人生の意味を変えます、「仁義礼智信」日本で2人しかいない理学療法士 渡辺賢治。 -2ページ目
江崎機器主催のカイロプラクティックセミナーに行き始めると、さまざまな情報が入ってきた。
当然日本で初めてのDACNBつまりカイロプラクティック神経学の学位を取得した増田DCの情報も。


増田DCのレポートを読んでとにかく衝撃を受けた。衝撃ばかり受けているけど、理学療法士の世界では衝撃なんか受けたことない。
せいぜい「へー凄いねぇ」程度やけど、カイロプラクティックの業界はドカーンってくらいの衝撃ばかりだった。

この患者は左の黒質に機能低下があったので、そこに刺激を入力した…

こんなことが書いてあって、ホンマにビックリした!
黒質の機能低下ってどうやって評価したの?刺激入力ってどうやったの?

それから増田DCのレポートや寄稿を読み漁って、診断の法則性を見出そうとした。分かったこともあるけど、絶妙な感じで大事なところを隠していた。

居ても立ってもおれず、増田DCの治療院へ電話をしてこう言った。
「突然すいません。私は奈良で理学療法士をしている渡辺という者です。先生の様々なレポートや寄稿を読み、カイロ神経学に衝撃を受けました。ぜひ私にカイロ神経学を教えて下さい」

今から考えると診察時間になんと失礼な電話を…と思うけど、その時は必死やった。

増田DCは、「カイロ神経学は、私が決めるのではなくアメリカの本部のルールに則って行われています。国際教育基準を満たしたカイロプラクティック大学を卒業した人のみ受講資格がありますので、受けたければ大学にまず入ってください」

俺も諦めず食い下がり、「それは分かってるんですが、私も結婚もしてますし、病院の理学療法科の科長で、たくさんの患者さんと仕事を抱えてますので、大学進学は無理です。そこを何とか先生から直々に教えて貰えませんか?」と言った。

…まぁなんと言っても無理なものは無理(*´罒`*)

ただ増田DCは、「教えることは出来ませんが、あなたの治療は出来ますよ」と言ってくれた。

神経学的な診かたで、俺を診てくれるということだから、何かしらヒントがあるかもしれないし、何よりも雰囲気を肌で感じることが出来ると思って、その場で予約を取って、静岡へ向かった。

待合で緊張しながら待っていた。薄い壁の向こうから検査している声が聞こえてくる。
俺はワクワクしながらそれを聞いていた。
そして俺の順番がきた。

その時に思いもよらないことが起こった。
待合まで増田DCが出てきて、俺の前に立ったかと思うと「本日は遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。院長の増田といいます。ご案内致します。こちらへどうぞ」と言ったのだ。

俺はビックリしてしまって、それと同時に完全にやられてしまった。

だって俺にとってはアイドル否カリスマ的存在の先生が、そんな事する?

普通は受付のスタッフが、そっちの方から「渡辺さん、中へどうぞ」って言うくらいだと思ってたから。

それから1週間、考えまくった…

そして意を決して嫁に言った「大学に行きたいんだ」この時35歳。嫁とは同級生つまり嫁も35歳。子供はまだない。
俺が大学に行くと少なくとも40歳くらいまで子供は作れない。
嫁はこう言った「アホなこと言うな!」

一言も返せず、さらに1週間「やっぱり行きたいなぁ」
この時嫁は何も言わなかった。

そして、ある朝何も言わずに入学試験を受けに行った。
面接もあるのでスーツ姿だ。
俺のいつもと違う姿に、嫁は「どこ行くの?仕事違うの?」と尋ねてきたが、俺は何も言えず、なんとか「うん、ちょっと…」と呟いたまま家を出た。

そして少し時が経ち、「受かってんけどなぁ」と言ったら、「どうせ行くんやろ」と言われ、覚悟を持って進学することにした。

そして入学して2ヶ月目に、カイロプラクティック神経学を受けさせてもらった。
これは異例のことで、最初の自己紹介でRMITの1年生の渡辺ですと言うと、その場が嘲笑とともにざわついた。
「1年って…」「分かんのか?」

そんな声が聞こえてきた。
その時すかさずドクターが、彼は理学療法士として15年やってきて、その実績をかって受講してもらってるんだと言ってくれた。
その一声でざわつきは止んだ。

それから俺は必死になって学んだ。
学校の講義もカイロプラクティック神経学もそれだけじゃなく、並行してアクティベーターメソッド、Dr.ナンブドゥリパッドのアレルギー除去療法も学んだ。

学生の間にアクティベーターもアレルギー療法も国際上級認定までなった。

増田DCとの出会いが、一介の田舎理学療法士だった俺が、治療家としてのスタートラインに立つ事になった。
カイロプラクティックって怖いねん。
ボキボキいわして…
やられるのも怖いし、見てるのも怖い。
大丈夫なん?って思ってしまう。

そんなもんに何で俺が?と思われるかもしれんけど、これには理由がある。
前回投稿のAKA-博田法が、何で仙腸関節を動かしたら、離れた肩とか良くなるの?

「関連痛や!」とドヤ顔で言われても、まったく納得出来んかった。
それで、『骨動かすんやったらカイロかな?』
そう思ったんよ。

それで地元の薄っぺらい地域情報誌に、【カイロプラクティック体験会】っていうのが掲載されてて、早速行ってきた。

オモロいやん(^^)

それでワンデーセミナーに行った。

オモロいやん(^^)

それで1週間泊まり込みのアドバンスセミナーに行ってきた。

オモロいねん!これが(^^)

朝から夕食まで、基礎テクニックをひたすらペアを組んでやりまくる。
先輩先生方と深夜まで酒飲んで成功体験を聞かされる。

最終日、外部との接触を絶たれた俺たちは、思考力を失った状態で、記憶に残る成功体験の話で、気分もハイになり、会長なる人にこう言われた。
「お疲れさまでした!これで君たちも明日から開業できます!」

一同「おーーっ!」とどよめき。

「ただし200万円分の商品を購入するのが条件です。大丈夫です。売れば儲かりますから。絶対大丈夫!患者の治療費に加え、商品販売で簡単に元は取れる!」

高額なマットレスや枕、いかがわしい湿布など、ほとんどの参加者が買いましたよ。
もちろん俺も!200万円分…

あれ洗脳やで。

外部情報を絶って、睡眠不足、成功体験を毎夜聞かされて、思考能力を完全に失ってるもん。

ARC(日本脊椎矯正学会)だったかな。今でもあるのかな?
KCN の桑岡(だったかな?)とかいう会長も来てたから、KCNとARCが合同だったのか、暖簾分けだったのか、分からんけど全健連のパクリやろな。

今から考えると全て分かる。
あの時は無知蒙昧。
25年前のその在庫、未だにあるもんなぁ…嫁の実家に( ´•_•。)
(それに桑岡、過去にスケベ罪で捕まっとるやん)

日本のカイロのほとんどが、マルチまがい商法やで。

あの時の先輩の言ったこと、未だに耳に残ってる。
「お前ら!しっかり商品売れや!お前らの腕で治せるのか?治されへんやろ!それやったらしっかり商品売れや!」
…とイライラを爆発させて俺らに怒鳴った。

あー売上げ下がってんのね

そう思った。


それからここはアカン所やと思って、すぐに離れて江崎機器主催の勉強会に参加し始めた。

そこはアメリカ帰りのDC(ドクターオブカイロプラクティック)が講師をやっていて、理路整然とした説明も科学的で、すごい納得出来た。
その時そこで東京多摩の高見DC(当時のロサンゼルスカイロ大学でテクニック講師までなった人)に、頚椎アジャストをやってもらった時に衝撃を受けた。

マルチまがい商法のARCの先輩にやられた時は、痛くって痛くってもう二度とアジャストやって欲しくないと思ったんやけど、高見DCはサムムーブといって、親指1本でアジャストするんやけど、それがもうスコーンって感じでまったく衝撃がなくて、まさに撃ち抜かれたって感じやった。

ものすごいインパクトやのに、まったく衝撃がない(意味分からん)から、高見DCに、どうやってんですか?と質問したら、「頚椎が動く瞬間に親指の力を抜いて、衝撃を緩和するんだよ」なんて言われたから俺も「へーΣ(゚Д゚)スゲェ!!」って感心しまくった。

俺に感心されても、仕方ないやろけどな。

それからやっぱり本物から学ばんとアカンわなぁって思ったよ。

ほんで、本物のカイロプラクターのセミナーを行きまくった。
当時結婚してた俺やから、小遣いは2万円。セミナー代はだいたい1万5000円。足らんから、理学療法士の仕事の前に、朝の3時からクロネコヤマトの倉庫で、仕分けのバイトを朝の7時までやって、本業の病院へ向かった。
セミナーのない日曜日などは、日雇いの土方や引越しのバイトをやりまくった。
もちろん本業の方も毎日夜の8時半か9時まで残業して、オマケに週に一回は、そのまま帰らず事務当直もやった。もちろん翌日は普通に働いた。

せやから、今の理学療法士が勉強したい!だけど給料がめっちくちゃ少ないから、絶対無理!とか言うの聞いたら腹立つわ。

そこまで本気やないってことやん。

そしたらバイトは職場で禁止されてるからとか言いよるで。
じゃあな、お前の勉強代とか生活費とかその職場が世話してくれるか?

してくれるわけないやん!それやったら自分でやるしかないやん。

そう言ってやりたい理学療法士が、どれだけおったか…

まぁ人のことは置いといて…

アンテナ張って情報収集してる時に、運命の出会いがあったわけよ。

今となっては伝説の静岡の増田DCよ。

増田DCとの出会いが、俺の治療家としての在り方をすっかり変えてしまった。

その話はまた後日。
技がなくて切実に治療テクニックを欲してるのは、私のような理学療法士、もしかしたら作業療法士もそうかもしれません。
それに他職種のことを言うのははばかれるけど、柔整師もそのように思う。今までの付き合いからそう思える。

技が欲しいですよねぇ…
切実ですよ。
明日も患者は来るんですから。

何も技がなくて、そして自信もなくて、オマケに金もない。
将来が不安で、同級生の動向が気になったりしてる。


俺の若い頃は、理学療法士の世界では、なんと言ってもAKA(関節運動学的アプローチ)がドーンっときてた。そしてあえて言うなら筋筋膜摩擦伸長法その後マイオセラピーと称されるようなものもあった。こちらの先生は、元マッサージ師なので、多分にマッサージの要素が強く、理学療法士になったその先生が、マッサージに理論を後付けしている無理矢理感が俺の中で寒かった。

さてAKAを知らない人もいると思うので、まずは定義を。
以下です。↓↓↓
関節運動学的アプローチ(arthrokinematic approach:AKA)-博田法(Hakata method)は関節運動学(arthrokinematics)に基づき、関節神経学(articular neurology)を考慮して、関節の遊び、関節面の滑り、回転、回旋などの関節包内運動の異常を治療する方法、および関節面の運動を誘導する方法である。


私が理学療法士養成校に入ったのが、1987年。関節運動学的アプローチ(AKA)という名称が決まったのが、1983年。関節運動学的アプローチ第一版の発刊が1990年。

俺が養成校で博田先生本人から学んだのは、AKAの最初期のことだった。

当時は凄い!と思った。
ただ仙腸関節を動かせば、肩関節の痛みや硬ささえ改善されたことにすごく驚いたんだけど、なぜ?と質問した時に、ガッカリしたんですよ。
その時の回答が「関連痛だ」だったんです。

当時デルマトームしか知らなかったので、全く理解できないし、可動域が改善する答えにもなっていない。

とにかく仙腸関節ありきで、なんでも関連痛で片付けていた印象があった。

まぁその当時、他のモビリゼーションとの差別化が必要だったのでしょう。だから仙腸関節にこだわったのかもしれない。
単純に仙腸関節の魔力にやられただけかもしれないし。
なんで仙腸関節?と疑問を持っても、まずはやってみろ!という親方的な態度だった。

ところで関節運動学的アプローチ第一版を読んで、気に入らないところが、特に2つありました。

1つはAKAの誕生で、マッサージの存在意義はなくなった!との記述があったことです。
AKAのことを語るなら良いけど、古来からある他の技術を完全否定する必要は無いだろうと思った。個人の思いとして茶飲み話で言うならまだしも、著書の中で断言するセンスがなんともトホホな感じだ。
この辺りに博田先生を好きになれないところがあった。

そして第一版にこんなことも書かれていた。
つまり要約すると、アメリカで向こうのマニピュレーションを見て衝撃を受けた。と書かれていたんです。
当時アメリカでマニピュレーションをやっていたのは、ほとんどカイロプラクターですし、博田先生の奥さんは、白人なんですよ。だからカイロプラクティックを知らないわけがないんです(個人の感想です笑)
初期の椎間関節の離開など、カイロプラクティックのCOXテクニックをそのまんまパクったんじゃないかと思いましたもん(小声で)

日本に戻った博田先生は、医師の立場でカイロプラクティックなんて紹介出来るわけがないんですよ。アメリカでも当時カイロプラクティックは、アメリカ医師会と「あいつら患者を診とるやんけ!」と裁判中でもありましたので。

あの頃アメリカ帰りの先生が、向こうのテクニックを持ち込んで、ワガモノ顔で金儲けと権威を手に入れるって事が多かったんですよ。

さて…いくらAKAを盲信しても、狂信的に取り組んでもやはり穴があるんですよ。

AKAはSOTで言うところのカテゴリーⅡをみているんですね。
面白いことにAKAを博田先生と共同で開発した宇都宮初夫先生(理学療法士)は、仙腸関節より腰仙関節の方が大事じゃね?と言い出し、袂を分かつことになり、その後宇都宮先生はSJF(関節ファシリテーション)を開発することになるんです。
この件、腰仙関節も大事じゃね?という部分は、SOTで言うところのカテゴリーⅢでしょ。

SOTではすでに1970年代に骨盤機能障害をカテゴリーⅠ、Ⅱ、Ⅲと分類してるんですよ。
未だに日本ではカテゴリーⅠを発見されていないんです。

昔、AKAを学んでいる狂信的な理学療法士にこのことを話し、もし興味があるなら教えるよと伝えると、その理学療法士は「まずはAKAを極めます」と言ったんですよね。

(´,,-ㅿ-,,`)フゥ-
患者ありきじゃないんですよね。盲信するとテクニックあり気になるんですよ。

それ、いつ極まるの?
極めたところでカテゴリーでいう1/3しかカバー出来ないよ(´A`)トホホ

博田先生も博田先生だよ…
それまで一緒にやっていた宇都宮先生が気づいたカテゴリーⅢを認めず、それだけじゃなく、AKAをAKA-博田法と改名し、商標登録して、自分たち以外を似非AKA呼ばわりしている。

テクニックそのものは、とても良いテクニックですよ。
だけどAKA-博田法やってますって恥ずかしくて言えないもん。

患者の利益より自己顕示欲、承認欲求の方が強くならないようにしたいものです。
理学療法とは病気、けが、高齢、障害などによって運動機能が低下した状態にある人々に対し、運動機能の維持・改善を目的に運動、温熱、電気、水、光線などの物理的手段を用いて行われる治療法です。 「理学療法士及び作業療法士法」第2条には「身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう」と定義されています。

理学療法にしてもリハビリテーションにしても定義もあるし、コンセプトもあるんだけど、具体的な技がないんですよね。

マッサージ師はマッサージ。鍼灸師には鍼灸というように、やることがハッキリしてますが、理学療法士には「これ」といった決まった技がないんです。

技の軸がない、つまり手段がないということは、拠り所が無いんです。
いくらコンセプトがあってもそれを実行する術がないんです。

これは困りますよ。そして迷います。


そこで理学療法士は、技が手に入るならしかも手軽に入るならとワンデイセミナーに参加します。
それで気を良くして、深みにハマる。だけど結局は誰かの金儲けのカモになってるだけで、本気で金と時間をかけて正規の教育を受けようとしない。
現実的にはそんな金も時間もないんですよ。
平均的な理学療法士の年収は33歳で418万円。これ時給にすると1140円です。物理療法機器のセットなどしてくれるパートのリハビリ助手の時給が1000円ほど。
理学療法士になって何の技もなく、マッサージもどきとストレッチばかりやって物療は、パートの助手に任せて…その助手とそれほど変わらない時給…
理学療法士って資格に意味ある?

俺本気でそう思いました。

だから気軽に学べる整体やオステオパシーやピラティスやヨガを学んで独立開業を目指す若手が増えるんですよ。

だけど生半可だから、それ上手くいく?と他人事ながら思ってしまう。
余談だけど、俺が若い時にめちゃくちゃ流行ってたエアロビクス、今やってる所ある?
そして今でこそ、ヨガは市民権を復活させたけど、オウム真理教の事件の後は本当にヨガはタブーだった。
服も同じで流行って外部にめちゃくちゃ影響されるんだよなぁ。

さて1987年に理学療法士養成校に入って、悶々としていた時、当時AKA-博田法の創始者の博田先生が、私の通う学校に教えに来てたんです。(今では考えられない)

そのテクニックで痛みも可動域も劇的に良くなったのを見て、ビビりましたよ。

理学療法士が求めてるのは、こういうやつやん!
そう思いました。

でも俺は博田先生を好きになれず、いやむしろ大嫌いだったので、AKAに盲信的、狂信的に心酔しなかった。

でも多くの理学療法士は、そこにハマっていった。
AKAに即効性があり、断言する物言いが博多先生をカリスマにしていった。

俺は、講義に他人の著書を持ち込み、紹介しながら赤ペンでその本にバッテンをして、ポイっと捨て去り「バカ!」などという博田先生を嫌いだった。

この続きは、次回に…AKA-博田法に思うこととして
他の先生ならもっと出来るんじゃないか?それに比べて俺(私)は…



そんなこと思ったことあるんじゃないですか?


俺(私)このままで良いのかな…


そんなこと思ったことあるんじゃないですか?


人は成長を妨害するような考え方をするんですよ。普通は。


そもそもなぜこの仕事を選んだんですか?


たくさんの患者さんを助けたいんだ!


そう思ってこの世界に入った方は、少ないんじゃないかな?


俺なんて「間違え」で入りましたからね。

もともと理学部か農学部で生物の勉強をしたかったんです。

究極的になりたかった職業は、国公立公園のレンジャーです。

野生動物の保護と密猟者の取り締まりです。


そんな俺が今は、治療家ですわ…


ブラックマンデーというのが昔あって、一夜にして株が暴落して、世の中大混乱…


それで進学を諦めたんですよ。


高3の11月ですよ!

途方に暮れるって (  ー̀дー́ )チッ!


母親がそんな俺に「理学療法士科」の願書を持ってきたんですよ。看護師だった母が、知り合いの理学療法士の偉いさんに推薦状でも書いてもらったんでしょうね。

簡単に受かりました。


今でもはっきり覚えてます。養成校初日に担任の女の先生が言ったこと。

「この学校に入学した皆さんは、他の大学生と違って、将来理学療法士になるということが決まっています。」


もはや職業訓練校ですよ。


内心、「俺は違う!  違うの、俺だけなの?」と思いました。


それから学生時代は、勉強なんてやる気なく、テストは落とさないけど、超低空飛行…


理学療法士なんて、なる気はサラサラなかった。まだ働きたくない!ただそれだけで学生をやってただけですよ。


それからは反抗的態度で問題児でした。

2年生から3年生に上がる時は、俺を含む8人が呼び出され、学年主任と担任に「ここに集まった8人は、もう分かってると思うけど、留年決定です」と言われました。


もう頭が真っ白になりましたよ。

俺はテスト落としてなかったから、何かの間違いだろ?でも決定と言ってたぞ?!


頭が真っ白になった後は、目まぐるしく色んな考えが巡りました。ヤクザな親父に殺される…これが一番頭に巡りました。


話なんて全く入ってこない。気が付くと話は終わって、担任が「渡辺だけ残れ」といわれ、他の7人が部屋から去ると担任が続けてこう言った「渡辺…おまえはテストは通ってる。だけど態度が悪すぎて、某先生が合格を出さない。例年ならおまえは留年だが、定員20名のこの学校で、一年で8名も留年を出すのは問題だ。だからおまえは特例でもう1回全部テスト受けろ。それで1つでも落とせば留年。全部受かれば進級を許す」

衝撃でした…


まだ若かったから腹立ちましたよ。


そんな俺も、今大学で講義したり、多くの治療家の先生方の前で偉そうに語ってるんだから…


俺は思うんですよ。

アインシュタインの小学校の時分の先生は、「こいつ、アカンわー」って思ったんじゃないかな。

シェークスピアに国語を教えた先生も「こいつ、アカンわー」って思ったんじゃないかな。

ニュートン然り


だから俺は、こいつダメやわと思わない。


アインシュタインの先生もアインシュタインの才能に気付いた時は、それこそビビったんじゃないかな。


世の中にいる、なんでも良いけど治療テクニックの創始者、「ほんとすげーな!こんな風になりたい」そう思うことってあると思うんですよ。


じゃあそのすげー先生は、そのテクニックであらゆる患者を助けてると思いますか?


ハッキリ言って、それは無いです。


やっぱり悩んでるんじゃないかな。
リハビリテーション(rehabilitation)の語源は、 ラテン語でreは「再び」、habilisは「人間らしい」、「できる」という語で、「 再び人間らしく生きる」、「再びできるようにする」という意味になります。

これは理学療法士や作業療法士なら誰もが知っていることです。



その後、長い歴史の中で「権利の回復」、「名誉の回復」など様々な意味で使われるようにもなってきました。


「障害者に対する機能回復、能力向上、社会復帰」というような意味になったのは、第一次世界大戦のころからです。

戦争負傷者に対してリハビリテーションが大きく関わったわけです。


戦争がリハビリテーションの発展に関わったのですね。


この第一次世界大戦は、戦死者1600万人という人類の戦争の歴史上桁外れの死者を出しました。そして戦傷者は2000万人以上でした。(当時の世界人口は5億人弱、戦闘に参加した人数は7000万人)

それ以前の戦争の死者のほとんどが病死だったのですが、第一次世界大戦の死者の2/3は戦闘による死者でした。

つまり外傷による負傷者も格段に増えたのです。


現在、一般的なリハビリテーションの定義は以下の通りです。


「リハビリテーションは、個人の生理的、解剖的あるいは生理的な機能障害、環境の制約、個人の希望および寿命と一致した身体的・心理的・社会的・職業的・余暇的および教育的可能性が最大に達するまで個人を手助けする過程である。患者と家族、関与するリハビリテーション・チームは、たとえ機能障害をもたらした病理学的過程が不可逆であっても、現実的な目標を設定して、残存障害(機能的制限)があっても最適な生活機能を獲得するための計画を、成し遂げるように協力する」(Haas 1993)


リハビリテーションというのは、本当に人間の生活全てに関わることで、解剖学、生理学だけ勉強してれば良いものではありません。

そして痛みだけに着目してれば良いものでもありません。


私もリハビリテーションの全容を未だに把握出来てません…
私が一番最初に学んだリハビリテーションについて書き留めます。



【リハビリテーションとは】

日本語で言うと「全人的復権」といいます。

まずは《定義》を


「リハビリテーションとは能力低下の場合に機能的能力が可能な限り最高の水準に達するように個人を訓練あるいは再訓練するため、医学的・社会的・職業的手段を併せ、かつ調整して用いること」WHO/1968年


とにかく私たちは、患者(クライアント)を元の状態に戻したいし、患者もそれを望んでいます。


しかし元に戻すためのテクニックが無かったり、スキルが未熟だったりすると、患者を元の状態に戻せません。


はっきり言ってリハビリテーションの立場から言うと、1人の治療家が全てを身に付けることは出来ません。


リハビリテーションの立場から言うと、ヒトを元の状態に戻すということは、「痛みを取り除く」だけではないんです。


上記の1968年のWHOの定義にもあるように、「医学的」だけではなく、「社会的」「職業的」にまで調整が必要なのです。


リハビリテーション(全人的復権)を成し遂げるには、1人の患者に多くの人々が関わらなくてはいけません。


例えば、医師、看護師、介護士、介護支援専門員、医療相談員、栄養士、薬剤師、義肢装具士、歯科衛生士・・・そして理学療法士、作業療法士、言語聴覚士そしてさらに教師、職業訓練指導員、家族、そこに鍼灸師、柔道整復師、あん摩指圧師、マッサージ師、整体師、カイロプラクター、アロマセラピスト、心理カウンセラーなど多くの人たちの助けが、1人の患者のリハビリテーションには必要かもしれません。


私たちはいつでも患者の必要な存在になり得ます。


しかし私たちの業界は、医者はダメ!整体師はダメ!鍼はダメ!…他を排除するような事ばかり言ってる人が多いと思います。

そんな話題をあっちでもこっちでも嫌というほど聞かされました。


リハビリテーションという言葉の意味、広さ、深さを理解すれば、私たちはリハビリテーションチームの一構成員なのだと理解できます。


他者を批判・排除する頭を使う暇があったら、患者の利益について思いを巡らす方が1億倍良いと思いませんか?
理学療法とは病気、けが、高齢、障害などによって運動機能が低下した状態にある人々に対し、運動機能の維持・改善を目的に運動、温熱、電気、水、光線などの物理的手段を用いて行われる治療法です。 「理学療法士及び作業療法士法」第2条には「身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう」と定義されています。


理学療法にしてもリハビリテーションにしても定義もあるし、コンセプトもあるんだけど、具体的な技がないんですよね。


マッサージ師はマッサージ。鍼灸師には鍼灸というように、やることがハッキリしてますが、理学療法士には「これ」といった決まった技がないんです。


技の軸がない、つまり手段がないということは、拠り所が無いんです。

いくらコンセプトがあってもそれを実行する術がないんです。


これは困りますよ。そして迷います。


そこで理学療法士は、技が手に入るならしかも手軽に入るならとワンデイセミナーに参加します。

それで気を良くして、深みにハマる。だけど結局は誰かの金儲けのカモになってるだけで、本気で金と時間をかけて正規の教育を受けようとしない。

現実的にはそんな金も時間もないんですよ。

平均的な理学療法士の年収は33歳で418万円。これ時給にすると1140円です。物理療法機器のセットなどしてくれるパートのリハビリ助手の時給が1000円ほど。

理学療法士になって何の技もなく、マッサージもどきとストレッチばかりやって物療は、パートの助手に任せて…その助手とそれほど変わらない時給…

理学療法士って資格に意味ある?


俺本気でそう思いました。


だから気軽に学べる整体やオステオパシーやピラティスやヨガを学んで独立開業を目指す若手が増えるんですよ。


だけど生半可だから、それ上手くいく?と他人事ながら思ってしまう。

余談だけど、俺が若い時にめちゃくちゃ流行ってたエアロビクス、今やってる所ある?

そして今でこそ、ヨガは市民権を復活させたけど、オウム真理教の事件の後は本当にヨガはタブーだった。

服も同じで流行って外部にめちゃくちゃ影響されるんだよなぁ。


さて1987年に理学療法士養成校に入って、悶々としていた時、当時AKA-博多法の創始者の博多先生が、私の通う学校に教えに来てたんです。(今では考えられない)


そのテクニックで痛みも可動域も劇的に良くなったのを見て、ビビりましたよ。


理学療法士が求めてるのは、こういうやつやん!

そう思いました。


でも俺は博多先生を好きになれず、いやむしろ大嫌いだったので、AKAに盲信的、狂信的に心酔しなかった。


でも多くの理学療法士は、そこにハマっていった。

AKAに即効性があり、断言する物言いが博多先生をカリスマにしていった。


俺は、講義に他人の著書を持ち込み、紹介しながら赤ペンでその本にバッテンをして、ポイっと捨て去り「バカ!」などという博多先生を嫌いだった。
他の先生ならもっと出来るんじゃないか?それに比べて俺(私)は…


そんなこと思ったことあるんじゃないですか?


俺(私)このままで良いのかな…


そんなこと思ったことあるんじゃないですか?


人は成長を妨害するような考え方をするんですよ。普通は。


そもそもなぜこの仕事を選んだんですか?


たくさんの患者さんを助けたいんだ!


そう思ってこの世界に入った方は、少ないんじゃないかな?


俺なんて「間違え」で入りましたからね。

もともと理学部か農学部で生物の勉強をしたかったんです。

究極的になりたかった職業は、国公立公園のレンジャーです。

野生動物の保護と密猟者の取り締まりです。


そんな俺が今は、治療家ですわ…


ブラックマンデーというのが昔あって、一夜にして株が暴落して、世の中大混乱…


それで進学を諦めたんですよ。


高3の11月ですよ!

途方に暮れるって (  ー̀дー́ )チッ!


母親がそんな俺に「理学療法士科」の願書を持ってきたんですよ。看護師だった母が、知り合いの理学療法士の偉いさんに推薦状でも書いてもらったんでしょうね。

簡単に受かりました。


今でもはっきり覚えてます。養成校初日に担任の女の先生が言ったこと。

「この学校に入学した皆さんは、他の大学生と違って、将来理学療法士になるということが決まっています。」


もはや職業訓練校ですよ。


内心、「俺は違う!  違うの、俺だけなの?」と思いました。


それから学生時代は、勉強なんてやる気なく、テストは落とさないけど、超低空飛行…


理学療法士なんて、なる気はサラサラなかった。まだ働きたくない!ただそれだけで学生をやってただけですよ。


それからは反抗的態度で問題児でした。

2年生から3年生に上がる時は、俺を含む8人が呼び出され、学年主任と担任に「ここに集まった8人は、もう分かってると思うけど、留年決定です」と言われました。


もう頭が真っ白になりましたよ。

俺はテスト落としてなかったから、何かの間違いだろ?でも決定と言ってたぞ?!


頭が真っ白になった後は、目まぐるしく色んな考えが巡りました。ヤクザな親父に殺される…これが一番頭に巡りました。


話なんて全く入ってこない。気が付くと話は終わって、担任が「渡辺だけ残れ」といわれ、他の7人が部屋から去ると担任が続けてこう言った「渡辺…おまえはテストは通ってる。だけど態度が悪すぎて、某先生が合格を出さない。例年ならおまえは留年だが、定員20名のこの学校で、一年で8名も留年を出すのは問題だ。だからおまえは特例でもう1回全部テスト受けろ。それで1つでも落とせば留年。全部受かれば進級を許す」

衝撃でした…


まだ若かったから腹立ちましたよ。


そんな俺も、今大学で講義したり、多くの治療家の先生方の前で偉そうに語ってるんだから…


俺は思うんですよ。

アインシュタインの小学校の時分の先生は、「こいつ、アカンわー」って思ったんじゃないかな。

シェークスピアに国語を教えた先生も「こいつ、アカンわー」って思ったんじゃないかな。

ニュートン然り


だから俺は、こいつダメやわと思わない。


アインシュタインの先生もアインシュタインの才能に気付いた時は、それこそビビったんじゃないかな。


世の中にいる、なんでも良いけど治療テクニックの創始者、「ほんとすげーな!こんな風になりたい」そう思うことってあると思うんですよ。


じゃあそのすげー先生は、そのテクニックであらゆる患者を助けてると思いますか?


ハッキリ言って、それは無いです。


やっぱり悩んでるんじゃないかな。
《投稿3》

#リハビリテーション


リハビリテーション(rehabilitation)の語源は、 ラテン語でreは「再び」、habilisは「人間らしい」、「できる」という語で、「 再び人間らしく生きる」、「再びできるようにする」という意味になります。

これは理学療法士や作業療法士なら誰もが知っていることです。


その後、長い歴史の中で「権利の回復」、「名誉の回復」など様々な意味で使われるようにもなってきました。


「障害者に対する機能回復、能力向上、社会復帰」というような意味になったのは、第一次世界大戦のころからです。

戦争負傷者に対してリハビリテーションが大きく関わったわけです。


戦争がリハビリテーションの発展に関わったのですね。


この第一次世界大戦は、戦死者1600万人という人類の戦争の歴史上桁外れの死者を出しました。そして戦傷者は2000万人以上でした。(当時の世界人口は5億人弱、戦闘に参加した人数は7000万人)

それ以前の戦争の死者のほとんどが病死だったのですが、第一次世界大戦の死者の2/3は戦闘による死者でした。

つまり外傷による負傷者も格段に増えたのです。


現在、一般的なリハビリテーションの定義は以下の通りです。


「リハビリテーションは、個人の生理的、解剖的あるいは生理的な機能障害、環境の制約、個人の希望および寿命と一致した身体的・心理的・社会的・職業的・余暇的および教育的可能性が最大に達するまで個人を手助けする過程である。患者と家族、関与するリハビリテーション・チームは、たとえ機能障害をもたらした病理学的過程が不可逆であっても、現実的な目標を設定して、残存障害(機能的制限)があっても最適な生活機能を獲得するための計画を、成し遂げるように協力する」(Haas 1993)


リハビリテーションというのは、本当に人間の生活全てに関わることで、解剖学、生理学だけ勉強してれば良いものではありません。

そして痛みだけに着目してれば良いものでもありません。


私もリハビリテーションの全容を未だに把握出来てません…