『どこにでも』 | 『詩は志なり』

『詩は志なり』

『詩(し)は志(し)なり』と呼びます。
私、ユッスーが書いてきた詩を、まとめるブログです。
詩を書く人と繋がりが広がればこれ幸い!
拙い詩ばかりですが、一応、©とさせて頂きますm(--)m

『どこにでも』

I can go everywhere.
You can go everywhere.
この世界に生きている限り、
僕らはどこへでも行ける。
何にでもなれる。
命っていうGIFTが最高である訳は、
そこに全ての自由が詰まっているから。

無限にも思える無数の元素が、
奇跡のように結びついて彩られる世界
あるときは都会の街角に、
あるときは大自然の真ん中で、
あるときは古びた図書館の片隅で、
いい加減に気付いてくれよと、
メッセージが点滅してる。

誰が認めなくたって、
お金が生じなくたって、
親が反対したって、
かまうこたない。
たった一人、
それを信じてればいい。
それは自分でいい。
それが親友なら尚いい。

まあ、世知辛い世の中だ
徒手空拳では心許ない
簡単に信じれば、
簡単に裏切られたりもする
自分だけが背負うべき荷物も重い
視野が極端に狭まるコーナーもある
嘆きたくもなるし、
刹那の喜びを集めたくもなる

だけど。
ここはやはり、「だけど」だ。
沢山の繋がりの中に生かされて、
その繋がりに足を取られたって、
転んだ大地の確かさに気付けばいい。
その道の広がりに立ち尽くせばいい。

まだまだ、まだまだ、
この物語は膨らんでいける。
全世界の人々が織りなす協奏曲に、
渾身の一曲を加えていける。
雨季の始まりに広がる雑草のように、
雨季の真ん中に生じる虫の大群みたいに、
乾季のはしりに舞う落葉のように、
乾季の終わりに吹き荒ぶ砂塵のように、
数十億の一人一人が、
自分のことばかり考えて、
時々、誰かのことを考えて、
想いが不協和音に放射して、
それを楽しむ僕でありたい。
それを楽しんでる君に逢いたい。

ふと気が付けば、
隣を歩いている人がいなくなった。
道を間違えたみたいな不安の中、
ちょっと眠れない夜もしばしばある。
みんなそれぞれの道を選んで、
その結果、孤独に似た感情に出会う。
僕の自由の隣には寂しさが住んでる。
それを認めることも僕の自由に伴う責任かと思う。
そんな時、
そっと他の人を想う。
もうこの世を去った人のことも想う。
そんなことで和らぐ痛みもある。
どこへでも行ける。
どこまでも行ける。
それが分かったから、
不可能なんて言葉、
もう必要ない。