80'sは僕にとって毎日がお菓子のようなものだった🍭

 

MTVにガンガン流れる刺激的な音楽とグラフィック。

 

MTVはMovieのMでもあったし、サウンドトラックが弾けていたし、

街もバブル絶頂で全てのエンタメが商業的にも爆発していた。そんな時代。

 

僕は昼頃テキトーに学校へ行って早退し、

時にサボって家でホラー映画を観て、

夜はクラブへ繰り出しはしゃぎまくり、

昼過ぎに起きてはドラムを叩いたり、友達と肝試しに行ったり、

スプレーや蛍光塗料でPOPなアートを、アーティストを真似て作ったりしていた。

 

そのアーティストとは、

キースヘリングである。

 

 

 

このドキュメンタリーフィルムの配給元である MadeGood Filmsさんから試写のDMをいただき、久しぶりに動くキースヘリングを観てこれを書いている。

 

 

 

きちっとした家庭で生まれたキースは. . .

 

 

そのカタから抜け出すかのように反骨に目覚め、

同性愛にも目覚め、ドラックにも目覚め、自分が何をしたいのか、何を求めているのか明確になっていく。

創造物を介して他との「対話」を求めるようにもなり、

NYの地下鉄の構内で空いている黒板に作品をゲリラ的に描くようになる。

作品は写真家に撮らせて拡散させ、やがてムーブメントとなり、大型ビジョンにも紹介される。

 

そして「対話」は夜にクラブで爆発・解放させる。

キース自らのBODYをも介して。

クラブとは1970年代から80年代初期までNYのイーストビレッジにあり、

数多くのアーティストを輩出した伝説のクラブ、「Club57」だ。

 

当時NYのウエストサイドでは最大のゲイディスコになるパラダイスガレージへ「対話」を移動。日本ではかつての芝浦GOLDなどに影響を与えたような大箱だ。

 

キースは爆音の四つ打ちで、ニューウェーブで、迷わずそれを爆発させたからこそ、作品にターボがかかり、推し上げるタニマチが現れ、アンディーウォーホルやマドンナ、マイケルジャクソン、ブルックシールズ、グレイスジョーンズ、ヨーコ・オノなど錚々たる面々も彼に引き寄せられた。

 

やはりエネルギーがあるところにエネルギーは集まるのだな。

アートと音楽は一心同体なのだ。

 

 

キースヘリングの独特の世界観は、

DEVOを聴いていたニューウェーブ・パンカーのキースが、

RAPとグラフィティカルチャーに出逢った時スパークし生まれたものだ。

パートナーがBlackguyだったのも成る程なところ。

 

だからあんなに生命力溢れるタッチとカラーになったんだなぁと改めて感じたのだ。

 

僕はゲイではないけれど、Blackguyがもつ躍動感には当時嫉妬を覚えた。

だからファンクをPLAYするのを一時期やめていたんだけれど、

キースの感じている気持ちは理解できる。

 

 

レジェンドと呼ばれるアーティストは大方無防備で、ザックに言ってしまうと、太く短い人生が多く、キースも31歳という若さでこの世を去ってしまう。

 

HIVで。

 

 

自分の死期をわかってしまっているのかはわからないが、

それゆえ開放に向かっていくのだろうか。

 

キースは自分がHIVとわかった時からカミングアウトし、限られた時間を制作に費やすようになる。

 

 

自分が感じたインスピレーションに火花を散らし、

まっすぐに突き抜けていったPositiveThinkingなキースヘリング。

自分にとって何が大事かをよくわかっていたキースヘリング。

 

同じ時代に生きることができて、

作品をリアルに感じることができて、

本当によかったです。

 

ありがとう。

最高。

 

そしてMadeGood Films様、

久しぶりのキースとの再会をありがとう。

 

 

 

 

資料提供・配給元

MadeGood Films