僕とメンタリストDaigoって、よく似てるなぁと思うときがあります。

彼が心理学を学ぼうと思った一番大きなきっかけはイジメですよ、絶対。


だって、僕もイジメがきっかけで心理学を学ぶようになったんですから。
だから彼の気持ちはよくわかるんだ。

だけど、彼はどこかで道を間違っちゃって、
いつの間にか彼自身が社会的な「イジメを推奨するような怪物」になってしまった。

イジメは、虐められた人間の性格や将来を大きく変えてしまう。
だからイジメなんて絶対やっちゃダメなんだよ。

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皆さんこんにちは。
東京スイカツリーです。
いつもイイネやコメントをありがとうございます。

重い記事の投稿やはめようと思ったんですけど、
昨日の記事でどうしても言い足りてなかったことがありました。

だから、昨日に引き続き、「洗脳は怖い」という話をします。


■メンタリストDaigoの思想はヒットラーと同じ

メンタリストDaigoは
 『もともと人間はねぇ、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きていけるんですよ』
と言い切った。

つまり、メンタリストDaigoは
 「群れ全体の利益にそぐわない人間は処刑すべきだ」
という思想を「正しいこと」と認定しているわけです。

このメンタリストDaigoの思想は、
旧ドイツのヒットラーのナチ党(国家社会主義ドイツ労働党)が進めた
 「ドイツの利益にそぐわないユダヤ人は全員抹殺すべきだ」
という思想と全く同じ思想なんです。

ナチスはこの思想に基づき、ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)を行ってしまった。
当時のドイツ人はそれが正しいと思い込んでいたわけです。


■盲信者は第3者の話を聞かなくなる

メンタリストDaigoを「師匠」とあがめる人達はメンタリストDaigoに洗脳されてますから、
メンタリストDaigoが言うことは正しいと思い込んでいます。
これはヒットラーが言うことは正しいと思い込んでいたドイツ人と全く同じ状態。

だからこそ、メンタリストDaigoを「師匠」とあがめる人達は
メンタリストDaigoが
 「ホームレスや生活保護受給者の命はどうでも良い」
と吐いた言葉を正しいと思っている可能性が高いです。

だからこそメンタリストDaigoを「師匠」とあがめる人達は、
メンタリストDaigoの動画への彼らがコメントを書くときに、
「ホームレスや生活保護受給者の命」という最も重要な問題について
コメント内で一切何の言及もしていないのです。

これが、まさに洗脳されている証拠。
メンタリストDaigoを「師匠」とあがめる人達が
メンタリストDaigoに洗脳されている証拠でしょう。

洗脳された人

メンタリストDaigoが世間からバッシングされているその理由は、
(1)メンタリストDaigoが登録者数240万人以上を擁する影響力が高い人物であり
(2)その大きな影響力を持つメンタリストDaigoが
「ホームレスや生活保護受給者の命」を軽視した
からなのです。
つまり、今回の動画の問題の中心として考えねばならないのは、
「ホームレスや生活保護受給者の命」の問題なのです。

ところが、メンタリストDaigoを「師匠」とあがめる人達は、
「ホームレスや生活保護受給者の命」のことはコメント内で一切触れず、
メンタリストDaigoをただ擁護する書き込みしかしていません。
自分たちの「思想」に都合が悪い部分には完全に目をつぶってしまっているのです。
命の大切さに目を向けようともしていない。

盲信者とはそういうものなんです。
・信じているものは疑わない。
・信じたくないものからは目を背ける。

盲信者が一番やっかいなのは、
 『自分が信じることを貫くために、
 第3者の意見をいっさいかたくななまでに聞かなくなる。』
という点です。
聞く耳を持たなくなるので、彼らには外部からの意見が届かなくなるのです。
だからますます「信じるもの」にのめり込み、傾倒してしまう。


■おかしな意見を言い出す人たち

メンタリストDaigoの動画のコメント欄では、そのほかにも、
おかしな意見を書いている人がいます。
例えば、
(1)「こういうコメント見るたびに私は多様性について考える」という意見
(2)「多数で個人を攻撃するのは良くない」という意見
など。

●(1)の「こういうコメント見るたびに私は多様性について考える」という意見

僕は、「ホームレスや生活保護受給者の命」を問題にしている議論の中で、
どうして急に「多様性」という言葉を持ち出してくるのか?
最初、その意図がさっぱりわかりませんでした。

よくよく考えると、僕の推測ですが、この人は次のようなことを言いたかったんでしょう。
「人には様々な意見があるのだから、メンタリストDaigoが言う意見だって一つの意見。
意見の多様性を尊重して、メンタリストDaigoの意見も一つの意見と認めるべき。」


いやでも、もしこんな風に考えているとしたら、
この人、今流行(はやり)の「多様性」という言葉に酔いすぎてる。

意見には多様性があり、それを認めているからこそ、
それを主張するためのプラットフォームの一つとしてYoutubeがあるわけです。
つまり、多様性に対する対応はそこでしっかり一旦対応が済んでいるのですよ。

でなければ、好き勝手なことをYoutubeに投稿できません。

事実、行き過ぎた動画はたしかに削除されてるけど、ほとんどは投稿できてるよね。


でもこのコメントを書いた人は、Youtube自体が基本的には多様性を認めてることに全く気づいていない。

それを見ている大多数の視聴者たちも、基本的には多様性を認めてはいるんですよ。

だから観ているんだから。


しかし、メンタリストDaigoの動画を見た大多数の一般人は、
多様性の一つの意見として発せられたメンタリストDaigoの動画を見て、
 「それはおかしい」
と思ったから反論している
わけなのです。

「多様性を認めること」

 =その人の意見を認めること、

ではないのですよ。


でもこのコメントを書いた人は、なんだか「どんな意見でも認めろ」と言っているようにしか聞こえません。
むしろ、この人が言うことは「反論なんて絶対言うな」と言っているのと同じなんですよ。

だって、全部認めなきゃいけないんだからさ。反論なんてできなくなる。

反論そのものをさせない雰囲気を作ろうとしてること、それこそが多様性に反している行為だというその大きな矛盾にこの人は全然気づいていない。

 

全ての意見を認める(是とする)なんて、どう考えてもあり得ません。
光と闇があるように、陰と陽があるように、意見にも必ず対立したものがある。
だから、そもそも対立したものを「多様性」という「対立とは筋違いな意味」
を持つ言葉を使って一つにまとめようということ自体が無意味なのです。

そもそも、ある意見に対して反対意見を書いて何が悪いのか?

今回のメンタリストDaigoの件も、たまたま反対意見が多かっただけじゃないですか??

こういうのは攻撃って言わないんですよ。

勘違いも甚だしい。

 

「どんな意見でも認めろ」=「反対意見は言うな」というのは暴言に値しますよ?

香港で反対意見を言わせない法律を作った某大国とやってることが同じじゃないですか?

だけど最近、あまりにも「多様性」という言葉が流行りすぎていて、
多様性という言葉の使い方を間違っている人をよく見かけるようになったんです。
(1)の意見を書いたこの人も、「多様性」という言葉の意味と使い方を間違って解釈してる人だと思います。


●(2)の「多数で個人を攻撃するのは良くない」という意見

芸能人や一部の知識人にもそういう人がいます。
「メンタリストDaigoを攻撃するな」という人達の「優しい気持ち」はとてもよくわかります。
この方たちは、優しいんですよ。
優しいから、今のメンタリストDaigoの気持ちを察することができ、
彼を守ろうとする。
それはすごくよくわかる。

しかし、「原因があって結果がある」ということを忘れています。

「社会的に間違っていること」をメンタリストDaigoが動画で言ったから、
「それは違う」と国民みんなが反論しているに過ぎないのです。
これは「攻撃」ではなく、「反論」です。
その反論を「攻撃」という表現に安易に変えるのは被害妄想と言って良い。

メンタリストDaigoを攻撃してるように見える人達は、
『世間の意見の「ベース」は、そもそも「メンタリストDaigoへの反対意見を書いているにすぎない」』
ということであり、それを理解しないとダメです。

反対意見の書き方は人それぞれであり、
感情的になった人はそれなりの感情的な書き方をしてしまうでしょう。
反対に、僕が前回のブログで紹介した

「オウム」麻原彰晃に酷似する「メンタリスト」商法
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66492

という記事のように、冷静に、論理的な視点を持って分析して、
反対意見を表明している人がいるわけです。

これらの感情的意見や冷静な意見を、
何にも考えずに全部一つにまとめてしまって
ただただ「攻撃してる」と受け止めるのはおかしい。

Aという意見に対してそれに反するBという意見を書いたとき、
たまたまBという意見が多数を占めたからといって、
すぐにそれを「攻撃」ととらえるのは、被害妄想の何物でもないです。

今回のメンタリストDaigoへの大多数の反論というのは、
国民の多くはメンタリストDaigoが言うような優生思想みたいな考え方はしていないという「大衆の意思の表明」です。これこそが世論
攻撃しようとして書いたわけではないわけです。

被害妄想に基づいているとはいえ、勘違いしちゃダメなんですよ。こういう大事なことは。真顔

国民のみんながメンタリストDaigoが言うことが正しいと思うのなら、
現在のような反論の大洪水みたいな状況になっているはずがないじゃないですか。


■意見を「攻撃」と短絡的に解釈してしまう人に共通する「大きな勘違い」

しかも、もうひとつ、大多数の意見を「攻撃」と
短絡的に解釈してしまう人に共通する「大きな勘違い」があります。

それはなにかというと、

(1)「ホームレスや生活保護受給者の命」という多くの人間に関わる問題
誰が、いつ、何が原因でホームレスになるかわからないのだから、
これは国民の大多数に共通する、非常に深刻な無視できない問題です。

例えば東日本大震災や洪水などで財産を失った人は保護を受けて生活してる。

そういう被災者の命はどうでも良いわけがないの。

それなのにメンタリストDaigoの思想が正しいなら、そういう被災者は生きてる価値が無いということになるぞ?)

(2)メンタリストDaigoという「一人の人間だけ」に関する問題
(メンタリストDaigoの気持ちというのは、彼本人だけの問題。

そもそも今のバッシングは、優生思想を世に振りまいた本人の責任でしょ。)

この2つを、ごっちゃにして考えてしまっているということです。

メンタリストDaigoを「応援する」と書いている人は、
そもそもそれを「攻撃」と受け止めてるいること自体が勘違いなのに、
大多数の意見がたまたまメンタリストDaigoのナチズムのような思想、
・優生思想とは反対の意見だったに過ぎないのに、
そういう国民的な大問題を、「メンタリストDaigoを応援する」という風に
急に個人の問題に置き換えてしまっているのです。

国民的な大問題を個人的な問題に置き換えるなんておかしい。
この2つを比較するには問題の大きさが違いすぎる。

国民の大多数の人達は、
 「ナチズムのような思想、優生思想は良くない。受け入れられない」
という意見を言っているのです。
それなのに、「メンタリストDaigoを攻撃するな」と考えた人達は
 「メンタリストDaigoという個人をみんなで攻撃するな」と。

はぁ?ニヤニヤ

どうですか?この2つの意見。
意見の視点が「国民全体の問題」と「個人一人の問題」という形で完璧にすれ違ってます。
メンタリストDaigoを擁護する人は、視点が根本から間違っているということです。

つまり、「メンタリストDaigoを攻撃するな」と考えた人達は
完璧にズレた意見を書いていることに気づいてないんです。
国民大多数の意見を正面から受け止めてないんです。

この問題の例えとして、前回のブログ同様、犯罪者に置き換えてみます。

今回は、ドイツのヒットラーと比較します。

メンタリストDaigoは、
 「ホームレスは、犯罪者やコロナと同じ」と言った
ヒットラーは、
 「ユダヤ人は体制の破壊者である」と唱えた。
 → 体制の破壊者=これはつまり犯罪者
 → メンタリストDaigoはこれと同じ考え方だ

メンタリストDaigo
 「もともと人間は、群れ全体の利益にそぐわない人間処刑して生きている」
 「犯罪者が社会の中にいると問題だし、皆に害があるでしょ。だから殺すんですよ」
一方、ヒットラー
 「ユダヤ人全体を断固除去することが最終目標」であるとして大虐殺を実行
 →このヒットラーの行為こそ、「群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きた」ことに他ならない。

ほら、ヒトラーとそっくりでしょ??

メンタリストDaigoの考え方は、間違いなく
 ・ナチズム
 ・優生思想
何物でもないのです。


こんなことが許されるのですか?

こんな危ない思想が許されるのですか?
こういう人物を「かわいそうだから許す」って、何を考えてるのか?
国民全体への影響について考えているのか?
世論を何だと思っているのか?

もっと世界の歴史を勉強した方が良いよ?

それでなくても中学生や不良たちがホームレスを遊び感覚で殺してしまう事件がたびたび起きています。

メンタリストDaigoという、ヒットラーのような人心を操り、社会的に大きな影響力を持つ人物
「ホームレスなんて殺せ」という誤った発信をしたために、
中学生や不良たちがホームレスを遊び感覚で殺す事件が増加したらどうするのですか?

 

それに加えて次の記事

 

メンタリストDaiGoのコメント欄でホームレスがNGワードの謎

 

によると、

 

メンタリストDaigoの過去のツイッターでは

誹謗中傷するアンチに対して

 《追い詰めると謝ってくるアンチがいるけど…》

 《悪いけど、容赦しないよ?》

 《あなたの人生を潰すまでやりますよ僕は?》

 《自分の軽率さを悔やむがいい》 

といった内容を書き込んでいるそうじゃないですか。

 

こんな言動は、まちがいなく恫喝じゃないですか。

 

*恫喝 = おどして、恐れさせること。*

 

メンタリストDaigoという人は、Twitterを使って、

全世界に向かって人々を恫喝したんですよ。

これ、まともな行為ですか?

 

メンタリストDaigoがこれをほんとに実行するというのなら、

今までメンタリストDaigoの意見に対して誹謗中傷した一般市民、芸能人、知識人など

これら全ての人間が、人生を潰すまで追い詰められる、ということになる。

それこそ、ヒットラーの「大虐殺(ホロコースト」と同じ行為と言っても言い過ぎではない。

 

問題はまだあるんだよ?

この記事によると、

 

『スーツの謝罪動画では、視聴者が書き込めるコメントで“ホームレス”という言葉がNGワードになっていると訴える人がいました。』

『“ホームレス”だと書き込みがキャンセルされるので、“ほームレス”と言う表記で書き込む人も。』

『このような状況下では“本当に反省しているのか?”と疑われても仕方ない』

 

とワイドショーの関係者が言っていると。

テレビのワイドショーでこれが取り上げられるのも時間の問題かもしれない。

 

あの再謝罪動画のコメントで“ホームレス”という言葉が使えないんだって。

コメントで“ホームレス”という言葉を使えないようにしているわけ。

再謝罪してるはずなのに、自分に都合が悪い言葉は使えないように設定しているわけですよ。

いったい何を考えているのか。

やってることが卑怯。

言論統制とか、検閲みたいなことをやってるわけですよ。

自由なコメントが許されてないと。

結局メンタリストDaigoは、謝罪するなんて気持ちはないということがこれでわかったのではないでしょうか?



ここまで非常に危険な思想をしているメンタリストDaigoを簡単に許してしまう、

そして大きな国民的問題を一人の問題に置き換えてしまうような安易な人達は、

ホームレスを殺すような人がこれ以上増えても構わないとでもいうのでしょうか?

ヒットラーのナチズムは、今では世界から完全に非難されています。
特にナチズムの大虐殺を経験してしまったヨーロッパ諸国は、学生にナチズムの悲惨さについて学ぶ機会を必須で設けているそうです。

社会的に認められていないものは断罪されてしかるべきなのです。
そんなこともわからないで、メンタリストDaigoを「応援する」と書いている人たち。
これが洗脳の結果でなくてなんなのでしょうか?

メンタリストDaigoを「応援する」と書いている人の中で以下のようなことを書いている人も数名言いました。
 「今回の件はひどいと思っているけど、
 私は彼の動画には利用価値があると思っているから、Dラボは退会しない」

彼らは、自分がメンタリストDaigoを利用している気になっているのです。
本当に利用してるのか?

それとも、利用している気になってるけど、本当は利用されているのか?

だけど、思いだして下さい。
オウム真理教の人達だって、最初は「ヨガで健康になる」と言われてオウムを「健康のために利用しよう」と思い込んでた人達なんですよ。
それがいつの間にか洗脳されてしまい、平気で人を殺すようになったのです。

そういう騙された信者たちとそっくりなんですよ、彼らの考え方が。

だから洗脳は恐ろしい。


洗脳が恐ろしいのは、
 「自分が洗脳されていると全く気がつかない点」
洗脳はその人の基本的な考え方を変えてしまう訳なので、自分が洗脳されていることに気づかないのです。

「彼の動画には利用価値があると思っている」
という考え方そのものが、彼の洗脳によって成り立ったものだと気づいた方が良い。

そういう人がいる一方で、
「その違和感に気づいたのでDラボをやめた」

とコメントに書いている賢明な考えの人もいるのですよ。

そもそも、メンタリストのDラボを見ている人たちって、

「人の気持ちを探りたいから、人を操りたいから、参加している」

わけでしょう?

この人たちは、人を操るために勉強してるんでしょう?

それが学習の目的なんですよね?

「実際に役にたった」とメンタリストDaigoの動画のコメントに書いた人もいるけど、

いったいどんな風に役に立ったのか?

それって気持ち悪くないですか?真顔

 

僕自身、正直最初はそういうおかしな気持ちで心理学を始めたんですよ。えー

メンタリストDaigoと同じで、イジメた奴らに復讐をするために。

今思えばすごく気持ち悪い。ゲロー

 

だけど、社会を生きていくうちに、僕はそういう考えを捨てたんです。

自分の経験の中で、それは間違っていると思ったから。真顔

いまでも心理学は学び続けてるけど、いまは

 「洗脳されている人を救いたい」

 「洗脳の怖さを世の中に知らしめたい」

と思って、前向きな考え方で勉強しているのです。

 

テレビのCM一つとったって、全部洗脳だからね?

そもそも人間は「何度も繰り返し見たものに愛着を持つ」という心理があって、それを利用して愛着心を持たせて商品を買わせるのがCMの目的です。だからCMは繰り返し放送される。

 

実際、「聞いたことがない商品」より「聞いたことがある商品」の方を買いたくなりませんか?

実は中身は同じなのに、人は「聞いたことがある、見たことがある」商品を買ってしまうんです。

そればかりか、「見たこともない値段が安い商品を買う人」をバカにする金持ちさえいる始末
いるよね~、そういう人。いるいる。
中身が同じなら安い方が良いのに。
金持ちさんよ、お前が騙されてるんだけなんだよ。ボケ。

 

でもそれだけでは飽き足らず、

・CMで「●●臭」と視聴者を脅して消臭剤や洗剤を買わせたり、

・CMで「除菌ができる」といって視聴者を「ばい菌は怖い、絶対殺菌しなくちゃ」という強迫観念に駆られるように洗脳し、潔癖主義に引き込んで商品を買わせる。

 

そういう企業の広告担当をしてる人たちは、視聴者を脅迫する目的の「●●臭」という新しい言葉を見つけるために、寝ないで考えてるんじゃないですか?

だから、CMには新しい「●●臭」という言葉がどんどん生まれて使われてるんですよ。

直近のCMでは「自粛による生活臭」という言葉が使われてます。

そんな人を脅すような言葉を考える仕事って、やってて面白いのだろうか?

自分の仕事に誇りを持てるのだろうか?

 

世の中そんなに汚いのなら、落ちた物を拾って食べてる野良猫や野良犬や鳩やカラスがなんで簡単には死なないの?

人間にもそもそも防御力が備わっているのですよ。

人間はそんなものでは簡単に死なないようにできているんです。もともと。

 

それなのに、商品を売りたい会社が「●●臭」「菌」という言葉を使って、消費者の恐怖心をあおっているだけなんですよ。

それにみんながまんまと騙されてるの。

 

これがまさに洗脳の手法なのです。

はやく「気づけ ムキー」ってこと。

それをみんなに気づかせたいから、このブログでも僕は心理学的知識をしつこいように書いてる。

 

心理学で金儲けしようとしてるメンタリストDaigoとは目的が全然違うんですよ。

「私は彼の知識を利用するつもりだからこれからもDラボを退会しない」
といいますが、Dラボに入っていれば、その課金収入がメンタリストDaigoにどんどん入っていくんです。
ヒットラーそっくりの危険な考え方をしているメンタリストDaigoになんでお金を供与するのか
そういうことすら、彼らは全然気がついていない。

結局利用されているんですよ。

気づけよ。

「利用しているつもりで、実は利用されている」
こんな恐ろしいことに、全然気づかないかわいそうな人達。
これが洗脳されている人達に共通する姿なのです。

はやく気づけよ、マジで。


■メンタリストDaigoの行為は、欧州では犯罪に値する

もう一度、先ほどの記事を紹介します。

この記事は、ほんと参考になるよね。

「オウム」麻原彰晃に酷似する「メンタリスト」商法
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66492

ここにはこう書かれています。

・この「メンタリスト」青年のナイーブな主張は1930年代中後半のドイツで「生産性の低い国民」に対して、ナチスエリートが打ち出した「合理的解決策」と、ほぼ完全に同じ。

・仮にヨーロッパでこんなものを不特定多数向けの公衆放送、公衆発信に載せたら、2021年現在でもでも刑事罰の対象として、逮捕される可能性があります。

・ご記憶でしょう、先月の「オリンピック開会式」で「ラーメンズ」ですか、名前は忘れましたが「小林某」なる芸能人の「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という、25年前の過去ログで、何が起きたか。


この記事によると、ヨーロッパでは、今回のメンタリストDaigoのような意見は犯罪と見なされる可能性が高いということなんです。
日本ではヨーロッパのような大虐殺ということに対する認識がまだ甘いので、たまたま犯罪として扱われてないというだけ。

彼、いまヨーロッパに行ったら、大変なことになるんじゃないかな?

これだけの「大問題」と、「個人の立場」を同列に考えてしまう人達って、
 『あまりにも優しすぎる』
のではないでしょうか?

その優しさを、

 

・「ホームレスや生活保護者や、ひいては東日本大震災や豪雨などの災害で保護されている人もふくめて、そういう命なんてどうでもいい」なんていう人として冷たすぎる優生思想の危険な主張をしてるメンタリストDaigo一人につかう

 

のではなく、

 

・「ホームレスや生活保護者や、ひいては東日本大震災や豪雨などの災害で保護されている大勢の人たちを守る」ように、その優しさを使った方が良くないかい??

どっちが本当に大切なのか、もう一度よく考えて欲しい。

糾弾されるべき人物は、糾弾されるべきなのです。


最後に書いておきます。

オウム真理教で幹部になって犯罪を犯した人には、理工系大学院に入っていたような頭が良い人も多かったようです。
一方、メンタリストDaigoで心理学のテクニックを学ぼうとしている人達って、比較的頭の回転が良く、成績が良い人が多いんじゃないかと僕は考えています
頭の回転が速くある程度の学習能力がないと、メンタリストDaigoの話にはついて行けないと思うから。

メンタリストDaigoはかなり早口だしね。

 

*メンタリストDaigoはある動画の中で、「わざと早口でしゃべってる。その方が集中されるから。」と、まるで視聴者を実験対象にして心理実験してますみたいな発言もしてるの。

これ以外にも、彼は動画の中で視聴者を実験することで視聴回数が増えるかどうか調べてると、自身の口で言ってます(気になって調べる人が出てくると思うが、うかつに動画を見続けると洗脳されるぞ真顔)。

つまり、やっぱりメンタリストDaigoに食いつく人達って、オウム信者にそっくりなんですよ。

「私だけは絶対に騙されない」と思う人ほど、騙されやすいんだそうですし。
 

 

こんな怪物を、イジメが作り出したんですよ。

だからイジメなんか絶対やっちゃダメなんだ。

 

おわり