さて、「まるでネイティブのような英語の発音を身につけるための知恵や方法を探るブログ」(長いキャッチフレーズだ…)が今日、この日からスタートする。追って私の自己紹介なども書いていこうと思うが、今日のところは、まずはプロローグとして、日本語と英語の大きな大きな特性の違いについて書いてみようと思う。

日本語と英語…このあまりに違う2つのコトバは、それを使っている(喋っている)ときの(そう、発音の話ではなく、まずは脳ミソの話だ)の使い方が相当に違う!

私が非常に大きいと感じるのは「気配り依存度」の差。

もし仮に英語を基準点とするなら、日本語はまぁいろいろと気を使わなければいけないコトバだ。グローバル基準(というのがあるかどうかは別として)から見ると我々日本語ネイティブたちは相当に気配り上手だということになる。

たとえば、日本語を普通に話しているときに無意識でこのようなことを考えてはいないだろうか…

この人の年齢はどのくらいだろうか? 敬語を使った方がいいだろうか?
こんな言い方をしてしまっては、立場的に失礼にあたってしまわないだろうか?」とか、
何故なのか理由を知りたいけど、ちょっと立場的に言いづらいなぁ…。別の質問をしてみるか…」なんてケースもあるかもしれないし、
取引先だから、明らかに年下の若い人だけれど敬語を使うか…」などと考えることもあるかもしれない。

また、主語をあまり言わないのも日本語の特徴なので…
え?それは誰のことを言っているの?…あぁ、あの人のことね。」とか
え?そう感じているのはあなたのこと、それとも他の一般大勢のこと?
え?それは誰に聞いているの?私?」なんて、人の話を聞きながら、脳は結構いろんな推察をしてる。

さらに、発音の種類が少ないからか同音異義語が多いのもまたその特徴で、漢字系のコトバの場合には特にそうだが、前後の文脈から適切な漢字を推察して意味を理解するということをかなり無意識にやっている。たとえば…

ケイケンということかな…まぁシンジンのうちはよくあることさ」というコトバを聞いたら普通は
「経験ということかな…まぁ新人のうちは良くあることさ」と理解できるのは実は推察のおかげだ。(「敬虔ということかな…まぁ信心のうちは…」とはおそらくならない。

デンドウのホウホウとしてはサイコウだ。」の場合はもう少し難しくなる。
もしかしたら「電動の方法としては最高だ。」かもしれないし、文脈や言い方によっては、
「伝道の方法としては再考だ。」となるかもしれない…。(多少無理な例だろうか!?)結構慎重に話し手の状況や前後の文脈を見極めなければならないケースはいろいろとあるだろう。

というように、推察や憶測、そして相手を慮る「気配り」という部分に、脳のCPUの相当部分を働かせながら話したり聞いたりするのが日本語だ。言ってみれば、日本語は「気配り依存言語」だということになる。

ところが、英語の場合はかなり違ってくる。

もちろん人により微妙な差異はあるだろうが、立場がどうというよりは、もっと明確に自分としての話したいことを正確に的確に表現することが求められる言語のようだ。

だから主語が省略されることはほとんどないし、相手の立場によって自分の話す言葉そのものが違って来るということもあまりないだろう。

また、発音要素の数がはるかに多いため同音異義語が少なく、聞く側が推論で補う必要性があまりないということも特徴だろう。
(このあたりがアメリカ本土でよく起こる「レストランでのカタカナ英語の悲劇」の理由になっているのかもしれない。そう、注文したはずの品とは全く違うものが出て来てしまう…というアレだ。相手はあまり言語の背景を推察することに慣れていないから、聞いたまま、勘違いしたままのものをそのまま用意してしまうのだ…)

そう、別の言い方をすると、英語の場合には、相手に推察の余地を多く残す話し手は良い話し手とは言わないのだ! 明確に正確に、疑問の余地がないほどにすべてをハッキリと伝えられる話し手こそが、Good Speakerということになる!

で、そのGood Speakerであるための条件ということになるが、つまりは以下の要素を兼ね備えていなければならないという道理になる。

1 相手の立場どうこうを考える前に自らの立ち位置を明確にする。どんな人でどんなことができ、何をしたいのかをハッキリ伝えられること。(つまりは、相手の立場ではなく自分の立場に合ったコトバを話せということですね。)

2 コトバはなるべく正確に、誰が何をどうするのかを明確に言語化して伝えられること。(つまり、論理的に正確な文章でかつ的確な単語を使えることですね。)

3 そして、そのすべてを音声として完全に相手に伝わるよう話せること。(つまり、発音やイントネーションを正確にしろということですね。)

そう、英語を話すときに大切なのは「気配り」よりもまずは上記の3要素だというのが実は私の分析だ。
(おっと、もちろん相手への「愛」や「思いやり」があった方が良いというのは言うまでもないことだけれど…「愛」に関しては万国共通だと思うので。また、さらに言えばユーモアもあった方が良い。「ハート」をゲットしたいなら、その前にまず「笑い」を取れ! というのも結構インターナショナルな方法であるに違いない!)

この3つの法則の中で1番目の「自分の立ち位置で」というのは実は意外に知られていない気がする。つまりは相手が大統領だろうと、GMの重役だろうと(微妙…)、マクドナルドの店員だろうと、同僚だろうと、コトバはあまり変えない方が良いという日本語とは全く違う概念だ。相手が偉い人だからと突然丁寧なコトバに変化させるというのは、英語の世界観では結構不思議なことだと思う。

そして、2番と3番に関わってくるのが、「音声」の重要性ということ。アルファベットという「表音文字」を使うことからもわかるように、英語はほぼ完全に「音声」に依存している。

書き言葉のひとつひとつの文字には実は全く意味はない。全ての単語はそれが音声化されたときにはじめて意味を持ってくる。だから英語では音が重要なのだ。

つまり、英語は「音声依存言語」、言い方を変えれば「正確な発音」に依存した言語ということになる。逆説的に言えば、だから英語にはあんなにも発音要素の数が多いのだ。母音だけで22個、子音だけで24の発音要素があるのも、正確にコトバを伝えたいからそうなった…という推論はあながち間違いでもあるまい。(発音要素の数の数え方には何通りかあります。)

だから英語は発音が重要。ここまでは確信を持っていえる。

でも、だからと言って完全にネイティブと同じである必要があるか?

というのはまた別のテーマ。

これは次回以降に書きたいと思う。


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