昨日は、先日25回忌の法要をした私の祖父の命日でした。
生きていれば101歳です。
私は、里帰り出産で実家で長男を産みました。
祖父にとって初めてのひ孫です。
御七夜の時、長男を抱っこしてとても嬉しそうな顔をした写真
が一枚だけあります。
遺影の写真にしようと思ったくらい、笑顔のいい写真でした。
でも、普段していないメガネをしていたので却下。
今だったら処理して無くす事も出来ますが、あの頃は無かったんですかね
11月3日の前後で連休になっていたんです。
両親は、その連休に市場(実家は八百屋)の旅行に行きました。
『寂しいから自分がいない時に自宅に帰って欲しい』と母は言い、私と長男はその時に自宅に帰りました。
それから10日後の昼間、長男と一緒に昼寝をしている時、電話
がなり祖父の死を知らされました。
その日の午前中に病院
に行き、心臓の薬
をもらって来たそうです。
お昼ご飯を食べて、母の実家も八百屋をやっていましたから、前日の売り上げを銀行
に持って行くのが日課になっていました。
祖父は、銀行の外の花壇の所に元気なく座っていたそうです。
顔見知りの女子行員が、
『おじいちゃん、どうしたの?』
と聞いたそうです。
祖父は『ちょっと気分が悪くて胸が』
と言って倒れたのです。
女子行員は慌てて救急車
を呼び、それと同時にお店に電話をくれました。
母の妹が一緒に働いていたので、すぐに駆けつけた時に目が涙が一筋流れたそうです。
病院に運ばれ、心臓マッサージをして蘇生しようとしてたそうですが、
その様子があまりにもかわいそうで見てられず、みんなで相談して
『ありがとうございます。もういいです』
と言ったそうです。
心筋梗塞です。
午前中に病院に行ったんですよ。
その病院で、昼間に亡くなったんです
昔、くも膜下出血で倒れたのですが後遺症もなく、元気になりました。
火葬場でお骨を拾う時、頭の後ろが黒くなってたそうです。
くも膜下出血も一緒におこしたのではないかと母は言います。
お通夜・告別式を無事済ませ、火葬場に行く事になりましたが、私は生まれたばかりの長男がいるので残るように言われました。
行きたかったです
私は、祖父が大好きでした。
『死』というのが結びつかない人でした。
60歳になったら一線から退き、叔父達にお店を任せ絶対に口を出さなかったです。
見事でした
私達が小学校の時は、三浦海岸という神奈川県の海によく連れて行ってくれました。
妹2人や従弟は、祖父の故郷である新潟のくじら波という所にも、泊まり掛けで連れてってくれました。
時々、実家にも泊まりに来て、色んな話をしてくれました。
そして、寝る時は必ず
『○子(私)、ラジオ頼むな』
と言います。
枕元に、私のラジカセをNHK第1に合わせておくんです。
朝、起きたら聞くのです。
祖父から教わった事。
でも、火傷だけは親の責任。
出さなくていけない時は、きちんと出す事。
お金は回っているものだから、出せば必ず戻ってくるから。
祖父は夕飯は自分の部屋で晩酌をしながら、テレビ
を見ています。
私は祖父の家に行くと、祖父の部屋に行ってプロレス
を一緒に見ていました。
とても優しい祖父でした。
昨日は、そんな事を思いながら、遊助のCDを聴いて涙してました
昨日は、そんな事を思いながら、遊助のCDを聴いて涙してました
