に反する行動を取るようになったのだ。小池都政も、もはやその領域に突入している可能性がある、と私は危惧する。

 

都議選の公約と黒塗りの文書 【「のり弁」やめますの嘘】

都民ファ最初の都議選の公約は、情報公開の「のり弁(黒塗り)をやめます」だった。

だがその投開票日の3日後、豊洲市場への移転延期で支払われた移転補償金にまつわる公開請求で、私はほぼ全て黒塗りの文書を受け取った。豊洲移転を延期しただけ無駄だったと受け取られる、と職員が忖度したのだろうか。

6年後の23年3月には、そんな疑念がより深刻になった。

知事と自民党の間で重要な役割を果たしてきた前出の元江東区長、山﨑孝明親子による、都立ゴルフ場の利用回数を記録した文書を公開請求したが、「存在しない」と明記した非開示決定が2カ月後に届いた。

私は既に、庁内で回覧され小池も見た資料の一部を入手しており、この決定通知は嘘である。

 

【小池劇場の終わりの始まり】

冒頭のインタビューで乙武は、小池と都民ファ都議の関係について、「これも良い意味で意外なんですが、小池さんって人望があるんです。〈頼られている〉じゃなくて、好かれているんです」と語っていた。

ごますりで言っているのではない。私は現職の都庁幹部からも、「小池知事って魅力的な人」というセリフを聞いた。小池は、距離を縮めた者には惜しむことなくその愛嬌を振りまき、その相手をとりこにする魅力があるようだ。

想像をたくましくすれば、とりこになった者は「小池を独占したい」という欲に駆られるだろう。都知事という絶対的な権力者が相手なら余計に狂おしい。だが当の小池は次々と「頼れる誰か」を取り換える。取り換えた誰かと取り換えられた誰かが敵同士なら、後者は苦しむはずだ

そこまで考えてハッとしたのは、小池の学歴詐称疑惑の真相を暴露した「元側近の爆弾告発」と題した手記を4月に文藝春秋5月号に発表した弁護士の小島敏郎のことだ。小島は6月18日、小池を公職選挙法違反の疑いで刑事告発した。

かつて小池の最側近として豊洲移転の見直し・築地再整備プランを打ち立て、小池に代わって市場の現場や都職員と対峙した小島に対しても、小池は当初は愛嬌を振りまいたはずだ。だが小池は次第に距離を取り、豊洲移転の本格実施に舵を切る。

17年9月には小島は特別顧問を退き、都民ファの政務調査会事務総長に就いたが、翌月には希望の党が総選挙で大敗。小池がかつて小島と一緒ににらみつけていた都庁幹部たちを頼り始めるのは、その頃からだった。

小島の目に「かつての小池の魅力」は今、どう映っているのか(取材依頼に対し、返答はなかった)。

 

ポスト岸田に名乗りを上げる?

「古い都議会にいじめられている」という演出から始まった小池都政は、公明党に頼り、次に自民党におもねって、ついに安定した権力を獲得したかに見える。

だが、そのために決めてきた椀飯(おうばん)振る舞いの帳尻は本当に合っているのか。思い付きで繰り出した政策は、持続可能なのか──。

都庁組織は疲弊し、もはや正しいことを具申し、いさめる官僚の存在感は失われつつある健全な緊張関係を失った行政が腐るのに時間はかからない。機会主義者であることによって獲得してきた権力の拡大は、早晩限界を迎える可能性がある。

 

仮に3度目の当選がかなったら、権力の階段を上ってきた小池百合子の物語は最終章に入る

今回の3選出馬は、国政に転じてポスト岸田に名乗りを上げるという、別の筋書きを放棄する選択だった。実際、15区補選に小池出馬の可能性も取り沙汰されていた。

はっきりしたのは今年2月半ば、小池は乙武に「チャレンジする意思はありますか」と聞いた瞬間ということになるが、その少し前の2月2日、小池は官邸に岸田を訪ね、30分間も話している

官邸スタッフは「都の予算のアピールをしていましたよ。わざわざ何をしに来たのかなと思った」と語る。岸田の目をのぞき込んだ小池は、そこで何かを見極めたのだろうか。

遠からず総選挙は行われるが、今後、小池がそこに出るには知事辞職が前提になり、「投げ出し」批判は免れない。守りの政治の蜜の味を知った彼女にそんな選択ができるとは、私には思えない。