マタイ10:16~25
【過酷な現実】
イエスの名代として派遣されることになった弟子たちは、きっと不安でいっぱいだっただろう。
前節では各地に一定のネットワークが構築されていたことが示唆されているけれど、それでもキリスト教徒は当時のユダヤでは圧倒的なマイノリティだったに違いないからだ。
彼らが派遣される現場の過酷さが17~23節で縷々記されている。
17節
人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
18節
また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
19節
引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。
そのときには、言うべきことは教えられる。
20節
実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださるち、父の霊である。
21節
兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
22節a
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
ここではイエスの死にざま同様、宗教的に政治的に社会的に追い詰められ殺されていく伝道者たちの姿が描かれている。
また、イエスという看板を背負って旅する者が、家族と争わなくてはならなくなることも茶飯事だったのだろう。
使命を遂行しようとして反対する親の手にかかり命を落とす者、逆に反対する親を殺してでも使命に生きた者がいたのだ。
【従順なだけでは生き延びられない】
こういう過酷な現実を生き延びるためにイエスは一つの知恵を与える。
16節
わたしはあなたがたを遣わす。
それは、オオカミの群れに羊を送り込むようなものだ。
だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
イエスという看板を背負う者は、ちょうどオオカミの群れに送り込まれた一頭の羊。
ただ従順なだけではあっという間に食い殺されてしまう。
だから「蛇のように賢く」とイエスはいう。
【逃げることは卑怯か?】
昨日、思春期真っただ中の14歳男子と森で長い時間話しをした。
色んな話題で盛り上がったのだが、その一つが「クソ野郎がクソな現実を押し付けてくる時にはどうしたらいいか」というテーマだった。
彼はとても優しい人だ。
特に弱いものに優しい人なのだが、正義漢でもある。
だから彼は「押し付けられるクソな現実」に対しては基本的に「キレて暴れる」らしい。
「クソ学校のクソ同級生やクソ教師たち」と対峙して、彼は日々ファイトしているのだ。
そんな彼が今最も「クソだ!」と思ってるのは「もうすぐ徴兵制が導入されること」だという。
「クソ権力者が儲けるために、俺たちが犬死にさせられる」ことがたまらなく「クソ」なのだという。
そして「殺される前にそいつらをぶっ殺したい」のだという。
私は彼に「何故逃げないのか?」と訊いた。
すると彼は「エッ?」という顔をして「逃げるのは卑怯じゃねーかよー!」といった。
何てかっこいいんだ、オマエは!?と思いながら「逃げるのは卑怯じゃねーよ。生き延びることが一番大事なんやから、クソ野郎に殺される前に逃げるのは正しい!」と伝えた。
「逃げるのは卑怯じゃない」というフレーズに、彼はとても嬉しそうな顔をした。
ホッとしたように、上がっていた肩がスッと下りた。
【何としても生き延びろ!】
実は今日の箇所でイエスが同じことを言っている。
23節
一つの街で迫害されたときは、他の街へ逃げて行きなさい。
狼たちにむざむざ食い殺されること(蛮勇や殉教)が正しいのではない。
なぜならあなたの命が一番大切なのだ。
あなたの命が救われるのなら背負った看板なんか気にしなくていい、放り投げてとっとと逃げてくれ!とイエスはいってくれているのだ。
先の14歳男子とまた来週末森で話をするのだが、
その時にもまた「逃げるのは卑怯じゃない。何としても生き延びろ!」と伝えようと思っている。
【過酷な現実】
イエスの名代として派遣されることになった弟子たちは、きっと不安でいっぱいだっただろう。
前節では各地に一定のネットワークが構築されていたことが示唆されているけれど、それでもキリスト教徒は当時のユダヤでは圧倒的なマイノリティだったに違いないからだ。
彼らが派遣される現場の過酷さが17~23節で縷々記されている。
17節
人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
18節
また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
19節
引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。
そのときには、言うべきことは教えられる。
20節
実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださるち、父の霊である。
21節
兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
22節a
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
ここではイエスの死にざま同様、宗教的に政治的に社会的に追い詰められ殺されていく伝道者たちの姿が描かれている。
また、イエスという看板を背負って旅する者が、家族と争わなくてはならなくなることも茶飯事だったのだろう。
使命を遂行しようとして反対する親の手にかかり命を落とす者、逆に反対する親を殺してでも使命に生きた者がいたのだ。
【従順なだけでは生き延びられない】
こういう過酷な現実を生き延びるためにイエスは一つの知恵を与える。
16節
わたしはあなたがたを遣わす。
それは、オオカミの群れに羊を送り込むようなものだ。
だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
イエスという看板を背負う者は、ちょうどオオカミの群れに送り込まれた一頭の羊。
ただ従順なだけではあっという間に食い殺されてしまう。
だから「蛇のように賢く」とイエスはいう。
【逃げることは卑怯か?】
昨日、思春期真っただ中の14歳男子と森で長い時間話しをした。
色んな話題で盛り上がったのだが、その一つが「クソ野郎がクソな現実を押し付けてくる時にはどうしたらいいか」というテーマだった。
彼はとても優しい人だ。
特に弱いものに優しい人なのだが、正義漢でもある。
だから彼は「押し付けられるクソな現実」に対しては基本的に「キレて暴れる」らしい。
「クソ学校のクソ同級生やクソ教師たち」と対峙して、彼は日々ファイトしているのだ。
そんな彼が今最も「クソだ!」と思ってるのは「もうすぐ徴兵制が導入されること」だという。
「クソ権力者が儲けるために、俺たちが犬死にさせられる」ことがたまらなく「クソ」なのだという。
そして「殺される前にそいつらをぶっ殺したい」のだという。
私は彼に「何故逃げないのか?」と訊いた。
すると彼は「エッ?」という顔をして「逃げるのは卑怯じゃねーかよー!」といった。
何てかっこいいんだ、オマエは!?と思いながら「逃げるのは卑怯じゃねーよ。生き延びることが一番大事なんやから、クソ野郎に殺される前に逃げるのは正しい!」と伝えた。
「逃げるのは卑怯じゃない」というフレーズに、彼はとても嬉しそうな顔をした。
ホッとしたように、上がっていた肩がスッと下りた。
【何としても生き延びろ!】
実は今日の箇所でイエスが同じことを言っている。
23節
一つの街で迫害されたときは、他の街へ逃げて行きなさい。
狼たちにむざむざ食い殺されること(蛮勇や殉教)が正しいのではない。
なぜならあなたの命が一番大切なのだ。
あなたの命が救われるのなら背負った看板なんか気にしなくていい、放り投げてとっとと逃げてくれ!とイエスはいってくれているのだ。
先の14歳男子とまた来週末森で話をするのだが、
その時にもまた「逃げるのは卑怯じゃない。何としても生き延びろ!」と伝えようと思っている。