今日は、ひとつの問いを皆さんと共に見つめたいと思います。
それは「人間とは、何か——です。
令和七年の今、東京の夜空にはみかずきが静かにかかり、深夜には木星が西に沈みゆきます。ミンミンゼミが鳴き。コオロギと競う時期・都会の明かりに隠されながらも、星は確かにまたたいている。
宇宙の悠久の流れの中で、私たち人間は、ほんの小さな存在に過ぎません。
けれど、その小さな存在が、自らに問いかける。「なぜ生きるのか」「なぜ苦しむのか」。この問いを立てることこそが、人間の証なのです。
仏教の言葉に「じんしん受け難し、今すでにおく」とあります。人間として生まれることは、とても稀で尊い。
なぜなら、人間だけが、自らの苦しみを自覚し、意味を探し、そして悟りに向かう可能性を持っているからです。
動物はただ生きる。機械はただ働く。けれど人間は問う。
「なぜ?」と。なぜ問うのでしょうか。——それは、私たちが「死」を知っているからです。やがて命が尽きることを知りながらも、今日を生きる。この有限性こそが、人間に「意味」を探させるのです。
さらに、人間は他者の苦しみに心を寄せることができます。誰かの涙を、自分の痛みのように感じる。その共感の力は、星や石や動物には見られない、不思議な光です。私たちは孤独な存在でありながら、同時に深くつながっている。ここに、人間という存在の二重性が現れます。
しかし、人間は矛盾の塊でもあります。愛しながら憎み、求めながら拒み、平和を願いながら争いを繰り返す。宗教も、政治も、技術も、本来は人を救うために生まれましたが、時に人を傷つけてしまう。その危うさも、人間の一部なのです。
では、私たちはどうすればいいのでしょうか。答えは一つではありません。むしろ「答えを持てないことこそが、人間の豊かさなのかもしれません。
問い続ける限り、私たちは歩みを止めない。迷いは宝です。
苦しみは先生です。孤独は祈りの入り口です。
そして今、AIや科学が進歩する時代にあっても、この「なぜ?」という問いは、人間だけのものです。AIは答えを探すことはできても、自ら「意味」を求めることはありません。だからこそ、問いをいだき続ける私たちこそが、人間なのです。
どうか忘れないでください。あなたが「なぜ?と問い続けること、そのこと自体が、すでに尊い道のりなのです。
今日もご一緒に、この問いを味わえたことに感謝いたします。ありがとうございます。
Hoo〜〜 Waa!