喪が明けました | VIVA母さんのブログ

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2024.2.2


じーさんの納骨が終わりました


じーさんはダンナのおとうさんだけど


あたしは、じーさんと呼んでました。


12月18日


その日は朝から


じーさん


1週間前にお風呂で転んで


切ってた左腕の


抜糸のため


整形外科に行き


午後は心臓の手術のための


検査をしに


大きな病院に行って


帰りに


近所のスーパーでお寿司を買って


そのあと


お風呂に入って


あんまり気持ちがよかったのか


寝てしまったようだ




死因は心不全だった



今でも信じられなくて


その時の状況を思い出すと


やっぱり


涙が溢れてくる



12月は一年で一番忙しい月で


目の前に


仕上げないといけない仕事が


積まれていた


じーさんから継いだ黒帯なので


どーしても


やり遂げないといけないという一心で


しんだ次の日


会社は休みだったけど


あたしはひとりでミシンを踏んだ


じーさんが使ってたミシンなので


いろんなことが蘇ってきた


あたしがこの家に


嫁いできて23年


あたしでよかったのか


じーさんは幸せだったのか


なんでもっと


優しくできなかったのか


たくさん、話を聞いてあげなかったのか


なんでもっと


大事にしてあげられなかったのか


なんで…


もーーーっ


風呂危ないから、何回も入るなって


いったじゃん


もーーーっ


12月忙しいのに


なんでしんでるんだーーっ


もーーーーーーっ



思い始めたら


止まらなくて


まだ、自分がしんだことに


気づいてないじーさんが


フワフワ浮かんでるんじゃないか



声に出して叫んでみた




いつもじーさんは


あたしに気合いを入れられると


そー言うなよ



とぼけていたことを思い出す


最近、認知症の症状が強くなって


排泄に失敗したり


1日に何度も散歩に行ったり


朝と夜の時間も


わからないようなことも


増えていた


デイケアサービスでは


人気者のじーさんだったようだ


楽しい時間を過ごしていたみたいで


少し心が軽くなる


笑顔の写真は


今にも話しかけてくれる感じで


いなくなってから


毎日欠かさず


お線香をあげている


じーさん、今思えば


優しいじーさんだった


あたしはこれから


この家の仏壇を守り


じーさんの作ったこの会社を


潰さないよう


子どもらに引き継ぎ


自分がお墓に入った時


やりきったよ!


と報告できるように


頑張って生きようと思う



12月1月


休まず帯を縫い続け


500本を先週終わらせた


毎日、黒グレーの洋服を着て


自分への戒めが


とりあえず


終わった




昨日、今日


4号の試合を観に


柏まで来ている


子どもの戦う姿が好きだから


1試合でも見逃したくない


お母さんができることは


何事も


一生懸命に取り組むこと!


それしか


できない…


1日の終わり


ベットに寝て天井を見た時


いい日だったなぁ


と思えるように


過ごすことを目標に


頑張って生きようと思っている




ひとりっこのダンナ


最期の日


じーさんの病院に一日中


付き添っていた


何気ない会話


一つ一つの動作


これからも忘れないだろう


神様から


貴重な時間をプレゼント


してもらったんだろう


あたしは…


その日


会ってない…


やっぱり


後悔ばっかりだ…



涙が止まらない…


ごめんね


じーさん…


あたしが


じーさんに作った黒帯


向こうで


自慢してね