マタイによる福音書12章1節~8節
【礼拝より大事なもの】
ある日曜日の朝、1人の牧師が自宅から教会に向かっていた。
車で30分くらいの距離だ。
いつものように余裕をもって10時半から始まる礼拝の1時間前に到着出来るように8時には家を出た。
途中、ブレーキ痕を残し路肩に突っ込むようにして停まっている乗用車があり、気になって中の様子を見てみると、70歳前後の男性が胸を押さえて苦しんでいた。
その牧師は急いで119番通報した。
救急車は10分後に到着したのだが、搬送先がなかなか決まらない。
心配になった牧師は搬送先が決まるまでは、と思い、救急車に乗せられた男性の手を握りながら声をかけ励まし続けていた。
ようやく行き先が決まり、牧師が救急車を下りようとした時、男性が牧師の手をしっかりと握りしめて離してくれない。
時計を見ると礼拝が始まるまであと30分しかない。
車を飛ばしても礼拝に遅刻するかもしれない。
その時、逡巡する牧師の頭を聖書の一節がよぎった。
『わたしが望むのはいけにえではなく、あわれみである』(6節)
そうだ、礼拝より大事なものが目の前にある。
この人に寄り添うことこそが、いま私がするべきことなのだ。
と牧師は思い至り、遂に搬送先まで救急車に同乗したのだった。
結局牧師は、男性の手術中もずっと、男性の家族が到着するまで病院にいて祈っていた。
病院を後にし、教会に着いたのは礼拝がとっくに終わっている時間だったという。
【諦めず、前へ】
牧師は後に、この件が原因で教会を追われることになるのだが、
私は牧師のしたことは間違っていないと思っている。
だってそうでしょ?
目の前に、苦しんでる人がいて、その人が助けを求めて手を握って離さない、ていう時に
「あ、わたし、礼拝があるんで、さよなら」なんていえる訳がない。
イエスがやってたことは、
「悩み苦しむその人に向き合い、寄り添う」
「手を差し伸べて触れる」
ことだった。
そして、同じことをイエスは私にもあなたにも求めている。
一昨日、戦争法案が、乱暴な方法で可決された。
一人の人の歴史も、喜びも、苦しみも、顧みない。
向き合うことも、寄り添うことも、しない。
手を差し伸べることも、触ることも、しない。
そんな連中が、自分の腹を満たすために平気で人を殺していく。
そのことが本当に悲しいし腹立たしい。
しかし、「目の前のその人」を一番大事にできないという点で、自民党・公明党からなる現政権も、礼拝よりも目の前で苦しむ人に寄り添うことを選んだ牧師を追い出した教会も、同じ場所に立っている。
イエスもブッダも宗教を始める意志はなかった。
ただ一人一人が神と向き合い、人と向き合うことを求めた。
宗教もまた、政治と同様、「誰かが威張り、得をするための装置」なのだろう。
イエスが求めたものを具体化するために、私もあなたも、闘うことが求められている。
苦しい戦が続くだろう。
ずっと負け続けるかもしれない。
しかし、きっと勝つ日が来る。
ラグビーワールドカップで昨夜、歴史的な一勝を挙げた日本チームのように。
諦めず、前へ。
そのすぐ傍にイエスは寄り添って下さっている。
【礼拝より大事なもの】
ある日曜日の朝、1人の牧師が自宅から教会に向かっていた。
車で30分くらいの距離だ。
いつものように余裕をもって10時半から始まる礼拝の1時間前に到着出来るように8時には家を出た。
途中、ブレーキ痕を残し路肩に突っ込むようにして停まっている乗用車があり、気になって中の様子を見てみると、70歳前後の男性が胸を押さえて苦しんでいた。
その牧師は急いで119番通報した。
救急車は10分後に到着したのだが、搬送先がなかなか決まらない。
心配になった牧師は搬送先が決まるまでは、と思い、救急車に乗せられた男性の手を握りながら声をかけ励まし続けていた。
ようやく行き先が決まり、牧師が救急車を下りようとした時、男性が牧師の手をしっかりと握りしめて離してくれない。
時計を見ると礼拝が始まるまであと30分しかない。
車を飛ばしても礼拝に遅刻するかもしれない。
その時、逡巡する牧師の頭を聖書の一節がよぎった。
『わたしが望むのはいけにえではなく、あわれみである』(6節)
そうだ、礼拝より大事なものが目の前にある。
この人に寄り添うことこそが、いま私がするべきことなのだ。
と牧師は思い至り、遂に搬送先まで救急車に同乗したのだった。
結局牧師は、男性の手術中もずっと、男性の家族が到着するまで病院にいて祈っていた。
病院を後にし、教会に着いたのは礼拝がとっくに終わっている時間だったという。
【諦めず、前へ】
牧師は後に、この件が原因で教会を追われることになるのだが、
私は牧師のしたことは間違っていないと思っている。
だってそうでしょ?
目の前に、苦しんでる人がいて、その人が助けを求めて手を握って離さない、ていう時に
「あ、わたし、礼拝があるんで、さよなら」なんていえる訳がない。
イエスがやってたことは、
「悩み苦しむその人に向き合い、寄り添う」
「手を差し伸べて触れる」
ことだった。
そして、同じことをイエスは私にもあなたにも求めている。
一昨日、戦争法案が、乱暴な方法で可決された。
一人の人の歴史も、喜びも、苦しみも、顧みない。
向き合うことも、寄り添うことも、しない。
手を差し伸べることも、触ることも、しない。
そんな連中が、自分の腹を満たすために平気で人を殺していく。
そのことが本当に悲しいし腹立たしい。
しかし、「目の前のその人」を一番大事にできないという点で、自民党・公明党からなる現政権も、礼拝よりも目の前で苦しむ人に寄り添うことを選んだ牧師を追い出した教会も、同じ場所に立っている。
イエスもブッダも宗教を始める意志はなかった。
ただ一人一人が神と向き合い、人と向き合うことを求めた。
宗教もまた、政治と同様、「誰かが威張り、得をするための装置」なのだろう。
イエスが求めたものを具体化するために、私もあなたも、闘うことが求められている。
苦しい戦が続くだろう。
ずっと負け続けるかもしれない。
しかし、きっと勝つ日が来る。
ラグビーワールドカップで昨夜、歴史的な一勝を挙げた日本チームのように。
諦めず、前へ。
そのすぐ傍にイエスは寄り添って下さっている。