2020年1月19日(日)大阪昭和教会礼拝メッセージ

 

ヨハネによる福音書

①13:36〜38(イエスによるペトロ離反の予告)

②18:15〜18/25〜27(予告通りペトロはイエスを知らないという)

③21:15〜17(ペトロ、甦ったイエスに問われる)

 

■もし、あの時○○○していたら…という後悔

 

25年前、阪神淡路大震災で被災され避難所におられた方々50人を

八尾市内で空き家になっていた単身寮をお借りして

1995年3月〜5月の三ヶ月間だけですがお世話させていただいたことがあります。

 

地元のボランティアさん200人と共に、食事の提供もしながら、24時間態勢で

帰宅されるまでお世話させていただきました。

 

その中のお一人、Tさん(67歳 女性)は、地震で倒壊したアパートでお兄さんを亡くされました。

揺れが始まってすぐ、Tさんはお兄さんに押し上げてもらってベランダから屋根に上り

屋根を走って隣の建物に飛び移り九死に一生を得られたのですが

ベランダに残ったお兄さんはそのままアパートの下敷きになってしまったのだそうです。

Tさんは寮に身を寄せられてから毎夜、夢の中で

「お兄ちゃん、ごめんなさい」「お兄ちゃん、ゆるしてください」と

泣きながら謝っておられました。

 

ある日私はTさんに「毎晩、お兄ちゃんに謝ってはりますねー」と訊ねました。

Tさんは

「そやねん、毎晩寝たら、いっつも同じ夢見るねん。T子ー!助けてくれー!てお兄ちゃんが叫んでるのに、助けてあげられへんねん」

「あの時にな、私がお兄ちゃんの腕を離してなかったら、お兄ちゃんも一緒に助かってたと思うねん」

「せやからな、私、最後に私を押し上げてくれたお兄ちゃんの顔を忘れられへんねん」

「夢の中で、こっちを見てるお兄ちゃんに、いっつも謝ってるねん」

と大粒の涙をこぼしながら仰有るのです。

 

その日からほぼ毎日、寮でTさんに会うたびに、私は同じことを訊きました。

Tさんも同じ話をされます。

必ずボロボロと涙をこぼしながら。

 

そうして1ヶ月が過ぎるころ、当直の学生さんから

「この頃Tさん、夜中でもよく眠ってはりますわー」と報告を受けました。

「そうかー、よかったなー、ちょっとは落ち着きはったんかなー」

「けど、まだまだやと思うでー、油断せんとこなー!」とその学生さんにいいました。

 

ところがその夜、Tさんがまた「お兄ちゃん、許してー!」と叫びながら

パジャマのまま裸足で寮を飛び出し行方不明になるという事件が起きました。

当直の学生(現役ラガーマン)が追いかけましたが振り切られ

私たちは八尾警察に捜索願を出しました。

翌朝Tさんは東大寺大仏殿の近くで保護され、昼前に寮に帰って来られましたが、

裸足で夜通し歩いたために足の裏の皮がめくれて血だらけでした。

4月上旬のまだまだ寒い時季にあの薄着でよくご無事だったと思いました。

お話ししても「どうやってあそこまで行ったか覚えていない」とのことでした。

 

震災でたくさんの方が亡くなられました。

亡くなられた方の数だけ、残された家族や友人の中に

「もしあの時、○○○していたら…」という後悔があるのではないでしょうか。

そして今もなお

「もしやり直せるなら…」という言葉を心の中で繰り返しておられるのではないでしょうか。

 

 

■ペトロの後悔

 

さて、ここにも

「もしあの時、○○○していたら…」

「もしやり直せるなら…」という思いに囚われ呻吟している男がいます。

 

「鶏が鳴くまでに三度私を知らないというだろう」と指摘されても

「死ぬまで先生の後をついていく」と大言壮語し

いざイエスが捕縛され「あなたはイエスの仲間ではないか?」と問われたら

それを否定した男です。

 

そればかりかペトロはイエスが十字架で処刑された後

怖ろしくなってエルサレムから逃亡し

故郷のガリラヤに舞い戻った臆病で卑怯な男でした。

 

ペトロは

漁師として一生を終えるはずだった自分に

病人や貧しい人たち(コミュニティから排除されていた人たち)のお世話をし

コミュニティの再生をする機会を与えてくれたイエスに感謝していたでしょう。

本気でイエスに従い、死をも怖れていないと、自信を持っていたでしょう。

だから「あなたは私についてこれない」「あなたは私を知らないというだろう」と言われた時は

怒りさえ覚えたはずです。

 

しかしそんな自分が、自分の命惜しさに、イエスを見捨てて命からがら故郷に逃げ帰った。

助けられなかったばかりか、自分だけがおめおめと逃げ延びた。

計り知れない申し訳なさの中にいたペトロに

甦ったイエスがこういうのです。

 

 

■100回失敗しても、101回目がある

 

「あなたは、私を、愛するか?」と。

 

こう言われたペトロの気持ちはどんなだったでしょうか?

「あなたを愛してるに決まってる」

「でも死ぬのが怖くてあなたを見捨てたのです」

「愛しているといいながら、それを貫き通せなかったのです」

「そんな私が、また、あなたを愛していると言っていいのですか?」

「私の中のあなたへの愛の拙さ、至らなさを、あなたは全部ご存知なはずです」

 

そんな葛藤が「主よ、あなたは何もかもみなご存知です」という

ペトロの言葉に込められているのではないでしょうか。

 

葛藤の中にいるペトロにイエスは何と言ったのか

「そんな中途半端な奴は嫌いだ」

「あなたは信用できない」

「あなたはついてこなくていい」

と言ったのでしょうか。

 

違うのです。

イエスは「私の羊を飼いなさい」と言ったのです!

 

私たちはいつも思うように生きることができません。

気持ちがないわけではないのに

頑張っても失敗します。

頑張れば頑張るほどうまくいきません。

信頼してくれた人をがっかりさせ

自分に信じてくれた人を裏切ってしまいます。

 

100回やって100回失敗する。

そのような私たちにイエスは

「私の羊を飼いなさい」とチャンスを与えてくださるのです。

 

私たちには100回失敗しても101回目が用意されている。

つまり

何度でも、やり直していいんです。

 

もうダメだと思っても

後悔と慙愧の念に囚われても

何度でも、やり直していいんです。

 

そうイエスに言われた者同士

私たちも互いに「やり直して、いいんです!」と

許し合い、認め合い、支え合いたいのです。