◎ 「人間の自由意志を司る超越的意識」
我々の意志を司る大いなる意識があるとするならば、人間の意志は本当の意味においては自由ではない。我々の意志は“自由意志”とはいえない。ただ、それは我々にとって自由であるかのように思えるだけだ。
それならば、その我々にとっては自由であるように思える範囲においては、それをあえて“自由”と名付けよう。我々にとってそれが自由であると認識されるように我々を創造された根源なる超越的意識の意図を尊重するために。
◎ 「人間の自由意志は本当に自由なのか?」
通常、いわゆる人間とは、我々が認識しうる範囲の人間であり、我々は、我々が認識しうる範囲を超えたものは永久に知ることができない。我々がどんなに向上進歩したとしても、我々にもともと認識が許されている範囲を越えることはできない。
従って、我々は、我々の自由意志そのものを(遠く我々の存在を超えて)支えている意識、すなわち、超越的意識(根源なる意識)を同じ理由で完全に認識することは許されていないのかもしれない。
我々にとって分かるのは、我々が主体的自由だと思って行使していた意志が、実はそれが背後から与えられたものであり、それは、超越的意識の意志であるのかもしれないという所までである。
私は、時折、自由だと思って行使している意志が、ふと誰かに意志されたものではないかと感ずることが多くあるのだ。
(つづく)
by 天川貴之