マタイ11:2~19

■■■バプテスマのヨハネとイエスの関係

バプテスマのヨハネは

当時のユダヤ教の中で異端とされるグループのリーダーであったようです。

異端とは今でいう「カルト」のことです。

主流派からは「あんなものはユダヤ教ではない」と後ろ指を指されるような存在です。

カルトといえば福音書が書かれた頃のキリスト教もまた
ユダヤ教の主流派からは「死んだ人間が甦ったことを信じてるカルト教団」だと思われていたのではないでしょうか。

 

彼らは

粗末な服装で洞窟に住み
粗食を分け合い、非常に厳しい戒律を自らに課し
禁欲的な集団生活を送っていたようです。

また、神さまによる最後の裁きの時が近いと説き

民衆に回心を求め

ヨルダン川で洗礼を授けていました。
 

さらにそれだけではなく当時の支配者たちの

贅沢や不道徳な暮らしをおおっぴらに批判し

民衆の支持を集めていたために

権力者から疎まれていました。

今日の箇所によれば

バプテスマのヨハネ自身が遂に逮捕され投獄されておりました。

 

イエスはこのバプテスマのヨハネとどういう関係にあったのかというと

恐らくイエスはヨハネの後継者として期待されていたのだろうと思います。

 

 

■■■ヨハネの期待、イエスの逡巡

 

捕えられ死期が迫っているヨハネにとって

イエスが後を継いでくれるかどうか、というのは大問題だったでしょう。

あるいはイエスこそが、やがてこの世においでになる「人の子」と呼ばれる神さま

そのものであるかも知れないと、という思いもあったのでしょう。

 

不安と希望を抱えたヨハネは自分の弟子たちをイエスの元に行かせます。

そして訊くのです「来たるべき方は、あなたでしょうか?それも、他の人を待たなければなりませんか?」と。

 

では、イエスの答えはどうでしょうか。

イエスは例によってわかったような分からないような人を食ったような返事しかしません。

 

私はイエスのこの答えにイエス自身の逡巡を、戸惑いを感じるのです。

 

 

■■■ i'll be on your side forever more

 

私たちは

イエスは十字架への道をまっすぐ

迷わずひたすら進んだ人だと思っていますが

 

福音書を読むと、イエスは結構迷ってることに気付きます。

その一つがゲッセマネの祈りです。

捕えられ十字架に架けられる直前にも

イエスはゲッセマネで祈っています。

「御心ならばこの杯を取り除いてください」と。

 

イエスは出来る事なら死にたくなかった

それも十字架に釘付けにされて見世物にされ衰弱死していくなんて

イヤでイヤで仕方なかったのだろうと思うのです。

 

もう一つの例が

このバプテスマのヨハネとの遣り取りです。

同じグループの中で寝食を共にし

荒行に励んできたイエスが

新たなリーダーとして前に進むのか

グループを去るのか、

その決断を確認出来ないまま

ヨハネは獄中にいたのです。

 

イエスが

私たちと同じように迷い、進むべきか、逃げるべきか、苦しんだということは

しかし、決して私たちを落胆させるものではありません。

 

私はこの箇所を読むとき

イエスをとても身近に感じるのです。

 

たとえば私たちに

「あんなやつ死んでしもたらええねん」と思っている仇敵がいるとして

その憎んで余りある奴を助けるために身代わりとなって死ななければならないとしたら

そんな道を選ぶことなど有りえないのではないでしょうか。

もし自分に選択権が委ねられているなら

そんな道は絶対に選びたくないと思うはずです。

 

そこまで大袈裟でなくても

たとえば自分が進みたいと望む道ではなく

むしろ避け続けてきた道を

行かざるを得なくなったとき

それも義を貫くためには行きたくない方の道を選ばざるを得なくなったとき

私たちの苦悩はピークに達します。

 

そのような私たちをイエスは

どんな目で見ているでしょうか。

「情けない奴やなー」とがっかりしているでしょうか。

「もっと雄々しく神さまの意志を実現していく勇気のある人間を探すわー」と諦めて見捨てるでしょうか。

私はこの物語を読むとき

選ぶことが正しいと分かっていても恐怖と不安で

その道を選ぶ決断がつかない

弱々しい私たちの側に

イエスがいてくださることを感じるのです。

 

Keep smiling, keep shining
Knowing you can always count on me, for sure
That's what friends are for
For good times and bad times
I'll be on your side forever more
That's what friends are for

 

これはディオンヌ・ワーウイック、スティービー・ワンダー、グラディス・ナイト、エルトン・ジョンが

1985年にAIDS研究所のチャリティのために作られた曲のサビの部分です。

この中に

be on your side forever more

という言葉が出てきます。

 

「ずっと傍にいる」という意味ですが

そのまま訳すと

on your side 「あなたの側」にいるということです。

敵ではなくあなたの味方だ、ということです。
それも forever more 「ずっと、永遠に」です。

 

決断できずに迷い戸惑う私たちは

独りで苦しんでいるのではないのです。

そんな私たちの味方として

イエスもまた

すぐ傍で
一緒に迷い戸惑っていてくださる。

 

そのことが分かっているからこそ

私たちは

「御心ならばこの杯を取り除いてください」と祈りながら

敵を救うために命を差し出す道を選べるのではないでしょうか。