私のまわりのすごい人
皆さんは「すごい人」と聞くと、どんな人を思い浮かべますか?
テレビに出ている有名人。会社を起こして大成功した人。世界で活躍するアスリートや研究者。
確かに、そういった人たちはすごいと思います。
でも最近、私はこう思うようになりました。
本当にすごい人は、案外すぐそばにいるのではないか。
日常のなかに、静かに、でも確かに光っている人たちがいるのです。
朝6時に走る同僚
私の周りにいるAさんは、ごく普通の会社員です。
毎日まじめに仕事をこなし、特別目立つタイプではありません。
けれど彼は、毎朝6時に起きてランニングを続けています。雨の日も、寒い冬の朝も。
最初は健康のためだろうと思っていました。
ところが、理由を聞いて驚きました。
「走っていると頭の中が整理されるんだ。仕事のアイデアも浮かびやすいし、家族との時間も大切にしたいから、その前に自分の時間を作っているんだよ」
ただ走っているだけではありませんでした。
自分の人生を、自分で設計しているのです。
多くの人が「忙しいから」と夢や目標を後回しにするなか、Aさんは少しずつでも前へ進み続けています。
その積み重ねが仕事にも表れ、
最近では社内での評価も高まっています。
才能よりも、継続の力。
私はその姿に、いつも感心させられます。
近所のおばあちゃんの「小さな図書館」
私の家の近くには、Bおばあちゃんがいます。
80歳を超えていますが、毎月近所の子どもたちに絵本を読んであげたり、
自宅の前に古本を並べて「自由に持っていっていいよ」と貸し出したりしています。
ある日、その理由を聞いてみました。
すると、笑顔でこう話してくれました。
「昔は本が大好きだったんだけどね。家にお金がなくて、なかなか読めなかったのよ」
だから今は、子どもたちに本を読む楽しさを知ってほしいのだそうです。
NPOを立ち上げたわけでも、大きな寄付を集めているわけでもありません。
ただ、自分が受け取れなかったものを、次の世代へ渡している。
それを何年も、自然に続けているのです。
しかも本人は「大したことじゃないよ」と笑っています。
そんな姿を見るたびに、本当の優しさとはこういうものなのだろう、と私は思います。
部下のCくんが教えてくれたこと
入社3年目のCくんは、目立つタイプではありません。
でも、誰かが困っていると必ず声をかけます。
忙しい人がいれば手伝い、落ち込んでいる人がいれば話を聞く。そんな人です。
以前、大きなプロジェクトでミスが続き、チーム全体が重い空気になったことがありました。
そのとき彼が持ってきたのは、失敗分析の資料ではありませんでした。
「みんなが笑える失敗あるある集」だったのです。
「落ち込むのも大事ですけど、まず元気にならないと前に進めないと思って」
そう言って、照れくさそうに笑っていました。
感情に寄り添う力。場の空気を変える力。誰かを元気づける想像力。
こうした力は、数字には表れません。でも、人を支える大切な力だと思います。
「こういう人がいる組織は強いな」——そのとき私は、心からそう感じました。
私たちは、すごい人に囲まれている
あなたの周りにも、そんな人はいませんか。
いつも笑顔で挨拶してくれる人。
誰にも見えないところで努力している人。
誰かのために、さりげなく動いている人。
私たちは案外、たくさんの「すごい人」に囲まれて生きているのかもしれません。
仏教には「慈悲」という言葉があります。相手の幸せを願い、その苦しみに心を寄せること。
Aさんも、Bおばあちゃんも、Cくんも、それぞれの形で誰かのために行動しています。
だから私は、彼らを「すごい人」と呼びたいのです。
誰もが持っている「すごい」の種
私が思うに、すごい人とは特別な才能を持った人だけではありません。
- 自分にできることを続ける人
- 誰かのために静かに動ける人
- 自分の経験を、誰かの希望に変えられる人
そんな人たちです。
私自身はまだまだ未熟で、何かを成し遂げたわけでもありません。
それでも、周りのすごい人たちを見ていると、「もう少し頑張ってみよう」という気持ちになります。
それこそが、身近なすごい人たちからもらう、一番大きな贈り物なのかもしれません。
皆さんの周りにいる「すごい人」のエピソードも、よかったらぜひ教えてください。
「私には立派な話なんてない」と思った人へ
ここまで読んで、そう感じた人もいるかもしれません。
毎日特別に頑張っているわけでもない。誰かのために活動しているわけでもない。
家で過ごす時間が長かったり、気づいたら一日が終わっていたり。
そんな自分を見て「私は何もしていない」と思う日もあるかもしれません。
でも私は、それもまた立派な人生だと思うのです。
苦しい日を生き抜いている人がいます。
誰にも言えない悩みを抱えながら朝を迎えている人がいます。
傷ついて、疲れて、それでも今日を終えた人がいます。
私たちはつい、目に見える行動や成果だけで人を評価しがちです。
でも本当は、ただ生きているだけでも大変な日があります。
一歩も進めなかったように見える日にも、その人にしかわからない闘いがあります。
だから私は思うのです。
すごい人とは、何かを成し遂げた人だけではない。
今日という一日を生きた人もまた、十分にすごい。
今は休む時期の人も、立ち止まる時期の人もいるでしょう。
それでも大丈夫。
花が咲く時期が違うように、人にもそれぞれの季節があります。
今は見えなくても、その時間がいつか誰かを理解する優しさになったり、
自分らしく生きる力になったりするかもしれません。
だからもし今、「私は何もしていない」と思っている人がいたら——どうか自分を責めないでください。
あなたもまた、誰かと同じように、かけがえのない人生を歩んでいるのですから。
一緒に、日常のなかにある小さな光を見つけていきましょう。
今日も、誰かの光に気づける一日でありますように。Hoo〜〜 Waa!