人々はこれは鹿島明神である武甕槌神のお力によるものと
御朱印をしていただいとときに、家紋もいただいたので
これは瓦に刻まれていますか?とお尋ねしたところ
そこに!と聞いたのに、撮影を忘れてしまいました(-_-;)
あまり、霊気を感じませんでしたが、
老木あるいは、その下にある井戸でしょうか?
ちょっと光が反応しました。
御朱印をしていただいとときに、家紋もいただいたので
これは瓦に刻まれていますか?とお尋ねしたところ
そこに!と聞いたのに、撮影を忘れてしまいました(-_-;)
あまり、霊気を感じませんでしたが、
老木あるいは、その下にある井戸でしょうか?
ちょっと光が反応しました。
阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。
古伝によると、
熊野大神は初め神倉山に降臨し、次に阿須賀の森に遷り、熊野大神のうち家津美御子はさらに貴弥山に遷ったが、結速玉の二神はそのまま阿須賀の森に留まった。第十代崇神天皇の御代に家津美御子はさらに熊野川上流の音無の里(本宮)に遷り、結速玉は第十二代景行天皇の御代に今の新宮に遷座した。
とされ、阿須賀神社が本宮・新宮よりさらに古い歴史をもつことを主張しています。
実際、そうであったのかもしれませんが、熊野信仰の大きなうねりに巻き込まれて、阿須賀神社は熊野速玉大社の摂社という立場に落ち着いたのでしょう。
熊野川河口付近の高台にある新宮城跡。
新宮城は別名、丹鶴城とも呼ばれ、熊野灘を望めるため沖見城とも呼ばれました。
丹鶴城の名は、この地に丹鶴姫(源為義の娘、源頼朝・義経・義仲の叔母)が開いた東仙寺があったことに由来します。 (くまのねっとさまより)
源義経は静御前と恋仲。
だし、義仲は巴御前
僕が好きだと思う人たちと触れ合っている気がする。
城主はそのあと、安土桃山時代浅野氏
江戸時代には水野氏
明治時代には廃城令にともない取り壊されたよう。
このお地蔵さんは室町時代!
あまり、お地蔵さんは撮らないようにしているのですが
気になる撮影させていただきました
うへっ(汗) 足元がしっかりしだに覆われています。
やっぱりあまり人はこないところなのかも・・・