仙台から、生きてこっちに帰ってきたバンド仲間。

生きて、無事に帰ってきてくれてありがとう。
生きててくれて、本当にありがとう‥


彼から聞いた、仙台の街は‥本当に酷い状況でした。
津波の被害の無かった場所でも、食料や燃料が無く、一部のお店では商品を奪い合うような光景が見られたそうです。


そして、津波のあった場所では‥何人もの助けられなかった命が、今もその場所で家族の迎えを待っているそうです。



今も、安否の分からないメンバーが居ます。
この子の父親とも連絡が取れません。

もう苦しくて悲しくて、テレビの報道は、悲惨な光景ばかり‥
もう見たくないです
聞きたくないです



そんな中でも、私は明日仕事に行きます。
誰かのためになりたくて、進学して勉強して、今の仕事に就きました。
第一・二志望ではなく、一番入りたくなかった会社に勤める事になって、ずっと悩みながら仕事をしてきました。
本当にこの仕事が人の役に立ててるのか分からなくて、どうしてこの会社に入ったのか、この仕事に就いたのか、後悔にも似た気持ちと戦いながら、ずっと仕事をしてきました。
でも、今私がやってる仕事が積もりに積もって誰かの役に立ててるのなら‥今は私に与えられた仕事を全うするしかないです。
それが、今の私が世の中のために出来る事なんだと思います。

皆、本当にありがとう‥

午前中は凄く暖かかったのですが、お昼を過ぎたら急に雲って寒くなってきました。
給油は、4時間半並んで購入することができました。
灯油も、今後の寒さに備え、購入する事が出来ました。
並んでいる間も、自分はどうするべきなのか‥考えました。悩みました。 スタンド近くの交差点で、別の車線にも最後尾が見えない程に車が並んでいました。
その光景を見て、凄く虚しくなりました。
そして、ちい姉からのコメントで、泣きながら腹をくくりました。
自分が生きるためにする事は、この子を守る事‥

その後、スーパーに行き(購入を予定していたスーパーは品薄になり予定より4時間早く閉店しました)食料を購入しました。
うどん・ラーメン等の乾麺類、ルー・レトルト・お米・即席スープ類・粉物等の在庫は一切無く、さつまいも等の日持ちする野菜、豆腐類、ソーセージ類もありませんでした。


今は泣かないと決めたのに、昨日から涙が我慢出来ません。

安否も分からず、死亡者の数ばかり増え、頭と心では分かっていても、最悪の事態を考えしまうのです。
安否を心配し、テレビの津波の映像を見て泣いている母を前に、力なく「大丈夫だから‥大丈夫だから‥」と、言う事しか出来ませんでした。



どうか、皆、無事で居て下さい。




11日からの緊張状態で、あまり眠っていないからでしょうか‥
頭痛がします。身体に力が入らなくなってきました。
少し、休みます。


追記:今回の地震で、一番大切なモノが分かりました。皆からの暖かいMailやコメントが、頼りない私の力になっています。いつか必ず、皆に恩返しをします。させて下さい。そして、必ず生きて会おう!

沿岸から、泥だらけの救急車と消防車が内陸中央に位置する私の市に、早朝給油に来たようです。
給油のために3時間並んでいますが、この事を知り、この列を外れようが悩んでいます
沿岸から内陸まで来ないと給油出来ないこの危機的状況
でも、ここで給油しないと今度はいつ給油できるか分からない
車がないと明日からの仕事にも行けない
私一人がこの列を外れたところで、また新たに一人列に加わるだけ
なんか、凄く悲しいです
情けないです