マタイ12:15~21



【振り返ったら何も残っていなかった】


先日、ある案件で大きな会社の経営者の方とお話する機会があった。

裸一貫で起業され半世紀近くを猛烈に働き、今や社会的に大成功を収められている方だ。

健康と家族と従業員に恵まれ、資産もあり、後継者もおられ、まさに順風満帆、幸せを絵に描いたような方なのだ。

しかし、その方がふと言われた一言に私はとても驚かされた。

「ずっと走り続けて、この年齢になってふと後ろを振り返ったら、何も残っていないことに気が付いたんです」…

「何も残っていない」って、いやいや、世間的にみんなが羨むようなものすべてを持ち、後継者を育て、お孫さんにも恵まれていらっしゃるではないですか?!と訊くと

「いや、そんなことではないんです」と仰るのだ。

彼は今、地域起こしに尽力し、過疎化が進む地元に雇用を生み若い世代が集い根付くよう奔走しておられるのだが、「そんなことではないのです」とも仰る。

何をすれば「何かを残した」と思えるのか、具体的にはまだこれという答えを見つけておられないようだった。



【見に見えるものにではなく】


イエスは「天に宝を積みなさい」といった。

要は「目に見えるものにではなく、目には見えないものに心血を注ぎなさい」ということだ。

河合隼雄先生の言葉を借りれば「死んでも天国に持って行けるもの(魂)を大事にする」ということだ。

恐らく、その経営者の方の「振り返ったら何も残っていなかった」という虚無感は、この「死んでも天国に持って行けるもの」の問題が解決していないことに起因しているのだろう。



【黙々と愚直に】


今日の箇所では、イエスは、後を追ってきた「大勢の人を全員癒された」と書かれてある。

しかも、彼らに「自分のことを言いふらさないように」と戒められたという。

イエスには自分のことを宣伝し、社会的指導者として自分を売り出す気はまったくなかったのだろう。

イエスはただ、黙々と愚直に、神様から与えられた使命を果たして、短い生涯を全うした。

それも無駄にしか思えないようなものをこそ大切に抱え、ずるずると足を引きずりながらだ。


『かれは折れた葦を切り離さず、

くすぶっている燈心を消さない』(12章20節)


この姿に、「死んでも天国に持って行けるものを大事にする」生き方が示されている。

黙々と愚直に、無駄にしか思えないものをこそ大切に抱え、ずるずると足を引きずりながら生きる、その姿に。


先の経営者の方が懇談の最後に私を見てこう仰った。

「障害を持つ子どもたち一人一人に届く支援をしてあげて下さい。子どもたちの笑顔と笑い声が絶えない場所をこの地にも作って下さい。そういうことをこそ支援したい」と。


この方と一緒に天に宝を積みたいと思う。