マタイ20:17~19
私たちは普段「神さまからどう思われているか」ではなく
「人からどう思われているか」を気にしながら生きています。
イエスと寝食を共にし、一緒に旅を続けていた12人の弟子たちでさえそうでした。
「敵を救うために敵の身代わりになって死ぬ」という神さまから与えられた使命を全うしようとするイエスを理解せず、自分勝手な思いで、英雄気取りでエルサレムに上っていたのでした。
私たちは口では「神さまのご意志のままに」といいながら、
「神さまの思い」に忠実である振りをしながら、
実は人の思いに狼狽し、
自分の思いに囚われて、
失敗や不幸せを誰かのせいにして、
恨みがましく生きてます。
しかし、この箇所は
そのような私たちの哀れな姿を浮かび上がらせるためだけに書かれているのではありません。
無理解なまま、自分勝手な思いでイエスと一緒に旅する私たち。
その私たちをイエスはそれでもなお見捨てず、
一緒に旅をし、
呆れながらも間近に呼び、
辛抱強く何度も諭して下さる、
ということを伝えているのです。
「お前たちは私を見ていない。しかし、私はいつもお前たちを真っ直ぐに見ている」
恨みを抱かず清々しく生き、
晴れ晴れと天に旅立つための鍵は
このようなイエスとの距離感に隠されていると思うのです。