今までの人生で
自分は俗にいうダウナー系だと思っていました。
なかなか楽しいと思えなかったり、
はしゃげなかったりと
特に苦にすることはないのですが、
まぁダウナー系の人種なのかなと思っていました。
鬱かと思うこともありましたが、
よくよく考えていると別に病的でもないし、、と
(落ち込んで寝込むとか起き上がれないとか、そういう感じではないのです)
今思えば、悪い起因は漏斗胸にあるのではないかと思うようになりました
第一に睡眠で疲れがよく取れないというのが問題だと思っています。
今まで各種異常があるのかと思い
睡眠時無呼吸症候群の検査も受けました。
結果問題は全くありませんでした。
むしろ、医師からは「結果上は良い睡眠です」と言われるくらいでした。
「なんとなくの息苦しさ」を感じ、もしかしたらシックハウス症候群では?!
と思いシックハウス検査しても問題なし。
でも今は、恐らく漏斗胸の影響があるのではないかと疑っています。
朝起きた時の肺が痛さ、胃がもたれる感じも。
何となくの息苦しさも。
これも推測なのですが
やや心臓が圧迫されていることにより
心臓が十分にポンプで量を多く血液を回すことができず
夜も頑張って心臓がドキドキしているので
疲れが取れないのではないかと考えています。
思えば心拍数がかなり少ない方で
病院では
「長距離走をするアスリートのような心臓では・・?」
と医師から言われたこともあります。
しかし実際には長距離走は同級生と比べてもかなり遅いのです。
これも圧迫されている心臓がずっと30年近く
無理に頑張ってきた結果、アスリートのような
強靭な心臓になってしまったのではないのかと推測しています、、。
(それはそれで良いことか分かりませんが、、)
長距離走などは年齢を重ねるごとに同級生の中で
比較し遅くなっていきました。
小学校の頃は大体全体で上位10パーセントにはいましたが、
中学校で真ん中程度、高校ではほぼ学年の中で一番遅い方になりました。
恐らく身体の成長に合わせて、心臓の機能が上がらなかったため
ではないかと思っています
(心臓が漏斗胸により圧迫されているため)
恐らくなのですが、
身体の成長していくにつれ肋骨の凹みが強くなってしまうので
心臓がより圧迫され、より身体が欲している心臓の
能力を提供出来なくなってしまっているのではないか
と考えています。(心臓が漏斗胸により圧迫されているため)
身体が成長するにつれ、胸にバンドを巻かれているような
圧迫感も感じるようになりました。
これも推測なのですが、身体は成長しより多くの血液の
循環が必要なのに、漏斗胸によって心臓が圧迫されて
必要な量の循環が出来なくなってしまっているのでは
ないかとも思います。
それも、各種血液検査などでは異常がない程度だとは
思いますが、、。
分かりやすく言うと、ちょっと走っただけで心臓が
100パーセント限界です!となってしまう
まるで容量の小さいCPUのようなものと言ったら
良いでしょうか、、
また、全体的に息が浅いことにより
常にマスク3枚を付けている状態のような状態ではないのではないかと思っていいます。
漏斗胸で一番困ることは、このような状態が比較出来ず
(普通の人と比べると)息苦しく大変な状態なのに
自分で気づけないことにあると思います。
当然漏斗胸として生まれてきて、
「漏斗胸じゃない状態」になったことがないので
「(これくらい苦しいのが)普通なのか、、」
となってしまい、息苦しいことに「気づけないこと」に問題があると思います。
例えば骨折していたり、各種血液検査などパッと見た目で分かるような病気は
他人や正常値と比較すればすぐに分かり、
「健常な人と比べ、自分はこれくらい病状が悪いのか」
と分かりすぐに診断を受け、治療に向かうことが出来ます。
しかしながら、漏斗胸の息苦しさなどは
これといった検査結果にも現れず、
結果、「気のせいだと思いますので精神科へ、、」
などとなってしまうこともあると思われます。
その中で一つ大切な指標としての肺活量検査もあると
は思いますが、
肺活量検査で簡単にいうと
「最大に吸い込んだ肺の容量」
や
「肺が最大限頑張ってどれだけの数値を出せるか」
といったことは分かりますが、
普段普通に起きている時や寝ている時に
やや息苦しいということは当然結果として現れません。
それどころか前述した通り、この人生ずっと漏斗胸
であったせいで、自分がどれだけ苦しいのかを比較出来ないので
「なんとなくの体調不良、疲れやすい、これはなぜなのか、、やっぱり精神的な問題なのか、、?」
という、病院に行っても原因不明、
社会生活までは問題はない自分自身の微妙な体調不良という
悲しい結果です、。
試しにランニングしてみても、やはり漏斗胸で心臓能力が少し下がっていることもあり
すぐ疲れてしまい、体力も中々つかない、、
と言ったことも考えられます。
他人より頑張っているのに、体力がつかない
というのは、人により生まれ持った体力などもあるのので一概には言えませんが
少し悲しいものです。
様々な方の漏斗胸のブログや動画を見ると
ほぼ全てで、長距離走など持久力を試すものに苦手意識を持っていたり、
疲れやすいといったことを目にします。
疲れやすい
↓
他人と比較し、自分は劣っていると感じやすい
(他人が頑張っている時に自分は疲れ切っていたりするため)
↓
自分は頑張れないダメ人間だ、、
↓
鬱
となっているような構造もなんとなく理解できます。
自分も医師ではないため確信的なことは言えませんが、
これで精神科を受診し、鬱のための治療をしても
根本的解決にはならないような気がします。
この場合解決策は
1、自分は残念ではありますが、他人より体力がないことを受け入れる。
2、疲れやすいのを解決する、そのために漏斗胸を治す
のどちらかになってくるかと思います。
また、もう一つ問題があると思うのが、
重度の漏斗胸以外なかなか医師に診断されない
ましてや、治療を勧められないということもあります。
自分もCTの結果からみると軽度というより
手術対象の「中度」の漏斗胸でした。
ちょっと凹んでいる胸、というよりは
手術が必要なくらい、ぼちぼち悪化している、ということです。
にもかかわらず、今まで数多く受診してきた
各種の整形外科の医師や健康診断の医師、そのほかほぼ全ての医師に漏斗胸について何一つ触れられませんでした。
診察の際当然ですが、聴診器で胸に当てられるわけなので
当然胸の形も見えてるはずですが、今までの約30年間
どの医師にも漏斗胸の治療の必要性の話題になったことは
ありませんでした。
先日も、とある機会で大学病院の整形外科の恐らく30歳程度の医師に、
「私はCTの検査から中度の手術対応の漏斗胸と分かっているのですが、正直どれくらい漏斗胸について知っていますか?」
と聞いたところ
「比較的珍しい病気なので(医学部の)授業でちょっと名前だけは聞いて、確か骨をひっくり返す方法で治すくらいしか分かりません。
医師として確かに胸がへこんでいることくらいは分かりますが、実際に今生きているのに支障がなければ問題がないというところです」
とのことでした。
当然医師として現実問題全ての病気について全てエキスパートで、
全て熟知していることはありえませんので、医師が悪い
というつもりは毛頭ありませんが、
つまり
「今生きているのに支障がなければ問題がない」
というところが肝心だと思います。
例えば病気が原因で死に直結するような病気や、(例えば急に嘔吐してしまうなど)社会生活に問題があるような病気なら
当然医学部の授業でもしっかりと勉強して
その対処法について詳しく学ぶと思うのですが
漏斗胸の場合
「(疲れやすかったりするが)社会生活には問題がない」
というところが問題であり
病気の優先順位としては当然下がってしまうのは
仕方のないことだと思います。
そもそも診断基準についても
CTを撮って一番胸の凹んでいる部分の
身体の横の長さ÷縦の長さ
で3.2よりも値が大きくなれば手術対応という
指針もあるようですが、
その場合局所的に胸が凹んでいる人は
ある意味安易に数字が大きくなり
広く浅く凹んでいる人は
数字が大きくならないということで
この基準だけでは、手術の対応かどうかというかは
一概に決められないとも聞きました。
少なくとも、息苦しさなどを訴えれば
保険適応で手術はできるそうです。
(そもそもその息苦しさも前述のとおり漏斗胸の場合
「これくらいの息苦しさは当然」と思うくらいずっと
息苦しい状態で生きているので気づけないと思うのですが、、)
これも当然ですが
医師は医師であり、患者ではないため
検査に異常がないと
どれだけ息苦しいと訴えても
「気のせいでは、、、? 精神的な問題・・?」
となってしまうことも仕方がないと思います。
恐らく漏斗胸だと検査結果に異常がないくらいの
軽度の息苦しさが永遠と続いているのだと思います。
なので、これも推測ですが
息苦しい
↓
常に交感神経が活発(リラックスができない)
↓
常に疲れている
↓
機嫌が悪いようにみえる
↓
対人関係が、、
↓
精神的に辛い
となったりするのではないのでしょうか。
息苦しい、例えばマスク3枚付けて息苦しいような
状態がずっと続いているような感覚なのではないのでしょうか。
これでは家でゆっくり休んでも、すっきり疲れが
取れるはずがありません。
これも繰り返しになりますが、
生きてこの際ずっと漏斗胸なので
「これくらい疲れているのは普通」
と思っていて、自分が疲れていることに
気づかないことも大きな問題だと思います。
自分の場合は普通にしている時も(特に疲れてないと自分では思っている)
「疲れてる・・?」
と知人から言われることが今までの人生で
結構ありました。
また、長期的な問題として、姿勢の悪さも
一因としてあるように思えます。
これも一般的に漏斗胸の方は猫背になることが多いと聞きます。
一言で言えば姿勢が悪いということです。
姿勢が悪いと各種問題が出てくることは確実にあると思われます。
一般的に姿勢が悪いと
内臓が圧迫されて胃腸に負担がかかるため逆流性食道炎や便秘のような消化器障害を引き起こすことがあったり、
当然猫背なので肺機能も低下させます。
結果無気肺、肺炎、肺気腫を招く可能性もあります。
簡単に言うと、お腹の調子が悪くなりがちで、疲れやすいと言うことです。
そして結果として心理面にも影響を及ぼし、気分がすぐれなかったり、うつに陥ったりすることもあります。
お腹の調子が悪く疲れていれば、誰しもいい気分ではないでしょう。
また個人的な話にはなりますが
去年自己免疫疾患(自分の免疫系統が乱れる)
で病気になりました。
これも原因不明なのですが、自律神経が乱れると
なりやすい病気のようです。
(そもそも自律神経の乱れは万病の元ですが、、)
当然、一因として
漏斗胸
↓
姿勢が悪い、息が浅い
↓
熟睡感がない、朝起きた時肺が疲れてる感覚がある
↓
気分が落ち込む
↓
自律神経が乱れがち
↓
自己免疫疾患
というのも一つの流れではないのかと思っています。
ステロイドなどを服薬し、その病気はほぼ治りましたが
結果としてこの大元の原因、すなわち漏斗胸を治さなければ
また再発するのではないかと思いました。
他にも
漏斗胸
↓
何となくの息苦しさ
↓
睡眠時歯を食いしばる
↓
朝起きた時から肩こり
↓
肩こりからくる眼精疲労
↓
目のくまがひどい
となったり
この場合も目薬をもらっても根本的に解決にはならず
漏斗胸を治さないと根本的解決にならないのでは
と思うようになりました。
他にも
漏斗胸
↓
何となくの息苦しさ
↓
熟睡感がない
↓
朝起きた時から疲れている
↓
栄養ドリンクやコーヒーをよく飲んでしまう
↓
自律神経が乱れる、お腹を壊す
↓
より寝れなくなる
↓
落ち込む
と言ったことも考えられます。
この場合睡眠薬をもらっても無同じく
根本的な解決にはならないように思います。
同じく漏斗胸を治すことが根本的治療だと
気付きました。
この場合も、眠れないから、、、と
各種病院に行っても残念ながら漏斗胸が原因とは
診察されないでしょう。
それが厄介な点だと思いました。
今の身体の悪いのは元を辿ると
どんなことが悪いのかを
考えるのが大切だと思いました。
こればかりは医師に頼っていても、中々わからないと思います。
なぜなら例えば精神科なら精神的なことを中心に診察するので、
当然精神科に寝れないのです、、と行っても、その「寝れないこと」には対処
してもらえても、その原因は自分にしか分からない可能性が高いからです。
自分自身で何が悪いのかを調べることの大切さを感じます。
調べると漏斗胸の患者には胃や腸に関すること
(お腹を壊しやすかったり、胃が痛くなりやすかったり)
といったことも見られます。
また、とても丁寧で、気遣いが上手な方も多いような印象を持ちました。(悪い意味ではありません)
(少なくともパリピのような方は中々見ませんでした)
それも、漏斗胸よる精神的な影響もあるのではないかと思います。
漏斗胸
↓
上記のような診断されないほどの各種体調不良
↓
神経質で丁寧な精神
といった流れではないのか、、と考えています。
これもまた先ほどと同じですが、
姿勢が悪いことですぐに死に至ようなことはありませんし、
すぐに治療しなければマズい!という訳ではありません。
しかし、この姿勢の悪さで、10年、20年、50年、、
と経っていったらどうでしょうか、、。
医師の観点からするときっと
「姿勢が悪い程度で、骨を矯正するような手術をするほどではないのでしょうか、、」
や
「今普通に生活できてますか?なら手術とかはしなくても良いのではないのでしょうか?」
となると思います。
確かに姿勢が悪い程度でいきなり重度の病気になる訳でもない訳ですし、、
そもそも姿勢が悪い程度で全国民を手術していたら大変なことになります。
なので手術はしなくてもよいとなることも多いとは思いますが、果たしてそうなのかと思うようになりました。
自分自身も胃が痛くなりやすかったり、お腹を壊しやすかったりします。
その場合病院に行くと当然胃薬やお腹の薬をもらい
大抵ぼちぼち治ります。
が、しかし本当にこれでよいのかと思うようになりました。
そもそも、胃や腸が悪くなりやすい原因を治した方が結果として早いのでは、、、?
となりました。
なぜなら、それが漏斗胸を治さなければ、漏斗胸のまま人生ずっと続くからです。
(自然治癒はほぼない)
胃が痛くなるたびに1日を棒に振ったり、気分がすぐれなかったり
お腹を壊してトイレにこもっている時間や
疲れやすく休んでいる時間が長かったり、、人生スパンで
考えると1ヶ月で5日ほど機会損失していると考えたら
1年で60日
30年で1800日ほど機会損失しています。
実際に今のところ毎朝のように熟睡感がなく、
朝胃がムカムカしたり、
熟睡感がないためにコーヒーを飲んで頑張ろうとしたら
お腹を壊したり
と1ヶ月で5日では足りないほどの機会損失をしていると
思っています。
体感的には疲れが取れずづらく、休憩時間を長くとったり
していることも考えると1ヶ月で10日程度は機会損失
しているように感じ、
1年で120日
30年で3600日は機会損失しているような
感覚があります。
その度胃薬やお腹の薬を飲むより
その原因を治した方が正直早いのでは?
と思いました。
たとえ、手術により3年間、つまり365日の3年間
つまり、約1000日程度を手術や、身体に入れたバーのため少し不都合な生活を強いられても
3600日の機会損失を比べれば
手術した方が得ではないかと考えるようになりました。
また、手術した後に、よい睡眠がとれ、よりよい生活を生めることになれば
お釣りがくるほどではないかと思うようになりました。
金銭面に関しても保険適応ですので、
日本の保険制度を使えば、正直なところそこまで
費用負担はなくて済みます。
収入によって上限の負担額が決まっていますので、正直
金銭面が問題で手術が出来ないと言うことはないと思います。
当然仕事にも休みをもらわなくてはいけないのですが、
健康な身体あっても仕事と思えば、個人的には健康第一だと思っています。
仕事<健康
と、思います。
普通に考えて「胸に金属いれて肋骨ボキボキ矯正します」
と言うと「なんと大手術な、、!どんな大変な病気なのですか?!」
となり
「姿勢が悪かったり、疲れやすいといった病状です。」
というと、その程度でこんな大手術しなくても良いのでは、、?
となる方もいらっしゃるとは思いますが
私は上記のような機会損失の考え方を踏まえ
手術に至ります。
当然医師は医師であり、患者ではないので
息苦しさなどを訴えても
検査に異常もないことから
「通常生活に問題なければ、そこまで手術しなくてもよいのではないのでしょうか、、少なくとも検査結果は異常はありせんし、、異常がないということは体にメスを入れるようなことはなかなかお勧め出来ません、、」
となるのだと思います。
検査結果に異常がないので、仕方がないと思います。
また、私も中度の漏斗胸なのですが、
ここ少なくとも5年前までは中度くらいでは
「手術はしない方がよいのではないか」
という治療方針だったそうです。
当然手術にはリスクがあるので
その病状と手術する方のどちらにメリットがあるのか
を考えて手術します。
先生にも聞きましたが、
「この程度の中度の漏斗胸は5年前くらいだったら手術しなくてもよい」
と言っていたが、
各種病気の研究や手術結果が揃ってきて
この程度の、中度でも手術をすると良い結果が
得られることが分かってきた
(良い結果→手術のリスクより、体調の改善などメリットが大きいということ)
とのことでした。
ですので、今まで各種健康診断などで診察してきた医師も
適当に診察している訳ではなく
その医師が医学部で学んでいた時代(10年以上前)
は少なくとも私の中度の漏斗胸は
「手術しない方がよい、手術するほどではない」
となっていたと思われます。
他の病気でも
「今までは積極的な治療をせず、様子を見た方がよかった
とされていたが、最新の治療データが集まった結果、手術や治療をした方が良くなると「最近分かった」」
事例があると思います。
いくら医師とはいえ全員が全ての病気の最新の知識を
持っているはずがなく
今までの医師には
「手術するほどではないよ」
と言われてきたことに納得がいきました。
ここで学んだのは、本当に悩んでいるような
病気があるのなら、よく医師を調べて最新の
知識を有している医師を受診するべきということでした。
ドクターショッピングのようになってしまいますが、
A先生だと
「これは様子見でいいと思います」
B先生だと
「これは様子見でいいと思います、と、この前まで言われていたのですが、最新の研究からすると手術すると○パーセントの確率でよくなることが分かりましたので手術しますか?」
C先生だと
「以前のB先生のような手術方法だと○パーセントの手術成功率でしたが、私たちの手法によるとそれより高い確率で治ります」
といった医師により全く医療に対する情報量が違い、
結果も大きく違うことになることが現実にあると感じました。
どのような病院でどのような治療を行っているのか
今は簡単にネットで調べられるので本当に
良い世の中になったと感じます。
情報戦であるとつくづく思います。
知っているか、知らないか、調べたか、調べなかったか
それだけで大きく変わると思いました。
最後に、医学的根拠はほぼない1人の個人の個人的な文なのでご了承ください。