小泉純一郎の「民間でできることは民間に」は正しかったのか…「利用者を無視する」日本の民間企業のヒドすぎる実態

Yahooニュース  2024/5/16(木)  現代ビジネス 井手壮平

 

🍓ナオミ・クラインの「ショックドクトリン」に新自由主義(むきだしの資本主義)が書かれている。

 

「終わりのない成長を目指し続ける資本主義体制はもう限界ではないか」

 そんな思いを世界中の人々が抱えるなか、現実問題として地球温暖化が「資本主義など唯一永続可能な経済体制足りえない」ことを残酷なまでに示している。しかしその一方で、現状を追認するでも諦観を示すでもなく、夢物語でない現実に即したビジョンを示せる論者はいまだに現れない。

 

 本連載では「新自由主義の権化」に経済学を学び、20年以上経済のリアルを追いかけてきた記者が、海外の著名なパイオニアたちと共に資本主義の「教義」を問い直した『世界の賢人と語る「資本主義の先」』(井手壮平著)より抜粋して、「現実的な方策」をお届けする。

 

『世界の賢人と語る「資本主義の先」』連載第16回

 『「誰のためのJRか?」9000億円もの利益は株主に還元…国民をないがしろにするJRの「今後」』より続く

 

優先されるべきは利用者のはず

民間でできることは民間に」――。約20年前の小泉政権の時代にさんざん繰り返されたフレーズで、白状すれば当時は筆者も何の違和感も持たずに受け入れていた。だが、当時の郵政民営化を巡る熱狂の中で、いったいどれだけの人が本当にそのロジックを理解した上で賛同していただろうか。

 

政府の郵政民営化委員会のウェブサイトには「郵政民営化って何?」というコーナーがあり、そこには民営化について「民間に委ねることが可能なものはできる限り民間に委ねることが、より自由で活力ある経済社会の実現に資するとの考え方で、国または日本郵政公社が提供してきた郵政事業について、民間企業(株式会社)が経営を行うようにした改革のことです」と明記してある。

一見もっともらしい説明だが、フランスやイギリスで水道が民営化された結果として料金が高騰し、サービスが劣化したことなどを見ると、「自由で活力ある経済社会」というのが何を指すのか、見え方は変わってくる。

 

「自由」というのは、市民的自由のことではなく独占状態にある企業も含めた企業が営利を追求する自由(まさに新「自由」主義的な自由と言ってもいい)のことだろう。「活力ある」というのも、本来公共に属するべきものを市場に引っ張り出し、金儲けの道具に使うというゲームに参加できる人たちの活力であって、普通の人々の暮らしに郵政民営化で活力がもたらされることなど、あるわけがないことは冷静に考えればすぐにわかる。

 

同ウェブサイトには、郵政民営化で実現したことの一例として、「4キログラムまで全国一律料金で送付ができ、ポストへの投函や追跡サービスも可能なレターパックのサービスを開始」や、東京駅前のKITTE(JPタワー)などの商業施設の開業などが挙げられているが、これらは民営化などしなくてもできたものばかりである。

 

郵政民営化の弊害は犯罪行為にまで

その一方で、アメリカの生命保険会社アフラックが日本でがん保険を発売するのに全国2万4000の郵便局ネットワークを利用できるようにしたり、郵便局で投資信託が販売できるようにしたりと、恩恵は特定の業界や企業に偏る

 

急に営利企業の社員として生きていくことを求められた郵便局員らは、過大なノルマを押しつけられ、リスクを理解していない高齢の顧客に対する金融商品の無理な販売や、手数料目当ての保険契約と解約の繰り返しといったさまざまな犯罪的行為に走るケースが続出した。

末端の郵便局員だけではない。経営陣もまた、民間企業として利益を上げるプレッシャーにさらされ、オーストラリアの物流企業トール・ホールディングスに出資して6000億円以上の巨額損失を出すなど、「武士の商法」はわかりやすく失敗し、本来国民の財産であった郵政事業の価値を毀損した。要は外資や国内の金融業界の食い物にされたのである。

もちろん、公営事業にありがちな官僚的前例主義や無責任体質、政治介入などは論外だ。アニマル・スピリッツと呼ばれる利益への飽くなき欲求がイノベーションの重要な原動力となっていることも間違いないだろう。

 

だが、民間に委ねたほうがいい業種と、民間に委ねるべきではない業種については、きちんと整理し直したほうがいい。 それほど難しいことではない。筆者の考える重要な基準は

 (1)ほぼ例外なく皆が利用するものかどうか

 (2)それが独占的に供給されるものかどうか

 ――の2つだけである。

 水道がよい例だが、この両方を満たす場合は、それを民間企業が提供するという発想のほうがどうかしている

 鉄道も、競合路線があるような大都市圏の一部を例外として、限りなく両方の基準を満たしている。少なくともヨーロッパ各国では、ドイツもフランスもイタリアもスペインも、そのような認識に立って鉄道は国営である。しかも、鉄道の例で言えば、日本の鉄道の定時運行は世界に冠たるものだが、需要に応じて値段を上下させるダイナミック・プライシングやネットでの切符購入など、ヨーロッパの国鉄のほうが明らかに先を行っているものもあり、民営のほうがサービスで優れているとは必ずしも言えない。

 水道や鉄道に限らず、これまで世界中でさまざまな経営方式が試みられ、失敗例も成功例も蓄積されてきている。日本でも、過去の決定にとらわれることなく、何が利用者のために最善なのかという観点から不断の見直しをするべきだ。