僕が17歳の高校生だった頃、

同じクラスの隣の席に座っていた前田耕陽くんに

 

「うちのバンド、演奏できたらデビューできるんだけど、

川久保、ドラム叩いてくれないか?」

 

そう誘われて、その日の夜に出向いた

渋谷のエピキュラススタジオにはメンバーが既にスタンバッていた。

 

BASS 高橋一也

GUITAR 岡本健一・成田昭次

KEY 前田耕陽

 

そして俺

 

 

練習曲、確かあれは葛城ユキ の「ハートブレイカー」と

アンルイスの「六本木心中」

 

俺は内心、「本当に演奏できんのかよ」

そうイキってた。

 

「じゃいくよ。1,2,3. . .」

 

 

 

. . .

 

 

 

これでデビューだよ!

 

 

俺たちはとんでもなく盛り上がった。

 

 

 

「じゃ、表にジャニカーがまってるからさ」

 

成田が開口一番にそう言った。

 

 

「じゃ、?」

 

 

「ジャニーさんの白いベンツだよ」

 

と言った矢先に真っ白いパンタロンを履いた背の低いおじさんが

チラッとスタジオを覗いて出て行った。

 

 

みんな固まって動かなくなってしまった。。

 

 

「だれ?今の爺さんは」

 

僕がそう言うと前田が僕の口を塞いだ。

 

 

 

「バカ. . .今のがジャニーさんだよ!」

 

 

 

 

僕が初めてジャニーさんと出会った時のことである。

 

 

 

 

「じゃ、YOU達、明日武道館ね。」

 

 

 

。。。。。は?

 

 

今の僕達の演奏を近くで聞いていたのだと確信した。

即決だった。

 

 

僕らはベンツに乗り込み、ジャニーさん自らの運転で移動した。

 

 

とんでもないスピードで車は走る。。。

 

 

 

 

スモークが貼られていたベンツの窓からは外も見づらかったのもあるが

僕はそんな余裕がなかったし、今自分に何が起きてるのか理解できなかった。

 

 

ばぁぁぁぁん!

 

車から降りるドアの音。

 

暗闇から一気に周りが明るくなった。

 

 

 

. . .そこは武道館の中だった。

 

 

「YOU、明日ドラムソロからね」

 

 

 

????????????

 

 

 

「は、はい!」

 

 

もうそう返事をするしかなかった。

 

武道館での演奏は大成功でメンバーと抱き合い喜びあった。

 

 

その後僕は男闘呼組のサポートメンバーとして、

少年隊のデビューツアーの前座に参加。

テレビ番組でも演奏させていただき、しばらく合宿所に出入りしていた。

 

 

僕はこの時期とても不安定で、

手のつけられない悪ガキだったので、

ジャニーさんと喧嘩別れして事務所に行かなくなってしまった。

 

 

それから10年が経ち、僕はまたYAMAHAからデビューすることになる。

 

アニメのタイアップのエンディングが決まり、

そのオープニングは、なんとTOKIOだったので、

僕は少しビクビクしていたのを覚えている。

 

あの時. . .

僕が少年隊の前座ツアー中、何度も何度も同じことをやらされてキレていると

ジャニーさんが寄ってきて、

 

「何度も同じことをやって叩き込むんだよ。

ステージに出ているときは余裕じゃなきゃいけない」

 

そうアドバイスをそっと言い残した。

 

 

合宿所で僕がお腹を空かしているのを察知して、

得意のガーリックライスを作ってくれたこともあった。

 

「おい、トシ」

トシちゃんと間違えたり. . .

 

「なんだ、you、踊れるんじゃない。」

と、カーテンコールの時にちゃんと見てくれていたり

 

 

. . .いろんな思い出が蘇ってきます。

 

 

 

ジャニーさん

 

 

色々ご迷惑をおかけいたしました。

 

色々本当にありがとうございました。

 

貴方がいなければきっと今の私はいないでしょう。

 

 

 

今更ながらすいません。

だって、こんなこと、簡単に言えないじゃないですか。。

 

 

 

貴方は本当に名プロデューサーでした。

 

 

一生懸命ずっと働いてきたのですから、ゆっくりお休みください。

 

 

 

ありがとう、ジャニーさん。