こんにちわ。

エスカレーターを逆走するようすこです。





今日、一週間か二週間か掛けて、やっとこさ恩田陸の「夜のピクニック」を読みおわった。



爽やかな内容だった。



僕はこの本を読んでいる間、主人公達と一緒に『大歩行祭』を歩き続けているかのような気分だった。





物語の最後の辺りで、主人公の一人『融(とおる)』がそれまでの高校生活を振り替えって「もっと高校時代青春しとくんだった」と言った時、もう一人の主人公『貴子』は「高校時代にちゃんと青春した人っているのかな」と言った。





たぶん、高校時代に満足いくほど青春を謳歌した人はほとんどいないよなと思った。

皆、どの時代を振り返っても、「やり残し」を感じるもんなんだよなと思った。





僕もそうだ。

あれもこれも全部、やり残して、あの教室に置いてきた。





いつの時代も、一瞬一瞬、『今』があったんだと思った。その『今』と一瞬だけ触れただけで、それはもう『過去』になってしまって、二度と出会う事はない。

だからいつも何かを置き去りにしちゃったみたいな気持ちになるんだろうな、と思った。



人生は全部、電車の片道キップの旅で、二度と同じ風景を見る事ができないんだなと思った。



毎日、学校に行く為に乗る電車から見える景色も、昨日の物と今日の物は全部違ってる。

今見えてる景色、マンションのベランダに干されてる洗濯物は明日は違う物になってるし、木々の葉っぱも明日は2、3枚減ってるかもしらんし増えてるかもしれない。

空の雲だって今浮いてるやつは目の届かない場所に行ってしまったら、もう二度と同じ形の雲は一生見れない。

今、目の前に座ってる汚いババアも、二度と会う事はないし、もし会えたとしても、今のシワの数と次に会う時のシワの数は違うだろう。

その瞬間の誰かにはもう二度と会えないのだ。







高校の時、勇気を出して、あの子に携帯の番号を聞いていたら、もしかしたら今は違うものになってたかもしれない。

違う部活に入ってたら身長が今より10センチは高かったかもしれない。

違う部活に入ってたら、今の友達は皆他人だったかも。





つまり『今』なにをするかで、明日は全く違うものになっちゃうんだよなーと思った。

融も貴子も、あの時ああしてなかったら、一生ああだったかもしれないし、二度とああはならなかったんだろうと思う。



僕も今、できる事をやんなきゃ、なるようにしかならないんだな、と思った。





今を生きるぜーー!







「夜のピクニック」は映画化されたらしいから映画見ようかと思うんこ。